第7話 マラ・ブランコビチ、帝都陥落の影で①

文字数 877文字

マラ・ブランコビチはメフメト二世の時代の女性だ。
コンスタンティノープルの陥落が1453年ですから、十五世紀半ばですね。ムラト二世(メフメト二世の父親)に輿入れしていたのですが…
ちなみにコンスタンティノープル陥落前の首都はエディルネだ。彼女はメフメト二世の実母ではないのだが、早くに母を亡くした若き王子にとって、母親代わりのような存在だったらしい。
ムラト二世も傑物で、それまで協定関係にあったビザンチン(東ローマ)帝国が、己れの即位に際して攻勢をかけてきたのを撃退し、ハンガリー軍との争いにも勝利し、セルビアでキリスト教連合軍も破り、国内から絶大な支持を受けていました。ところが本人は趣味人で信仰篤く、王位が嫌で仕方なかった。
とっとと息子に譲位したが、若い王子にイェニチェリたちは従わない。敗戦も続いて、渋々復位した。一仕事終わってまた退位して、また復位した。メフメト二世の性格が捻くれたのは、この一連のゴタゴタのせいでもあると思われる。
この時代、あのヴラド三世(串刺し公)が弟とともにオスマンの人質となっていたことが知られていますね。メフメト二世とヴラド三世は古い馴染みだった訳です。(ネタ的に滾りすぎて)恐ろしい…
メフメト二世については語りきれない。非常に多才で残酷で魅力的な人物だ。さて、そのメフメト二世がコンスタンティノープルへの侵攻を決意したのは、マラ・ブランコビチ、ハレムでの名はマラ・ディスピナ・ハトゥンに見せられた一幅の絵がきっかけだったと言われている。
事実がどうかはわかりませんが、それだけマラ・ハトゥンの、メフメト二世に対する影響力が大きかったということなのでしょうね。
マラ・ブランコビチは、セルビア公の娘だった。セルビアは当時、オスマンとハンガリー両国が支配を争う地域で、度々反乱を起こしては制圧されていた。マラは、そんな宗主国への人質代わりに、ハレムに送られたのだと考えられる。
…それは、どこかで聞いたような。今回は時代背景説明だけで長くなってしまったので、次回はマラ・ハトゥンがどのような人物であったのか、探ってみたいと思います。
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