第16話 月は東に日は西に(シンボルの話)

文字数 966文字

前回のタイトル、「太陽と月に背く」の“月“というのは、オスマン帝国のことですよね。
そうね。オスマン軍旗は月だらけだよな。建国の王オスマン一世が胸に月の宿る夢を見た、とか、ムラト一世がコソボの戦いにおいて見た血の海に映った月だとか、メフメト二世がコンスタンティノープル陥落前夜に見た月の夢だとか、いろいろな伝説があるが、オスマン帝国のシンボルと言えば、月、特に三日月だ。
新月旗1685: US public domain
でもどうなんでしょうね?イスラム教は偶像を禁じているはずですが、月はシンボルとして良いんでしょうか?
そこはなあ…だから本来イスラム装飾というのは幾何学模様だろ?オスマン帝国が新月章をやたら使うものだから、イスラムのシンボルだと思われがちだけど、微妙に違うのよね。
現在の国旗は赤地に月ですが、当初は緑地に月が主流でした。緑はイスラムにとって高貴な色ですね。なぜ赤地になったかというと…どうやらもともと軍艦旗の仕様が赤だったようですね。緑だと海上では映えないからでしょうか。
クロワッサンはフランス語で三日月という意味で、オスマン軍の包囲を破ったウィーンが、オスマン軍旗をなぞらえたパンを焼いたのが始まりという説があるが、これは間違いと思われる。クロワッサンのレシピが登場するのは二十世紀初頭だ。
尤も三日月がオスマン帝国のシンボルであるという認識は、当時からヨーロッパでも浸透していたのですよね。
うん。例えば、八十年戦争(オランダ独立戦争)時に作られたゴイセン・メダルのなかに、”half moon of Boisot”と呼ばれるものが有るんだが、これは三日月を形取り、オスマン帝国との共闘を呼びかけたものだ。
オランダはカソリック教国のスペインと対立した新教国ですので、同じくカソリックの敵であったオスマン帝国に親近感が有ったのですね。
ちょっと話は逸れるが、オスマン帝国初期に宿敵であったティムールのシンボルは星、“サーヒブ・キラーン”だ。
吉兆の合、木星と金星が太陽に重なる蝕の支配者、という意味で、類稀な王であることを示唆します。あ、だから軍旗は黒地に赤い三つ星なのか。
サマルカンドのウルグ・ベク天文台は、当時最先端の天文研究を行っていた。オスマン帝国は、彼らの事業からも恩恵を受けていたに違いない。次回は暦の話かな?
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