第10話 厨房と“椅子“問題

文字数 1,011文字

前回、帝国の政治機構について少し触れたが、中央行政機関はイェニ・サライの第三内庭に集まっている。カスミガセキみたいなところだ。
?そうですね。トプカプ宮は今日の呼び名で、当時は単にイェニ・サライ(新宮殿)と言われていました。第一から第四内庭までとハレムで構成されています。
第二内庭には宮廷厨房がある。本篇で誰かが仕事サボってカフェヴェを貰いに行ったところだな。二十本の煙突が並んで、ざっと八百人が働いていたとされる。とにかくデカい。
…王族、ハレムの女性たち、大勢の仕官たち行政官たちのために調理するんですから、大変なものですよ。帝国各地から集められた選り抜きのシェフが腕を振るっていました。
ラースが作るものも美味しいぞ?台所事情はまた語ると長いんだが、しかし、作者には根本的に分からないことがある。椅子だ。
一般人はどうやって食事をしていたかってことですよね。椅子っていうのは西洋的なものなんです、気付いてみれば…
当時の絵を見れば分かるが、正式には床に座って食事をする。日本でも明治時代以前はそうだろう?タタミっていいよな!
??カーペットみたいなものですか?オスマン式住居には“ソファ室”という部屋が有ります。こう、三方の壁に沿って段が設けられていて、クッションを置いて、そこに座ってお客さんをもてなしたり、お茶を飲んだりします。応接室兼居間みたいな感じでしょうか。
でもなあ、庶民の普段の食事は「膳を整えて」床に座ってはられんだろうよ、忙しいんだから。十七、十八世紀は陶器の皿や椀が普及し始めた頃だが、恐らく専ら木製で、パンは手掴み、スープは椀から啜る。スプーンはようやく広く使われるようになったが、フォークはなかなか受け入れられなかったようだな。
ヨーロッパはどうだったかというと、椅子はありますが、労働者階級一家族の人数分揃っているということはまずないのではないでしょうか。購入は手間だし、場所取るし…
そうなると、適当に立ち食いしてたか、他のなけなしの家具に腰掛けてたか、だよなあ。この頃になると、屋台や飯屋商売も盛んになってくるしな。何でこんなことが重要な訳?
王侯貴族じゃない一般人の食事風景にリアリティを追求したい作者の変なこだわりですよ…まあ、コンスタンティニエの生活文化は東西入り混じっているので、俺の家には椅子とテーブルが有ります。
もう一脚欲しいところだな?
二人しか住んでないんですから、二脚で充分ですよ。…あれ?
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