第7話

文字数 3,426文字

第7話 どっちの恐竜にする

学園祭に行って以来、佐智子は健人のことについて全く触れなくなった。やっと諦めてくれたようだ。
花織は嵐が過ぎ去った後の青空のような穏やかな気持ちになった。

花織は繭実の家にいる子犬の赤毛のチワワに会いに行った。
「この仔が繭実の彼氏ね。本当に可愛いわ」
「でしょ。花織のお兄さんもベタ惚れだったよ」
子犬は尻尾を振り千切(ちぎり)りながら花織の鼻先を舐めようと立ち上がった。可愛さのあまり花織は子犬を抱きしめて頬ずりした。
花織は子犬を胸から降ろすと聞いた。
「ところで本物の彼氏とはどうなの。順調なの?」
「純次君からディズニーランドへ行こうと誘われたのよ」
「いいなあ……やっぱ。東京は楽しいよね」と花織はタメ息をつきながら子犬の頭を撫でた。

一方、健人は二人をつなぐ糸が切れていないことを示すように彼は時折、サイクリングで行った先の写真だけを入れた手紙を花織に送ってきていた。
それは行った場所しか書いてない手紙ばかりだった。
入試を控えた花織の心を乱れさせない健人なりの配慮だろうが、可もなく不可もないものだった。

「繭実。これ試食してみない」と花織は手土産に持ってきたお店の試作品を差し出した。
それは赤毛の子犬の形をした可愛い和菓子だった。
「ひぇぇ。可愛い過ぎて食べられないよ。でも、なんかうちの仔にそっくりね」
「当然よ。だって繭実の仔がモデルだもの」
繭実は和菓子を手に載せて眺めながら。
「本当なの。でも、うちの仔が花見野山荘の和菓子にどうしてなったの?」
「実はね。来年は干支(えと)(いぬ)年でしょ。お父さんが正月向けに犬の形をした和菓子を作るから可愛いモデルを探してくれと頼まれたからなのよ」
花織もその和菓子を手に取って言った。
「……と言うわけで試作品の感想を聞きたいから持ってきたのよ」
「へえぇ。やっと和菓子屋の娘らしくなってきたね」
繭実は子犬の和菓子のどこから食べようかと少し迷って「ごめんね」と子犬に申し訳なそうに呟いて口に入れた。
「どう。どんな感じ?」
「うちの仔みたいで胸がいっぱいだわ。これって幸せの味ね」と繭実は苦笑いした。
「幸せの味? どんな味なの。よくわからないわ」
「幸せの味はね……私もよくわからないけど。うちの仔みたいな大事な相手がいればわかると思うわ」と繭実は困った顔で答えた。
「大事な相手かぁ……」と花織はぼんやりと窓の外を眺めた。
健人に逢いたくても逢えない今、花織にとって幸せの味を知るのはまだ遥か遠くにあるように感じた。



吐く息が白くなり、遠く山々が薄っすらと雪化粧していた。
花織は連日、夜遅くまでの勉強疲れで今朝も起きる時刻がギリギリだった。
眠い目を擦りながら学校のカバンを持ち、家の廊下をバタバタと小走りに急いだ。
玄関を出ようとした時、郵便受けに手紙が入っていた。それは健人からの手紙だった。
遅刻しそうな時間だ。手紙をカバンに入れたまま学校へ急いだ。

校門近くには足を急ぐ生徒たちが列を成していた。
花織は早く見たい気持ちを押しとどめながら道を急いでいたが、ついに我慢できず横道に逸れて地面にカバンを置いて開けようとした。
人の流れを背にしてしゃがみこんでいると背後から声がした。
「北宮。具合でも悪いのか。こっちへ来い」
その声は校門警備の担当をしていた数学の教師だった。
言われるまま保健室に案内された。
「保健の先生が来るまでベッドで横になってなさい」と教師は指示した後、彼は部屋を出て行った。

幸運にも花織は部屋に一人きりになった。
花織はベッドに座り、はやる気持ちを抑えながらカバンから手紙を取り出して開いた。
そこにはクリスマスカードが入っていてメッセージが書かれていた。
〝毎日受験勉強で忙しいと思いますが12月23日祝日、1日早いクリスマスイブだけど会いませんか。OKなら足利市駅10時10分着の電車で行きます。楽しみにしています。健人〟

花織はクリスマスカードを胸に抱いてベッドに横になってうれしさに浸った。逢える。逢える。
目をつぶると健人の顔が浮かんだ。
鎌倉の海の彼。家に泊まった彼。学園祭の彼。
彼に逢える。逢える。もうすぐ逢える。
止めどない幸せな気持ちに包まれて、いつしかベッドに横になったまま寝落ちしてしまった。

フッと目が覚めた。
どの位、眠っていたのだろうか。頭はすっきりしていて、とても気分がよかった。
ベッドを起き上がり、白いカーテンを開けると保健の先生の姿が見えた。
「起きたのね。あなた。爆睡していたわよ」と先生は苦笑いした。
花織は恥ずかしくて声が出なかった。
「テレビゲーム。それとも勉強なの。病名は単なる寝不足のようね。もう大丈夫でしょ。クラスへ戻りなさい」
花織は封筒がカバンの上に置いてあることに気が付いた。
さらに胸に抱いていたはずのクリスマスカードが封筒の中に戻されていた。
すると先生は言った。
「あっ、その手紙ね。隣のベッドの人が拾って私に届けてくれたんよ」
「あのう。隣のベッドの人って誰ですか?」
「あなた、隣に寝ていた人にも気が付かなかったん。えぇと誰だったんだがね」
先生は台帳を広げてチェックした。
「そうそう箕輪佐智子さんね。お腹の具合が悪くて隣でしばらく横になっていたんよ」
花織は呆然とした。
まさかこの手紙を佐智子に見られてしまうとは。天国からいきなり地獄へ突き落されてしまった。

花織は教室に戻っても佐智子と目を合わせられなかった。何を言われるのだろうか。
佐智子は学園祭まで行って一人踊らされていたことを知ってしまった以上、激怒しているに違いない。

廊下で佐智子とすれ違う時、彼女の視線を感じた。トレイで順番待ちしている時も背後から視線を感じた。視線が刺さるように感じるのに佐智子は何も言わない。
人間は怒りが頂点を超えると逆に何も言わなくなるだろうか。それが不気味だった。
花織と佐智子の間に異様な静けさが漂っていた。
翌日から佐智子から逃げるように顔を合わすことを避ける日々が続いた。



日曜日、花織と青山繭実はクリスマスプレゼントを探しにショッピングセンターに来ていた。
「花織。彼へのプレゼント決めたの?」
「何にしようか、迷っているわ。繭実の方は決めたの?」
「私もまだ迷っているのよ」
館内をあちこち彷徨い歩いているうちにシネコンの前に来た。
右の看板は安達祐実主演の邦画〝REX恐竜物語〟
左の看板には洋画の〝ジュラシックパーク〟
繭実は聞いた。
「この映画、見た?」
「まだ見てないけど。どっちも面白そうね」
「彼らも見たかしら」
花織は急にひらめいた。
「そうだ。プレゼントは恐竜のフィギュアにしない」
意見が一致するとシネコンの売店へ入って行った。
花織はREX恐竜物語のティラノサウルス。
繭実はジュラシックパークのティラノサウルスがそれぞれ目に止まった。
「ジュラシックパークの方がリアルよね」と繭実はキバを剥いた恐竜を手にしてした。
「それってリアル過ぎて可愛くないわ。REX恐竜物語の方が可愛いでしょ」と花織は目がクリクリとした恐竜の赤ちゃんを手にした。
「男の人はそんな子供っぽいのは喜ばないわよ」
「そうかなぁ。もし気に入ってもらえなかったら私がもらうわ」
「それはありね」

ようやくプレゼントは決まったが、館内を歩きまくって足が棒のようになってしまった。
二人はイートインになだれ込み、崩れるように座った。
「繭実さ。佐智子が不気味なくらい何も言わないのよ。何を考えているかしら」
繭実はアイスコーヒーを一気飲みして言った。
「クリスマスカードを見られてしまったのでしょ。グフゥ」
「彼に逢う日に佐智子も割り込んでくるかしら。心配だわ」
「まさか。いくら佐智子でもそんなサイテーなことしないでしょ」
花織もアイスコーヒーを一気飲みした。
「でも、考えてみればサイテーなことをしていたのは私たちの方かもね。グフゥ」
「学園祭で彼らを見つけても佐智子のポケベルに知らせなかったし、わざわざ学園祭まで行って一人芝居をさせられていたと知って恨んでいるだろうね」
繭実は頬を腕で突いてグラスに残った氷をストローで所在なく回していた。
「本気で怒っているから敢えて何も言わないのかも。それってほんとヤバいかも」
空になったグラスを挟んで二人は互いに目を伏せた。
「佐智子には本当に悪いことをしたよね」
花織は繭実の腕を掴んで懇願した。
「ねぇ。何か言われたら一緒に謝ろうね」
「それとも何か言われる前に先に謝った方がいいかな」
「それは……やっぱ、怖くてできないわ」

第8話へつづく
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