第1話 取りあえずカフェヴェ

文字数 1,147文字

初めまして、ラースタチカです。十八世紀当時のオスマン帝国について話すよう言われてきたんですが…
グリシナです。締め切りに追われている最中に別のことを始めてどうするのでしょうか。本編に戻らせていただきたい。
全くもって同感です、と言いたいところですが、ここは本編のネタ倉庫のようなものにしたいらしいですよ。オスマン帝国史は、同じ帝国と言ってもローマ帝国史や中国史より知られていないですからね。少しでもその面白さを伝えたいと…
コーヒーの一杯でも出してもらいたいものだね!
はい、一回目は作中しょっちゅう登場するコーヒーとお茶についてです。
なんというこじつけだ…トルコ・コーヒーはユネスコの無形文化遺産だぞ。十六世紀にはコーヒー豆が帝国に伝わっていたと言われ、十七世紀を通じてヨーロッパよりも早くコーヒーを飲む習慣が広まった。
東アジアとは異なり、オスマン帝国ではコーヒーが先に普及して、お茶は却って新しい習慣なのですね。今では一人当たりの茶葉消費量がイギリスよりも多いらしいですが。国内ではリゼ県が主な茶葉の産地です。
ジェズヴェという小型の鍋で煮出してつくるのがトルコ・コーヒーの特徴かな。まあ、コーヒーやお茶を楽しむ金銭的・時間的余裕が有ることは、豊さの現れとも言えるのだろうが。ラースはよくカモミール・ティーを飲んでいるよな?
ええ、十八世紀前期では、コンスタンティニエでもまだお茶は浸透していません。じゃあ一般人は普段何を飲んでいたのか、という話でして…ビザンチン時代からの水路と貯水池が有るので、水は確保できると思うのですが。フランスのようにワインを飲んでいたのでしょうか?でもアルコールは戒律上飲んではいけないのでは…(コーヒーも当初は禁止されていたようなので、大分現実的に対応している気もしますが)カモミールの薬効は当時から知られていたようですよ。
三十年戦争の折に、ヨーロッパでジャガイモの栽培が広まったことはよく話題になるけれど、オスマン帝国から今の世界の食習慣に影響を与えたものも少なくないんだよ。コーヒーしかり、トウモロコシしかり。
本編でコドル室長代理も言っていましたね。オスマン帝国では、トウモロコシ生産には課税しなかったようです。ワラキアで、ママリガなど、トウモロコシ料理が好まれるようになった一因でもありそうです。
ママリガか…腹が減ってきたな。ちなみにワラキアのママリガと、イタリアのポレンタはローマ帝国がルーツだと言われている。
時代小説を書いていると、どうしても西洋中心史観になり易いですが、オスマン帝国が近代化の荒波に揉まれながら生き残った過程から、違うものが見えてくるかもしれない。このチャットノベルは、そういう些細な物事に、妄想やらファンタジーやらを付け加えてお送り致します。
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