第22話 雄弁なる沈黙の一族、カンテミール家
文字数 1,494文字
あのさ、俺の時代(十八世紀初頭)トランシルバニアはハンガリー領だから。ヴラド三世は、オスマン帝国との戦争や、領主たちの粛正でよく知られているけれど、若い頃は人質で、弟はオスマンに走るし、最後にはハンガリーの捕囚になって改宗させられた苦労人でもあるんだからな。
“カンテミール”という名がそもそも、『カーン(Khan)タミール』からきているらしいからね。この地域は古くからスラブ人、ローマ人、タタールの侵攻、ドイツ騎士団の移住、オスマン帝国の支配、ファナリオテス(ギリシャ人名家)の進出と、多くの民族が共存してきたところだから。
マリア・カンテミール:US public domain
ピョートル最後の男子を産んだものの、その嬰児は皇妃エカチェリーナに毒殺されたと言われているのは、本文の通りです。エカチェリーナは、かつて自分がエヴドキナ・ロプーシナにしたように、マリアが自分にとってかわって皇妃になるのではないかと恐れていたらしい。
カンテミール家の話に戻すと、ディミトリエ・カンテミールはモルダヴィア公時代にロシアと結んでオスマン帝国に叛旗するが敗北し、ロシアに亡命しました。ピョートルは領地を与え、公爵待遇で受け入れたと言われています。
息子のアンティオカスは外交官としてロンドンとパリに駐在し、啓蒙学者たちと交流した。“ロシア詩の父”と呼ばれることになる文人だ。もう一人の息子コンスタンティンは、アンナ女帝への反逆罪で追放刑になってるけどね…