第5話 ここから始まった、”デヴシルメ”

文字数 1,034文字

歴史好き女子の同意を得られると思ったら大間違いだからな、作者。デヴシルメのどこに萌える要素が有るんだ。
最終選抜者はエリート中のエリートですよ。帝国では『内面の秀麗さは外面にも現れる』と考えられていたので、容貌の美しさも選考基準の一つです。
バルカン地域のキリスト教家庭から、十〜二十歳くらいの男子を徴用する制度をデヴシルメという。一応都市部、地方の技術者子弟、家を継ぐ長男は対象外にされていたらしい。十五世紀頃から始まり、十七世後半には立ち行かなくなっていた。
ここで詳しい政治の話はしませんが、十八世紀を通じて帝国は何度も内政改革を試みました…まあ、世襲化が進んだことと、お金が掛かることが主な要因なんでしょうけれど。
そりゃ金と時間と人手は掛かっただろうよ…エンデルーン(宮内部)がリクルーターを派遣して、村や街で一次選考して。
コンスタンティニエまで連れ帰る過程でニ次選考ですね。野営が続くなか、心身共に優れた、少年グループを率いることのできそうな数名だけが、サライのパレス・スクールに進学できます。
その他の少年たちは、アナトリア地方の家庭に預けられ、働きながら地元の学校に通い、下級士官になるべく育てられる。
パレス・スクールは全寮制です。語学・文学、兵学・実技、美術・芸能と、高度な教育を受けることができました。卒業まで大体七年ほどかかったようです。
卒業後は能力適性によって、軍士官か、宮廷小姓か、政務官かと道が分かれたが、これに限らず、宮廷音楽家や画家になった者もいた。
寮生活が長く、ホームシックになってしまう少年たちのために、教師の他にメンターのように生活上のアドバイスをしてくれる年長者がいたらしいです。
人材は重要だからな…国の発展がかかっている。もっとも彼らの身分は“スルタンの奴隷”だ。
“スルタンの奴隷”は、スルタンに絶対服従であるという意味合いであり、それ以外で差別や行動の制限を受けることはありません。大宰相はデヴシルメ出身者が多く、つまり奴隷でも大宰相になれます。奴隷身分や宦官から高級官吏や地方長官に登用された方々もいました。
西欧諸国での奴隷制度とはちょっと違うんだよな。といっても、侵略地での誘拐略奪行為や人身売買は相変わらずなんだが。
そうですね…デヴシルメ徴用者は一代限りの地位を享受するものとして、結婚して家庭を持つことは禁止されていました。が、これは全く形骸化していたようです。
ハレム(後宮)にも女学校があったんだぞ。次はハレムの話でもする?
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