第13話

文字数 6,289文字

第13話 今度私どこか連れていって下さいよ

健人と純次はキャパスのベンチで足を放り出して時間を持て余していた。
午後の授業が急に休講となり、昼休みを含めて3時間もの空き時間をどう埋めるか思案していた。
「なぁ健人。ゲーセンでも行くか」
「今日、財布が厳しいんだ。今日の昼メシ代がやっとなんだ」
「じゃあ。女子みたいにずっとおしゃべりしているか」
「それもムリ」
純次が何か思いついた。
「それなら久しぶりに麻雀でも囲むか」
「そんな金ないよ」と健人は眉をしかめた。
「一番負けた奴に雀代とメシ代を払わせれば良いんだよ。メシ食ってタダで遊べるし、どうだ名案だろ」
「負けたらどうするんだよ」
「勝てばいいんだよ。ほらカモになりそうな奴が来たぞ」
純次は通りかかった麻雀仲間に声を掛けた。
「よっしゃぁ! これで3人揃った。あと1人だな」と純次は得意げに周囲を見渡した。

その時、芽衣が通りがかった。
彼女は遠くから手を振るとこちらへ近づいて来た。
健人も手を振って応えた。すると純次が文句を言った。
「おいおい健人。女をカモにするのはまずい。それだけは辞めとけよ」
「大丈夫だ。ちょっと挨拶するだけだよ」
芽衣は健人の前に駆け寄って来た。
「この前、カラオケ盛り上がったよね。またやろうね」
「そうだね。あの日、調子乗って飲み過ぎたよ」
「それから、足利の実習も楽しかったよね」と芽衣は楽しそうに思い出話をした。
純次は二人に遠慮して隣で無関心を装っていたが、〝足利〟の言葉にハッとして芽衣の顔を見た。
すると彼女は純次の視線に気付いて軽く会釈した。
彼女は健人に尋ねた。
「ところで男ばかりで何の怪しい相談しているの?」
「これから雀荘(ジャンソウ)に行くところさ」
芽衣はメンバーを見渡しながら聞いた。
「でも3人しかいないじゃないの?」
面子(メンツ)を探しているところなんだ」
「面白そうね。それなら私でもいい? ぜひ誘ってくださいよ」
すると健人は純次に目線を送り、同意を求めた。
「別に構わないけど……」と純次は心配そうな顔で承諾した。

駅近くの雀荘に入り、麻雀卓を囲った。
店に昼食をオーダーしている間に芽衣がトイレに席を立った。
彼女の姿が見えなくなると純次は健人に聞いた。
「あの子、モデルでもやっているのか? すっごい美人じゃないか。どこでナンパしたんだよ」
「義理の兄の妹だよ」
「ウーン! それ、どう言う関係なんだよ」
「僕の姉夫婦を知っているだろ。その旦那に妹がいて大沢芽衣って言うんだよ。姉夫婦が結婚してから時々顔を合わせるようになったんだ」

芽衣が席に戻ってくるとすぐに麻雀が始まった。
ゲーム展開は点を取ったり、取られたりして4人の得点差はさほど開かないまま中盤を迎えた。
芽衣が一度も勝っていないものの一度も負けもせず手堅く持ち点を守っていた。
「大沢さんってガード堅いよね」と純次が聞くと芽衣は自信ありげに答えた。
「そうよ。私。身持ちが堅いから、むやみに誰にも尻尾振らないわよ」

終盤に入り、絶対負けられない健人は少しずつ着実に持ち点を増やしていた。
もはや彼はこのまま逃げ切れると見るや鼻歌交じりで(パイ)を並べた。
「そうだ京都、行こう。そうだ(ナン)で行こう。なんちゃって」と健人はダジャレを言いながら南牌を切って面前(メンゼン)に晒した。
すかさず芽衣はその牌を指さして叫んだ。
「あっ、それ和了(ロン)! 大当たり!」
ゲーム終了直前、健人は芽衣に持ち点をごっそり奪われてしまった。
「それ満貫(マンガン)だ。これは痛い! 健人やっちまったな」と純次が同情した。
芽衣は健人の手を握って囁いた。
「だから私。尻尾振るのは健人君だけよ」
一気に最下位に転落した健人は天井を見上げたまま固まってしまった。

そこへ注文していた食事が届いた。雀卓に座ったまま昼食タイムとなった。
純次は天丼を食べながら芽衣に尋ねた。
「あのう。さっき言っていた実習は足利だったのですか?」
芽衣はカツサンドを手に取りながら答えた。
「そうよ。醸造実習先を足利のワイナリーのコースに申し込んだら偶然。健人君も同じコースだったのよ。すごいラッキーだったわ」
「それで行ったのはワイナリーだけ?」
「足利学校とか少し見学したわね。それから先生が八雲最中を買って皆に配ってくれたの。良い先生だったわ」
純次は八雲最中の言葉に驚きを隠せなかった。
「八雲最中を買いに……ですか? お店にですか?」
「そうよ。お店よ。先生が有名な店だと言っていたけど。それが何か?」
「いや別に」と純次は言葉を濁した。
そんな会話を横目に健人は黙々と天丼を食べていた。

いよいよ会計となった。
健人は純次を店の隅に引っ張っていき耳元で囁いた。
「後で返すから頼む」
「わかったよ。あといくらあれば足りるんだよ」
するとレジの方で店員の声が聞こえた。
「ありがとうございましたぁ」
そこにクレジットカードをバッグに仕舞う芽衣がいた。
健人は芽衣を呼び止めた。
「一番勝った人が払うルールじゃないから。それはマズイよ」
「そうね。もっと美味しいもの食べたいな。今度私どこか連れていって下さいよ。それでどう?」
この負けの代償が後にさらに大きくなるとは健人はこの時、知る由もなかった。

雀荘からキャンパスに戻ると4人は解散した。
健人と純次は残りの講義に出るため、教室で隣り合わせに着席した。
「芽衣さん。健人にかなり気があるみたいだな」
「親戚同士だろ。恋愛感情なんてムリだよ」と健人は手を横に振って否定した。
「彼女はそんなこと気にしていないみたいだな。だって親戚と言っても血がつながっていないんだろ。だから法律的には結婚したってOKのはずだ」
「法律以前の問題としてそれはムリ。花織がいるから無理だよ」
純次はボールペンのノックで健人の腕を突ついて言った。
「じゃあ。仲良くする気もないなら、芽衣さんと距離を置けばいいじゃん」
「親戚だから無視して冷たい態度もできないだろ。そんなことして姉さんの耳に入ったら何を言われるかわからないよ」
「なんか面倒臭い関係だな」
純次はボールペンをクルクル回しながら何か思い出したように呟いた。
「でもさ……。あれだけの美人に惚れられたら。僕だったらクラッとするかもしれない」
「その貴重なご意見。繭実ちゃんに伝えておくよ」と健人が笑ってからかった。
純次が慌てているとようやく教授が教室に入ってきた。

午後の講義が終わり、健人と純次は帰り支度を始めた。
純次は尋ねた。
「なあ。芽衣さんのことだけど」
「芽衣のことが気になるのか。今度は純次が彼女に惚れたのか?」
純次は両手を広げて横に振って否定した。
「まさか。そんな面倒臭い関係に割り込む気はないよ。それより実習の帰り、八雲最中を買いに彼女は花見野山荘に入ったのか?」
健人は黙って頷いた。
「もし健人と芽衣さんのツーショットを花織ちゃんに見られていたら誤解されるぜ」
健人は自信ありげに答えた。
「それは大丈夫だ。僕は店の外で待っていたから絶対に見られてないはずだ」
「それならいいけど……山梨とか長野コースもあるのに、なぜわざわざ足利のコースなんか選んだのか?」
「実習の帰りに花織と逢えると思って申し込んだら大誤算だった。参加者リストを見てビックリだよ! 大沢芽衣の名前があったんだ」
「危ない橋を渡るのはこれっきりにしな」と純次は心配そうに言うと席を立った。



数日後のランチタイム。純次は発売されたばかりのMDウォークマンを聴きながら学食で一人、カレーを食べていた。
すると急に両耳のイヤフォンが背後から誰かにスッと外された。
「あら下島君。一人なの?」それは大沢芽衣だった。
口をモグモグしながら彼は口を押えて頷いた。
「それならここに座ってもいい? ハイ。これデザートよ」と芽衣はハーゲンダッツのアイスクリームを純次のトレイに置いた。
純次はアイスを押し戻して断った。
「これ他の友達と食べる予定だったんじゃないの?」
「気にしないでね。一緒に食べよ」
純次は美人を前にして心臓の鼓動がいきなり頭を突き抜けた。
彼は粗相がないよう細心の注意を払い、カレーの付いたスプーンをペーパーナプキンで丁寧に拭くとアイスクリームを掬った。
芽衣はニコニコしながら言った。
「一緒に食べると美味しいね……ところで聞きたいことがあるんだけど。いい?」
彼は口にスプーンを入れたまま頷いた。
「健人君の誕生日の前日にね。彼の家に手作りケーキを届けてくれた女の人がいるのよ。誰だかわかる?」
純次はきっと花織だと直感した。アイスを貰った手前、一瞬正直に答えようとした。
だが、気持ちを押しとどめて答えた。
「ウーン、ちょっとわからないな」
「そっか。下島君でもわからないか……」

空になったアイスの容器を芽衣は自分のトレイに戻した。
そして再び聞いた。
「今度。下島君の家に健人君と一緒に遊びに行ってもいい?」
「実は同棲相手がいるもので……」と彼は穏便に断るつもりで答えた。
「それなら、なおさら楽しくていいわね」と彼女にあっさりスルーされてしまった。
純次は厄介だなと思いつつも顔に出さないよう尋ねた。
「大歓迎だけど。どうして僕の家なんかに」
「健人君にどこか食べに連れて行ってとお願いしたけど。でも外食すると高いでしょ。彼に散財させるのは可哀そう。だから家でお好み焼パーティならお手軽でしょ」
「気を使ってくれて嬉しいけど。健人の家ではダメなの?」
「健人君の家に私が行くとさ。叔父さんや叔母さん、兄貴たちが何かと割り込んできて家族パーティになってしまうわ。それってウザいでしょ」
「わ、わかった。OKだよ」と純次は渋々承諾した。
雀荘で芽衣に払わせず純次がすぐに立替えるべきだったと今更、後悔した。

芽衣が立ち去った後、純次は再びMDウォークマンを聴きながら食べ残しのカレーを食べ始めた。
すると急にウォークマンの一時停止ボタンが背後から誰かに押された。
顔を上げると健人がコロッケ定食のトレーを持って立っていた。
「険しい顔して食べているけど。どうしたんだ?」
「マジでヤバいことになった。芽衣さんが僕の家に乗り込んで来るんだ!」
純次は芽衣との話を伝えた。
健人はコロッケを箸に挟んだまま口に入れるのも忘れて呟いた。
「繭実ちゃんが芽衣さんと会ったらさ。芽衣さんを単なる親戚として見てくれるだろうか?」
「それはムリ。芽衣さんのことは女の直感で見抜かれる。花織ちゃんのライバル出現! そんな大ニュース、すぐに花織ちゃんに筒抜けさ」
「……だよな」と健人は食べるのも忘れて考え込んだ。

その夜、芽衣から健人の家に電話が掛かってきた。
「どこか食べに連れて行ってもらう約束のことだけど」
「忘れてはいないよ。で、何が食べたい?」
「お好み焼がいいわ。下島君と同棲している人と4人でお好み焼パーティしない? 彼もOKだって言ってたわ」
健人は再び満貫を振り込まれたようだった。
またしても彼は天井を見上げたまま固まってしまった。

その約束の日がやってきた。
北千住駅前の立体構造の広場で健人は芽衣と待ち合わせた。
二人は落ち合うと駅ビルのデパ地下で食材を買い込んだ。それから食材を抱えたまま居酒屋が並ぶ路地裏に入って行った。
狭い道の角をいくつも曲がって3階建てコンクリート造りのアパートに到着した。

ドアーを叩くと純次が顔を出した。
繭実はデパート勤務からまだ帰って来ていなかった。
部屋は繭実の趣味一色で、そこへ純次が居候している雰囲気だった。それは働いている繭実と学生の純次の経済力の差を感じるさせるものだった。
テーブルにはグリルがすでに用意されていた。
健人と純次が食材の下準備を手伝おうとした時、芽衣がそれを制止した。
「キッチンに3人も立つと狭いわ。だから男性たちは先に飲んでてね」と彼女は缶ビールを渡した。
食材がテーブルに並んだ頃には健人と純次はすっかり出来上がってしまった。

ようやく繭実が帰宅するとお好み焼きパーティが始まった。
他愛もない話で盛り上がっているうちに健人と純次は酔い潰れてしまった。
うつ伏せに寝入った彼らに芽衣はタオルケットを掛けると言った。
「すっごい楽しかったわ。そろそろ終電の時間だから帰るわね。健人君をよろしくお願いします」
健人をそのまま泊まらせることにした。
芽衣が玄関で靴を履くと繭実も追いかけてサンダルを履いた。
「この辺、路地が多くて駅まで道を迷うかもしれないから送って行くわ」
「それは助かるわ。ありがとうございます」
すっかり打ち解けた芽衣と繭実は話が尽きないまま夜道を駅まで向かった。

翌朝、純次は寝ぼけた顔で起きると隣の健人はまだ寝入っていた。
繭実が純次に気が付いて呼びかけた。
「おはよう。二日酔いは大丈夫? 朝ごはん食べれる?」
「僕は大丈夫だけど、芽衣さんはどうした?」と彼は辺りを見回して言った。
繭実はキッチンでフライパンに卵を落としながら答えた。
「終電で帰ると言うから駅まで送ったわよ」
「そうだったんだね。帰り道、芽衣さんから健人のこと何か聞かれたか?」
「色々聞かれたけど。どうしてそんなこと知りたいの?」
彼女の逆質問に純次は答えに詰まってしまった。

繭実は卵焼きを皿に盛りつけ、焼き立てのトーストを二人で分け合うと朝食を摂り始めた。
純次は無言のまま食べ始めた。
シーンとした重い雰囲気を変えようとして彼女は打ち明けた。
「1つ芽衣さんから質問されたことがあるわ。健人君の家に手作りケーキを届けてくれた女の人がいたそうだけど。誰だか聞かれたわ」
「僕も知らないよ」
「私。それってきっと花織だと思ったけどさ。確実なことわからないでしょ。一応知らないって言っておいたわ」
純次はトーストを口に入れたまま彼女の言葉に黙って頷いた。
「でもね。芽衣さんは健人君が付き合っている人のことなぜ気にするのかしら。親戚の子だと言っていたけど……何かそれ以上の関係がありそうね」
「やはり繭実ちゃんもそう思うか?」
「もちろんよ。昨夜だって健人君に妙にベタベタしていたわ。彼女って健人君と付き合っているの?」
「そんなこと無いと思うけど」
「本当かなぁ。純次君が知らないだけじゃないの。女のカンとして、あれは何かあるわ」
純次はまさか二人が本気で付き合っているとは今まで思っていなかった。
しかし繭実の言葉を否定できなかった。もしや自分だけが気付いていなかったのだろうか。

コーヒーメーカーの出来上がりサインが点灯した。
繭実は食器棚からコーヒーカップを取り出して並べながら尋ねた。
「ところで花織は芽衣さんのこと知っているのかしら」
純次はボトルを取り外すとそれぞれのカップに注ぎながら返事をした。
「花織ちゃんに言うのはマズイよ」
「だって花織が二股掛けられていたら許せないわ。親友として知らないフリできないわ」
「繭実ちゃん。波風立たせるのはマジ辞めた方がいいよ」
「わかったわ。健人君が起きたら本当のところ、あなたが聞いておいてね。頼むわよ。……あっ。もう仕事に行く時間だわ」
「後片付けは僕がやっておくから」
純次の言葉を合図に彼女はバタバタと走り回って支度をした。
やがて部屋を出て行った。

健人は部屋が静かになるとようやく目を覚ました。
しかし純次はまるで何事もなかったように彼に何も聞かなかった。
テーブルには繭実が口を付けずに置いたままのコーヒーがまだ微かに湯気を立てていた。
純次は眉間にシワを寄せ不機嫌そうな顔で健人の前にそのコーヒーを置き直した。
そして一言だけ言い放った。
「これでいい加減、目を覚ませよ!」
純次の厳しい言い方に何か皮肉まじりの意味を健人は感じた。
純次と繭実は朝からいったい何を話し合っていたのだろうか。
何もわからないまま少し冷めたコーヒーを飲んだ。

第14話へつづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
  • 第1話 波乗りと自転車乗り

  • 第1話
  • 第2話 大事なテリヤキバーガー

  • 第2話
  • 第3話 ゆるゆるのソックス

  • 第3話
  • 第4話 皇室ご成婚パレード

  • 第4話
  • 第5話 勉強の歌

  • 第5話
  • 第6話 私は時計回りよ

  • 第6話
  • 第7話 どっちの恐竜にする

  • 第7話
  • 第8話 私はここよ

  • 第8話
  • 第9話 平成の米騒動

  • 第9話
  • 第10話 路地裏のない街

  • 第10話
  • 第11話 急げ、駅弁を買いに

  • 第11話
  • 第12話 気分爽快

  • 第12話
  • 第13話 今度私どこか連れていって下さいよ

  • 第13話
  • 第14話 闇夜に彷徨う

  • 第14話
  • 第15話 流行りのヨーグルトきのこ

  • 第15話
  • 第16話 七夕の夜、君に逢いたい

  • 第16話
  • 第17話 食べ損なった玉子焼き

  • 第17話
  • 第18話 カウボーイっぽいだろ

  • 第18話
  • 第19話 バラのとげ

  • 第19話
  • 第20話 一緒に何があるの

  • 第20話
  • 第21話 あの日と同じ窓から

  • 第21話
  • 第22話 過去の人になるのは誰

  • 第22話
  • 第23話 八雲立つ街に

  • 第23話

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み