第64話 “終わり”の伝道者、カリアッハの言い分

文字数 3,128文字

「さあ、お前達! 出番だよ!」

 カリアッハは握っていた杖を天高く掲げると、それをそのまま足元の地面へと突き刺した。
 突如として、地響きが起こり、大地がそこかしこで割れていく。すると、その裂け目から十六本の骨張った小さな腕が出てきた。それぞれの手の先には鋭く尖った長い爪が生えており、獲物を求めてクネクネと動いている。やがて、何も掴めないと悟ったのか、それらは一旦引っ込んで見えなくなったが、次の瞬間、猛烈な勢いでセシル達の前に飛び出してきた。

 ノームのような低い背丈に、丸みを帯びた体格。顔には、ゴブリンのような狡猾な笑み。服装は上から、血染めの真っ赤な帽子、緑色のチュニック、同色の短パン、そして鉄のブーツ。
 地の精霊、ノッカーの成れの果て。レッドキャップと呼ばれる者達だ。

「なんたる事だ」セシルはどっと疲労を覚えた。

 彼が頭を抱えるのも無理はない。レッドキャップは邪霊化した精霊の中でも最も危険な存在であると云われていた。
 彼らは古戦場のような、血が流された場所によく出現する。夥しい量の血が大地に流れると、そこに住まうノッカーは次第にその匂いに酔いしれていく。それから、血に飢えた野獣のようになり、獲物を求めて地上を彷徨い歩く。彼らに捕まったら最後、逃げる術はない。彼らは捕まえた者を鷲のような鋭い鉤爪で引き裂き、その血を最後の一滴まで残らず飲み干してしまうのだ。

 セシルは背中に嫌な汗を感じた。
 八体ものレッドキャップに、カリアッハ。
 どう考えても、分が悪い。
 いつもは冷静な彼も、今回ばかりは焦らずにはいられなかった。

 カリアッハはそんなセシルを、したり顔で眺めていた。
 死に追い詰められていく者達の顔を見るのは、この上なく楽しい。特に、自信満々でこの世を謳歌する奴らの顔が、一瞬で醜く変化するのは、一見の価値がある。自分達が忌み嫌っていたものが目前に迫った時、嘆きの声を上げながら、彼らは初めて悟る。“死”こそこの世界の本質であり、“生”はただの飾りであると。

 以前から、カリアッハは自分の存在意義に疑問を持っていた。何故、醜いとまで呼ばれる“老い”というものを、自分がこの世界に振りまかねばならないのか。何故、人々が顔を顰めるほど嫌う“死”というものを、自分がこの世界に与えねばならないのか。いつも日の目を見るのは、ブリーイッドの奴ばかり。人々が求めるのはいつも暖かさであったり、色鮮やかなものであったり、きらきらと輝くものであったりする。

 ――不公平じゃないかい。

 “死”こそ本来崇められるべきものだ。無限の活力、不死身の肉体、永遠の命なんてものがあったら、この世界はとうの昔にパンクしちまってる。そうならないように、アタシら、カリアッハと呼ばれるものは、この世界に陰の気を送り、溢れ返った生気を正常に戻し、生き物には終わりがある事を伝え、彼らに次へ進む準備をさせる。死とは輪廻という循環の中で起こる、一つの終わりであり、一つの始まりを知らせるものだ。それを理解しようともせず、「死にたくない」とほざく輩がこの世界にはなんと多いことか。

 ――何故、こんな奴らの為にアタシが頑張らなきゃならないんだい。

 カリアッハはうんざりしていた。死を受け入れようとしない者達に。死してなお、未練がましくもこの世界に留まろうとする者達に。そして、不合理な使命に縛られ続ける自分自身にも。

『ここは、アタシがやっとつかんだ安息の地だ。眠るのも、手放すのも、まっぴら御免だね』カリアッハはそう小さく呟くと、凍てつくような冷たい視線をセシル達に送り、杖を手にしながら身を乗り出した。

 彼女が戦闘態勢に入ったのを見て、セシル達もいよいよかと身構えた。
 だが、彼女はそれ以上全く動く気配を見せなかった。顔を横に向け、一点を凝視している。
 急に動きを止めた彼女を不審に思い、何事かと、セシルは彼女の視線の先を追った。

 彼女が見つめる暗がりの向こう側から、一人の騎士が現れた。重そうな鎧に身を包み、巨大な黒馬に跨っている。その姿はまるで動く要塞のようだった。首から上がないため、彼がもう生きている者ではないことが分かる。

『あれがタウロスか』カリアッハの話から、セシルはそう察しを付けた。

 タウロスはすでにぼろぼろの状態だった。鎧は傷だらけで、その左胸部には大きな凹みができており、そこから外側に向かって、何かが爆発したような痕が残っていた。
 彼が乗っている馬はもっとひどかった。顔は半分焼け爛れ、下の骨が露わになっていた。さらに、ズタズタに引き裂かれた腹部からは、贓物の一部が露出していた。

 カリアッハは彼の酷い有り様を見て、深々と溜息をついた。「随分こっぴどくやられたもんだね。まったく、あんたがこんな簡単にやられちまうとはね。当てが外れたよ」

 セシルはほっと胸を撫で下ろした。
 カリアッハの口ぶりからして、マーサ達が無事タウロスを撃退した事が分かったからだ。彼女達と戦闘に及んでみたものの、手痛いしっぺ返しを食らったのに違いない。ホワイトフクロウが戻って来ないことを鑑みて、自分が書いた手紙は彼女達の手に渡ったのだと推測できる。あれには印をつけてある。ホワイトフクロウと自分とを結びつける印が。おっつけ、彼女達もこちらへ向かって来てくれるに違いない。
 セシルは気持ちが軽くなった。彼女達が来てくれれば、状況は大分良くなるだろう。

 彼が胸に抱いた安堵感は、コールの悲痛な叫びによって一瞬にして打ち消された。「セシル、やばいよ!」

 彼らの目の前で、見るからに悲し気な色を纏ったウィルオウィスプが、次から次へと木々の合間を縫って、カリアッハの杖に引き寄せられるように集まってくる。

 カリアッハは杖の先をタウロスの甲冑へと向けた。「どれ、少し元気づけてやるとするか」
 杖の先をくるくると飛び交っていたウィルオウィスプが、甲冑の中に吸い込まれるように消えていく。

 その様子を目にして、セシルはすぐさま叫んだ。「皆、やるぞ!」
 
 コールはスリングに素早く弾を込め、カリアッハに向けて撃った。あれが何なのか、セシルでなくても分かる。ウィルオウィスプを使って、タウロスを回復しようとしているんだ。

「ブロンコは、タウロスに当たれ! ヴェロスはカリアッハに注意しながら、援護を! コールは聖水の準備をしてくれ! レッドキャップは私がやる」

 セシルはそう言うなり、首にかかっているチャームに手をかけた。銀の鎖に、大きな動物の牙と爪が数珠つなぎにぶら下っている。

 彼が呪文を唱えると、その首飾りから全身に、緑色の霊力が流れ込んでいった。
 彼の姿が次第に大きな獣へと変貌していく。白い肌は毛深さを増し、鼻は前方に突き出て、口からは大きな牙が飛び出した。

「新緑の戦士、大熊ユギナスかい」タウロスの回復に努めていたカリアッハは、コールに邪魔をされたため作業を一時中断し、タウロスの背後へ隠れるように移動してから、セシルを面白そうに眺めた。

 新緑の戦士、ユギナス。エルフの森の守護者。気性は荒く、森に害を為そうとする者には容赦がない。ドルイド僧の呼び出しに応じ、戦となれば先兵として常に前線に駆けつける、勇敢な肉食獣である。

 ユギナスの霊力を身に纏えるなど、常人にはなかなかできない事だ。勇敢さと凶暴さを同時にコントロールするには、並大抵ではない精神力を必要とする。

 カリアッハは初めて真剣な顔つきになった。その瞳には、今までにはなかった不気味な光が宿っている。「さっき言った事は撤回するよ。強いんだね、お前は。でもどうせ無駄なことさ。“死”というものが何なのか、せいぜい嘆きながら、思い知るが良い」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み