第20話 ペンは剣より強し① 紙と筆と心意気

文字数 1,029文字

オスマン帝国の官僚たちは、いろいろ書きまくっていた。東洋文庫オスマン帝国史料解題が面白いので、是非参考にして下さい。

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まあ、行政機関の文書主義は、マックス・ヴェーバーが指摘した通りです。現在では首相府オスマン文書館をはじめ、多様な書類が全国の文書館で保管されています。俺たち下級財務官がしょっちゅうお世話になるのは、租税台帳ですね。
今回はオスマン帝国行政文書の内容じゃなくて、何を使って書いていたかという話だ。
オスマンの庭-詩、来客、盃持ち:US public domain
東アジアの毛筆、ヨーロッパの鵞ペン(羽根ペン)、そしてイスラム圏では、葦の茎を加工したペンを使っていました。先端が劣化したら、削ってまた利用できます。
アラビア文字を書くには、適度に柔らかいペン先が必要だ。イスラムでは「文字を書く」という行為がとても重要なんだ。装飾に偶像を用いない代わりに、神の言葉を美しく書き表すことが、尊ばれる。カリグラフィー(書道)の発達も然りだな。
そうですね。写本は学生たちの主要なアルバイトだったこともあって、帝国では印刷技術の導入が遅れました。商業ベースで活版印刷が始まったのは、十九世紀に入ってからです。
紙はよく知られたように、中国で発明された。オスマン帝国は領内でも製紙していたが、初期はインドや中央アジアなどから、だんだんとヴェネツィアやフランスからの輸入が増えてきた。
中央アジアからは“サマルカンディ”、インド産では“ヒンドアーバーディ”などのブランドがあったようです。勅令など枢機文書には、透かし入りの西洋紙が好まれました。
そうね…アラビア文字はくっきりとした輪郭が重要だから、綿状で吸水性のある東洋紙より西洋紙のほうが相性が良かったのかも。更に紙の表面を滑石で擦って、卵白やスターチを塗ってインク乗りをよくする工夫もされていた。この過程を『テルビエ』という。
『テルビエ』をしてあると、書き損じても、水で擦れば消えます。
『テルビエ』の言い回しは転じて、人を教育する、しつける、という意味にもなっている。
葦ペンの先を削るための小刀を、カレム・トラシュといいます。マクター(筆切り台)にペン先を乗せて、窪みに沿って断ち切り整形し、インクを滴らせるよう縦に切れ込みを入れて、出来上がりです。これら筆記道具一式をしまう筆箱はクグールと呼ばれます。
紙とペンの話で終わったな…。次回はインクの話です!
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