第6話

文字数 6,096文字

第6話 私は時計回りよ

暑い夏が来た。
今年の夏、正弥と花織は予備校通いと勉強に明け暮れる毎日だった。
正弥が勉強する姿を見て花織の気持ちが煽られ、花織が勉強する姿に負けず嫌いの正弥の心に火がついた。
いつしか互いにライバルのように競い合い、次第に二人とも模試の成績が上向いてきた。

そんな夏休みの夜、足利花火大会が開かれた。
例年50万人が訪れる大規模な大会だ。渡良瀬川に向かって人の波が続き、その列の中に浴衣を着た花織と繭実がいた。
川に近づくと地響きのような爆発音と夜空一面に広がる大輪の花火が壮観だった。
花火大会の時には誰かが決めたわけではないが同級生たちが何となく集まる暗黙の場所がある。二人はそこへ向かった。
知っている顔が見えると団扇(うちわ)で呼び寄せる合図をしてきた。学校の制服とは違うお互いの浴衣姿を見せ合い褒めあうのが楽しかった。

仕掛け花火が始まる頃には仲間の人数はますます増えてきた。
花織の背後から声が掛かった。振り返ると箕輪佐智子だった。
「花織。聞いたわよ。受験するんだってね」
花織は頷いた。
佐智子は団扇で口元を隠しながら耳元で囁いた。
「勉強で忙しい中、申し訳ないけど。鳩谷君のこと覚えているよね」
花織は無言で再び頷いた。
「夏が終わればそろそろ学園祭シーズンに入るよね。あの話のことお忘れじゃないよね」
花織は内心驚いた。学園祭のことはすでに忘れられていると思っていた。
佐智子は本気のようだ。もはや適当にあしらうのが難しくなってきた。

雷のような轟音と共に花火が夜空にひときわ大きな花を咲かせた。
すると佐智子は突然大声で叫んだ。
「花織! 受験頑張れぇ! ファイト!!」
続いて同級生たちも同調して手拍子と大合唱が始まった。
「カ・オ・リ、ファイト! ファイト!! イェッー!」
浴衣姿の佐智子がベンチの上にいきなり立ち上がり、ジュリアナ東京のお立ち台のようにパラパラを踊り出した。
頭の上で団扇を大きく振り、腕をクロスしたり、広げたり、腰を振って見事なダンスパーフォマンスを魅せた。
彼女は一体どこで覚えたのだろうか。花織は初めて見るパラパラに目が点になった。
「受験頑張れぇ! カ・オ・リ、フ・ァ・イ・ト! ファイトォォォォ!」
合唱が終わると佐智子は花織の側に駆け寄り、再び耳元で囁いた。
「マジ恥ずかしい思いして踊ったわ。今の必勝祈願で借りを返したわよ。学園祭をよろしくね」
その言葉を聞いた途端、花織の頭の中で打ち上げ花火が暴発した。

翌日、花織は明京大学に問い合わせて学園祭の日程を聞き出し、佐智子にその日程を伝えた。
しかし健人を佐智子に引き合わせる気など全くないし、絶対にあり得ない。
会いたいのは花織自身の方だ。
そのため花織も志望校の下見に行く理由をこじ付けて佐智子に同行することにした。さらに援軍として繭実も誘うことに決めた。

その夜、花織は家の隣にある工場の事務所に忍び込んだ。
家族に聞かれて困る電話はいつも夜中の事務所と決めている。
人のいない事務所で彼女が電話をしているデスクだけ明かりが灯っていた。
彼女は繭美を学園祭に誘うと、電話の向こうで叫ぶ声が聞こえた。
「3人で学園祭に行くって。気でも狂ったの? 佐智子を彼に会わせるために行くなんてバカじゃないの!」
「誤解しないでね。健人さんと佐智子を会わせる気なんて全くないわ。だから佐智子に会わせずに私たちだけで会う方法は何かないかしら」
「かなり難しいね。彼らが学園祭当日にどこにいるのか知らないし」
お互いのため息が電話を通して伝わってきた。
繭実はぽつりと尋ねた。
「思い切って彼らに電話して聞いてみる?」
「私はムリだよ。ずっと連絡来ないんだよ。怖くて電話できないよ。繭実はできるの?」
「私もダメだよ。私も連絡ないから。もっとムリ」

薄暗い事務所の奥でFAXが点滅し始めた。和菓子の注文だろう。花織はその点滅をぼんやり眺めながらタメ息をついた。
「ねえ。学園祭でもし健人さんが誰か他の女の人と仲良くしていたらどうしよう」
「その時はさ。佐智子に遠くからそれを見せてあげればいいよ。それできっと諦めるかも」と繭実はいとも楽観的に答えた。
佐智子はそれで諦めてくれるだろうが、それは花織自身も諦めなければならない最悪の結末だ。
「でもさ。佐智子と一緒にうなだれて帰るエンディングなんて悪夢としか言いようがないね」

FAXの点滅が止むと受信した和菓子の注文書をプリントアウトする音が響いた。
「繭実さ。それじゃ女の人の気配がなかったらどうするの」
「それはもう運命の再会でしょ」
「でも私たちを受け入れてくれるかしら」と花織は消え入りそうな声で聞いた。
「当たって砕けろでしょ」
「あぁ。心まで砕けてしまいそう」
結局、佐智子に会わせずに自分たちだけが会えるご都合の良いシナリオは思い浮かばなかった。
そして日にちだけが過ぎて行った。



今年は雨が多い蒸し暑い夏だった。それもようやく終盤に入った。
ひぐらし蝉が鳴く夕方になると少し涼しさを感じるようになってきた。
明日、いよいよ明京大学の学園祭だ。
花織は自室で勉強を始めようとしたが、明日のことが気になって勉強に全く手が付かなかった。
もし箕輪佐智子がキャンパスで先に健人を見つけてしまったら大変だ。独占欲の強い佐智子の性格からして花織たちが入り込む余地は全くないだろう。
だから佐智子には彼の所属学部などは伏せていた。

彼が農学部で発酵学を学んでいることは聞いていたので学部関連の展示教室にいる確率がきっと高いだろう。
あるいは学食にいる確率も高いだろう。
しかし、サイクリング同好会のような所にいたら、どこの建物か見当がつかない。そこに一抹の不安が残った。

そこへ母の和子が部屋に入って来た。
店に出せない角の欠けた最中とお茶を入れたお盆を夜食としてデスクの横に置いた。
「勉強、頑張っているようね。明日、気を付けて行ってらっしゃい。たまには息抜きして来なさいね」
花織にとって明日は息抜きどころか、緊張の1日になるような気がした。

朝を迎えた。東京へ向かう南の空は雲間に青空が広がっていた。
足利市駅から約3時間近くもかかって明京大学に到着した。
いよいよその時が来た。花織、繭実、佐智子の3人は校門に掲げられた学園祭の大看板を見上げた。
林に囲まれた広大なキャンパスにいくつもの大小の建物が見えた。
佐智子は今、流行りの肩パット入りのコンサバジャケットとミニスカで、上から下まで隙のないスタイル。
一方、花織と繭実は鎌倉の海で彼らと出会った時と同じカジュアルな服装にした。それは彼らの方から見つけてもらえる可能性も考えたからだ。

校門近くで受け取ったキャンパスマップを広げた。
農学部校舎がキャンパスの左側にあることを花織は確認した。
しかし佐智子はマップも見ずに先に宣言した。
「私、左回りに探すわ。あなたたちは大学の下見に来ただけでしょ。自由に見に行っていいわよ」
花織は聞いた。
「あのう。どうして左回りなの」
「私、ディズニーランドでは左側のカリブの海賊から時計回りにいつも回るって決めているのよ」
そして佐智子はバックからポケベルを取り出した。
「あなたたちはもし彼を見つけたら私のポケベルにすぐ連絡してちょうだい」と佐智子はそう言い残すと左側の校舎の方へ走り去った。

最初から意表を突かれた。
花織は左の農学部校舎に健人たちがいないことを祈った。
花織は繭実の手を引っ張って言った。
「学食は正面奥にあるわ。そっちへ行ってみない」
二人は広いキャンパスを真っすぐ小走りに走った。
キャンパスは学生たちで溢れていた。ヤキソバを売る模擬店の間に山積みの野菜を売る店もあった。
さすが農学部がある大学だ。まるで農協の朝市のようだ。
学食のサンプルショーケース前は人だかりだった。人をかき分けて学食の中へ入った。
昼前のせいか座っている人はまだ少なかった。各テーブルの間を小走りに探したが全く見つからない。

学食はあきらめたが落胆している暇はない。次の捜索先を考えなければならない。
銀杏並木に並ぶベンチの上に学園祭のパンフレットを広げ、案内マップを見渡した。

その時、ウサギを抱いた女子学生と白いヤギを引き連れた男子学生たちが牧畜体験の案内を大声で呼びかけながらやって来た。
愛くるしいウサギを撫でようと繭実が手を伸ばした瞬間、彼女の悲鳴が挙がった。
隙を狙ってヤギが案内マップの紙に喰らいついた。
ヤギに負けまいと紙を懸命に引っ張った。だがヤギの食欲の方が一枚上だった。
「ぅめぇぇぇ」とヤギが一鳴きすると老師のような白髭を蓄えたアゴを遠くに向かって振った。
「どうしよう? もう迷子だわ」と繭実は呆然と立ち尽くした。
「こうなったらあのヤギさんが示した方向へ行こう!」



その頃、健人と純次は農学部の建物にいた。
発酵についての歴史、仕組みを解説する展示物に囲まれた教室で、その説明を担当していた。
健人は白い繭のような着ぐるみを被っていた。その着ぐるみの周りには小さな繭玉をたくさんぶら下げていた。
しかし着ぐるみに手はなく、脚だけが動かせた。

教室に学生服姿の可愛い女の子が入って来た時、純次はワザと着ぐるみの背中を押した。
健人はよろけて脚をバタバタさせて女の子にぶつかりそうになった。
女の子は身をかわしながら言った。
「わぁ、これ何よ。キモ過ぎるぅ」
「これ、米麹菌(こめこうじきん)ですよ」と純次は自慢げに説明し始めた。
しかし女の子はその説明を聞かずに逃げて行った。
「お前、押すなよ。この着ぐるみは前がよく見えないんだよ」
「脚をバタバタさせて踊ると麹菌が元気よく増殖しているように見える。なかなか良いぞ」
「そうか。いい感じか。わかった」
純次にそそのかされて、来る人、来る人に向かって健人は脚をバタバタさせて踊った。

やがて教室に佐智子が入ってきた。
展示を見る様子もなく、教室内を一巡して人の顔を覗き込みながら足早に歩いていた。
健人は佐智子に向かって相変わらず脚をバタバタさせて踊った。
それを見た佐智子は眉をしかめて教室を出て行った。
純次は着ぐるみに向かって耳打ちした。
「今のコンサバの人、足利のファミレス前でつまづいた女の人じゃないか」
「良く見えなかったよ。純次のことは気付かなかったのか」
「僕の顔は覚えていないようだな。でも健人のことは覚えているかもな」
「どうして遠い足利からわざわざここまで来たのだろうか」
「うぅむ。訳がわからん」

しばらく考え込んだ末に純次が何か閃いた。
「今の女の人、展示を全く見ないで人の顔ばかり見ていた。もしかして健人、お前を探していたのでは」
「まさか。僕をか……。それにしても、これ暑いな」と言って健人が着ぐるみの頭を脱ごうとした時、純次が止めさせた。
「もうしばらく我慢していろよ。お前を探しているのかどうか様子がわかるまで、まだ顔を隠していた方がいい」
純次は廊下を見渡してコンサバ女がいないことを確認すると健人の着ぐるみの頭を開けてやった。
「あぁ。涼しい。サウナに入っているみたいだったよ」
純次はタオルを差し出した。
「僕たちが明京大学の学生だと知っているのは足利では北宮花織と青山繭実の二人だけだ」
「そっか。あの二人に教えてもらって今のコンサバ女が来たのだろか」

純次は説明用に置いていた差し棒を伸ばしたり、縮めたりしながら推測した。
「あるいはあの二人がコンサバ女を連れてきたか、どちらかだな」
「もし連れてきたなら、あの二人がこのキャンパスのどこかにいるかもしれない」
「よし、探しに行こう!」
純次が先に廊下に出た時、廊下の左奥から向かって来る二人連れの姿が見えた。
鎌倉の海で出会った時と同じ服装だ。間違いなく花織と繭実だ。
一方、廊下の右奥からは引き返してくる佐智子が見えた。
純次はとっさに教室に戻り、健人の頭に慌てて着ぐるみを被せた。そして純次は着ぐるみの後ろに隠れて、健人と純次はその場に固まった。

花織、繭実は手を振りながら駆け寄って来た。
佐智子も手を振って駆け寄って来た。
彼女たちは教室の前で出会った。佐智子が最初に口を開いた。
「そっちは見つかったの」
繭実は首を横に振った。佐智子はその返事にイラッとした顔で問いただした。
「あなたたちっ! 鳩谷君の学部、本当に知らないの? 本当は知っているじゃないの!」
花織は首を横に振った。

しばらくその場で佐智子は腕を組んで黙り込んだ。何か思案している様子だった。
すると佐智子は教室に入って来ると着ぐるみに向かって急に近づいてきた。
健人が焦って後ずさりした時、健人の足の踵が純次の足の上に乗った。純次は歯を食いしばり痛みを堪えた。
「これ1つ頂戴ね」と佐智子は言うなり、着ぐるみからぶら下がっていた繭玉を強引に1つもぎ取った。
「これってあなたと同じ名前だよね。お土産に持って帰りな」と佐智子はその繭玉を繭実の手に押し付けた。
「あなたたち、もう見学は終わったでしょ。先に帰っていいよ。私は他の場所をもう少し探したいから」と佐智子は言い残すと廊下を足早に去って行った。

残された花織と繭実は遠ざかっていく佐智子をぼんやりと見送りながら、廊下に立ち尽くした。
繭実は手の平を開いて1つの繭玉をぼんやり眺めた。
すると手の平に繭玉がバラバラといくつも上から降ってきた。
繭実は驚いて顔を上げた。
純次は着ぐるみの健人を前へ押しのけてうめいた。
「うぅぅ痛てぇ。足をどけろ!」
着ぐるみが前のめりにひっくり返り、頭が外れて健人の顔が現れた。
花織と繭実はその懐かしい顔に思わず叫んだ。
「やったあぁぁぁ! ついに見つけたわ」

4人の顔が揃うのは花見野山荘に泊まった時以来のこと。
着ぐるみの健人を3人で手で突いて笑った。
「やめろ。麹菌をいじるな。発酵しちゃうぞ」
「よし。お酒になるまでもっと揺さぶろうぜ」と煽る純次の顔にも嬉しさが顔に溢れていた。
そして花織の顔にもうれし涙が光った。
久しぶりの再会に話が盛り上がった。

しかし再会を喜ぶ時間はアッという間に過ぎてしまった。
オレンジ色の西日が広がり長い影を映す時刻となった。健人と純次は花織と繭実を駅まで見送った。
彼女たちは改札を抜けるともう一度振り返り、手を振った。
何度も振り返り別れを惜しんだ。やがてその姿が見えなくなった。

健人と純次はキャンパスへ戻る道を歩いた。
純次は彼女たちから聞いた話に苦笑いしながら言った。
「繭実ちゃんの彼氏って子犬だったのか」
「純次お前、その恋敵の子犬に負けて花見野山荘の夜、半泣きだったぜ」
「頼む。それだけは繭実ちゃんには言わないでくれ」

学生街に面した食堂の看板に明かりが灯り始めた。
「花織ちゃんが僕たちの学校を第1志望にしているって言っていたな。入れたら最高だよな、なぁ健人」
「そうだな。でも今日やっと再会できたけど、入試が終わるまでお付き合いはお預けだろうな」と健人はタメ息まじりに呟いた。
「来年の春か。ちょっと長いな」

キャンパスに戻ると行き交う人もすでにまばらになっていた。屋外ステージは暗闇の中に沈み、静けさを取り戻していた。
しかし農学部校舎の窓にはまだ明かりが灯り、そこに学園祭の余韻をわずかに残していた。

第7話へつづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
  • 第1話 波乗りと自転車乗り

  • 第1話
  • 第2話 大事なテリヤキバーガー

  • 第2話
  • 第3話 ゆるゆるのソックス

  • 第3話
  • 第4話 皇室ご成婚パレード

  • 第4話
  • 第5話 勉強の歌

  • 第5話
  • 第6話 私は時計回りよ

  • 第6話
  • 第7話 どっちの恐竜にする

  • 第7話
  • 第8話 私はここよ

  • 第8話
  • 第9話 平成の米騒動

  • 第9話
  • 第10話 路地裏のない街

  • 第10話
  • 第11話 急げ、駅弁を買いに

  • 第11話
  • 第12話 気分爽快

  • 第12話
  • 第13話 今度私どこか連れていって下さいよ

  • 第13話
  • 第14話 闇夜に彷徨う

  • 第14話
  • 第15話 流行りのヨーグルトきのこ

  • 第15話
  • 第16話 七夕の夜、君に逢いたい

  • 第16話
  • 第17話 食べ損なった玉子焼き

  • 第17話
  • 第18話 カウボーイっぽいだろ

  • 第18話
  • 第19話 バラのとげ

  • 第19話
  • 第20話 一緒に何があるの

  • 第20話
  • 第21話 あの日と同じ窓から

  • 第21話
  • 第22話 過去の人になるのは誰

  • 第22話
  • 第23話 八雲立つ街に

  • 第23話

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み