第7話 マラ・ブランコビチ、帝都陥落の影で①
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ムラト二世も傑物で、それまで協定関係にあったビザンチン(東ローマ)帝国が、己れの即位に際して攻勢をかけてきたのを撃退し、ハンガリー軍との争いにも勝利し、セルビアでキリスト教連合軍も破り、国内から絶大な支持を受けていました。ところが本人は趣味人で信仰篤く、王位が嫌で仕方なかった。
とっとと息子に譲位したが、若い王子にイェニチェリたちは従わない。敗戦も続いて、渋々復位した。一仕事終わってまた退位して、また復位した。メフメト二世の性格が捻くれたのは、この一連のゴタゴタのせいでもあると思われる。
メフメト二世については語りきれない。非常に多才で残酷で魅力的な人物だ。さて、そのメフメト二世がコンスタンティノープルへの侵攻を決意したのは、マラ・ブランコビチ、ハレムでの名はマラ・ディスピナ・ハトゥンに見せられた一幅の絵がきっかけだったと言われている。
マラ・ブランコビチは、セルビア公の娘だった。セルビアは当時、オスマンとハンガリー両国が支配を争う地域で、度々反乱を起こしては制圧されていた。マラは、そんな宗主国への人質代わりに、ハレムに送られたのだと考えられる。