第8話

文字数 6,263文字

第8話 私はここよ

街はクリスマス一色になった。
ジングルベルの曲が流れ、サンタのコスプレをした売り子が店の前でケーキを売る準備をしていた。
花織は東武伊勢崎線足利市駅の改札前に早めに到着した。
佐智子はついに全く何も言って来なかった。
あんなサイテーなことをしてしまった以上、佐智子がどんな仕返しをしようとそれを天罰として受ける覚悟を決めた。
そして健人と逢う約束の時を迎えた。

周囲を見回したが、行き交う人もまばらで佐智子らしき人影はなかった。
どこか物陰に隠れてこちらの様子を伺っているのだろうか。あるいは駅のホームに先回りして待ち伏せしているのだろうか。
健人の前に立ちはだかる佐智子の姿を想像してしまう。
それを想像するまいと思ってもやはり想像してしまう。
時間が進むのが遅い。しかし胸騒ぎだけがだんだん大きくなってきた。花織は駅舎の陰に身を潜めてじっと彼を待った。

列車の到着予定の十時十分になった。電車の音が聞こえる。
乗降客が次々と改札口を目指して来るのに健人の姿がなかなか見えない。待つ時間がもどかしい。
ようやく彼の姿が見えた。彼一人だけだ。
改札を出ると彼は周囲を見回している。きっと私を探しているのだろう。
学園祭以来、久しぶりに見る彼だ。
〝私はここよ!〟と叫びたい気持ちをグッと堪えた。
佐智子はいつ現れるか。どこから現れるのだろうか。1分が1時間のように長く長く、すごく長く感じる時間だった。

健人は駅員に何か話しかけた。
すると駅員は渡良瀬川を挟んで向う側にある両毛線足利駅の方を指さしている。
突然彼はそこへ向かって走り始めた。
きっと彼は足利市駅と足利駅を間違えたと思ったのだろう。
慌てて花織も彼を追いかけた。けれど彼のスピードに追いつかない。どんどん差が広がってゆく。
交差点で猛スピードで信号無視の車が迫る。彼は一瞬たじろいて立ち止まった。
その後ろから思わず彼の背中に抱きついた。
「私はここよ!」

ついに佐智子は現れなかった。
雲一つもない真っ青な空が広がっていたが風はとても冷たかった。
花織はハーフコートのポケットに手を入れず指先に息を吹きかけていた。
すると健人は彼女の手を彼のダッフルコートの大きなポケットの中に引き込んだ。
そしてポケットの中で手をつないで歩いた。
佐智子のことは思い過ごしだったと思うと心が落ち着いてきた。
ホッとすると同時にポケットの手も暖かくなってきた。
「今度は私のポケットに手を入れてみて」と花織は自分のポケットを指さした。
健人は言われるまま彼女の膨らんだポケットに手を入れてみた。すると何か丸味のある形のものが入っていた。
「メリークリスマス! あなたへのプレゼントよ」
「ありがとう。だからポケットに手が入らなくて手を外へ出して我慢していたんだね」

健人はプレゼントの包みを開けると恐竜の赤ちゃんが現れた。
「君の受験が終わるまでこれを君だと思って飾るよ」
「あぁ受験。早く終わらないかな。それまでまた逢えなくなるね。寂しいなぁ」

「それなら僕だと思って欲しいものがあるよ」と彼は自分の反対側のポケットを指さした。
花織は彼のポケットに手を入れると包みがあった。
「メリークリスマス! 君へのプレゼントだよ」
彼女はその包みの開けると叫んだ。
「うわっ! トトロだ。ありがとう!」
「この映画。見たことある?」
「見た。見に行ったよ。これ欲しかったの。嬉しい! これあなただと思って大事にするね」
二人はとなりのトトロの歌を口ずさみながら石畳の道を歩いた。

鑁阿寺、旧跡足利学校。花織にとって、いつも見慣れた風景なのに彼と歩く風景はキラキラ輝いていた。
日本最古の学校、足利学校の広い縁側から差し込む陽光の先には美しい築山が見えた。
街の中心にあるにも関わらずここは別世界の静寂があった。

二人は門前に並んだ店を覗いては食べ歩きをした。
足利の街は広い通りを歩くと狭い路地が時折、顔をのぞかせる。
路地の奥には隠れ家のような店があり、神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「僕の住んでいる所にはこんな雰囲気のある路地裏はないんだ。この街はいいね」
花織にとっては見慣れた場所。路地裏がない街なんて考えたこともない。彼の住む街って一体どういう街なのだろうかと思った。

織姫神社がある山の入口に来た。
その神社は縁結びの神様。花織はそれを祈るために彼を連れて行こうと決めていた。
「ねぇ。ここ一緒に行きたいけどいい?」

長くて急な石段を登り、朱色の社殿に向かった。
社殿前で二人並んでお参りをした時、彼は大きな声で願った。
「花織が明京大学に絶対に、絶対に合格できますようにぃぃ」
彼女は願い事を大声で読み上げられて気恥ずかしかった。
けれど今の自分にとって縁結びより合格祈願の方が最優先の願い事だったことを彼に気付かされた。
縁結びとは違う展開になってしまったが彼女も自分の合格を祈った。
「ありがとう。私のこと祈ってくれたのね。きっと神様も良く聞こえたよね」

二人は社殿前を下がると社務所のお札授け所に向かった。
花織は今度こそ〝縁結び〟のお札を手に入れようとしたが彼に先を越されてしまった。
「これを持って受験してください」と彼が渡したのは〝合格祈願〟のお札だった。
「は、はい。ありがとう」
またしても縁結びの祈願は空振りに終わってしまった。

二人は神社の手摺りに寄りかかって眼下に広がる足利の街を眺めた。
街の真ん中を流れる渡良瀬川が光っていた。
「前に来た時、あの川を自転車で遡ってきたんだ。懐かしいな。あの川まで行ってみないか」
織姫神社の帰りは急勾配の石段とは異なる七色の鳥居が連なるつづら折りの緩い女坂を下りた。

渡良瀬川に向かう歩道を二人は歩いた。
歩きながら花織は1通の手紙を彼に差し出した。
その差出人は沢田(さわだ)拓海(たくみ)木原(きはら)明美(あけみ)と連名で書かれていた。それは鎌倉の海で助けたカップルのサーファーからだった。
鎌倉海岸での事故から数日後、拓海はサーフボードが預けられたホテルに引き取りに行った。
その際、預けた花織の住所を教えてもらい手紙を出したようだ。
「この手紙、私宛てだけど健人さんと純次さんへのお礼の手紙でもあるの」
健人は手紙に目を通した。
それは木原明美を助けてくれたことへの感謝の言葉が綴られていた。
「あの女性、頭にケガしていたから心配だったけど・・」と彼が言いかけた瞬間、ドスンと大きな音を立てて健人が頭を抱えた。
歩道にせり出してポツンと立っていたガラス張りの公衆電話ボックスに頭から激突した。
電話ボックス前の床屋の店主が箒の手を止めて駆け寄ってきた。
「あっ、兄ちゃん。大丈夫かね。頭、ケガしなかったんだがね」
「だぃ……大丈夫です。すいません」と彼は照れ笑いした。
「自分の頭の方こそ心配ね」と二人で大笑いした。

「そうだ、この手紙。明美さんの電話番号書いてあるね。ここから電話してみないか」と健人は誘った。
二人は電話ボックスに入ると彼が電話を掛けた。
受話器から明るい声が漏れてくる。明美の声だ。
しばらく話をして電話を終えると彼は言った。
「明美さん達、来年、結婚すると言っていたよ」
「ほんと! 素敵」と電話ボックスの中で花織は思わず歓声を上げた。
狭いボックスの中で身体をくっつけているとほんのり暖かくなった。
ボックスのガラスはいつの間にか息で白くなり始めていた。
「このまま出たくないね」
「うん」
床屋の店主は独り言を呟きながら落ち葉を掃いた。
「わしもあんな時があったなぁ……」

床屋のある交差点をさらに進むと八雲神社の前に出た。
花織は鳥居を見上げて説明した。
「この神社は平安時代に作られたと聞いたわ。市内に八雲神社は5つあって、ここはそのうちの1つよ」
鳥居をくぐると境内は静かな(ただず)まいの木々に囲まれていた。
さらに参道の奥には古めかしい社殿が見えた。
「うちの店の八雲最中の名前の由来はこの八雲神社なの」
健人は聞いた。
「何か八雲の名に何かこだわりがあるようだけど。どんな意味があるの?」
八岐大蛇(やまたのおろち)伝説を知っているでしょ」
「あぁ。知っているよ。ヤマタノオロチに襲われそうになったクシナダ姫をスサノオが助けた話だよね」
彼女は立ち止まると八雲の由来を語りはじめた。
「ヤマタノオロチを退治した後、スサノオはクシナダ姫を妻に迎えたの。その時スサノオはその喜びを和歌で詠ったの」

その和歌とは〝八雲立つ、出雲八重垣妻ごみに八重垣つくる 、その八重垣を〟
意訳すると〝八重に重なる雲が湧き立つこの地に妻を迎える新居を構えることができた。そこには八重に重なる垣根を作りたいものだ〟
この和歌は日本最古の和歌と言われている。

花織は由来を締めくくった。
「この和歌にあやかって花見野山荘も八雲立つ幸せの地となることを願い、最中の名前にしたそうよ」

白い砂利の参道を歩くと軒の高い古い檜造りの本殿が現れた。
社殿前に進むと花織は今度こそ縁結びの願いを祈ろうと思った。
二人並んでお参りをした時、健人は今度は黙ったまま祈っていた。彼女はそれが気になった。もしかして彼はまた合格祈願を祈ったのだろうか。
それとも縁結びを祈ってくれたのだろうか。彼に少し聞いてみたくなった。
ところが彼の方が先に聞いてきた。
「君は何を祈ったの?」
「それは内緒。願い事を話すと叶わないって言うでしょ」
「健人さんは何を祈ったの?」
「僕も内緒だよ。だって今、願い事を話しちゃダメと言っただろ」と笑った。
「あっそうかぁ」
絵馬掛所には古い絵馬の上に新しい絵馬が重なるようにたくさん掛けてあった。
合格祈願や安産祈願など願い事がそれぞれ書かれていた。
健人はお札の授け所に向かうと絵馬を1つ受けてきた。
そして彼は絵馬に願い事を書き始めた。
花織は彼が願い事として何と書くか筆先をじっと見つめて固唾を呑んだ。
〝二人の願い事が叶ったらまた一緒にお参りに来れますように〟

彼女の期待はうまくかわされてしまった。
願い事は何だかわからないけど、それが叶うことを願うという不思議な願い事だった。
そして最後に健人、花織の名前をそれぞれ書くとその絵馬を多くの絵馬の間に掛けた。

夕陽が傾きかけたころ、渡良瀬川の河原に出た。
渡良瀬橋の空に夕陽がかかり、橋のシルエットが影絵のようだった。
花織は夕陽を見ながら言った。
「あのサーファーの二人。幸せになってよかったね。でもあの時、あなたが居なかったら私一人では助けられなかったと思うの」
「そんなことはないさ。きっと君が全身ズブ濡れになって助けていたと思うよ」と彼は笑って応えた。
「やはり、そういう展開になるかぁ。彼らにとって幸せの青い鳥はあなたか私のどちらかがなっていたのね」
彼女は思った。見知らぬ誰かのために自分が青い鳥になる時が突然、やってくるものだと。

健人は夕陽を背にして振り返り、かつてサイクリングしてきた河原の道を懐かしそうに眺めた。
「あのサーファーにとって僕らが幸せの青い鳥かもしれないけど、僕らにとってもあのサーファーこそ青い鳥だと思う。もし、あの事がなかったら僕たちは今、こうして一緒にはいなかったかもしれない」
土手の道に長く延びた二人の影を見つめながら花織は出会いの奇跡を感じた。
幸せの青い鳥は突然目の前に訪れる。それも見知らぬ誰かによって。
二人は土手に腰かけて、ゆっくりと流れる帯び雲が懸かる夕陽を眺めた。

花織は思い切って告白した。
「でも私には青い鳥になる資格なんてないの」
「えっ。どうして」と彼は意表を突かれた顔をした。
「実は学園祭の時、もう一人、あなたを探していた女の人がいたのよ」
しかし健人は何も言わず、花織の話に耳を傾けた。
「その時、私があなたと付き合っていることを彼女に黙っていたのです。彼女はそうとも知らず学校中を探し続けていたの。私は人としてサイテーなことをしてしまったわ」
彼はやっと口を開いた。
「その人、僕が着ぐるみを着ていた時、目の前で探していたあの女の人だね」
「そう。その後、彼女は私たちの関係を知ってしまったの。騙されてメチャ怒っているに違いないわ」
「そうだね。普通なら怒ってもムリはないな」
「そしてあなたと今日逢うことまで知られてしまったのよ。だから邪魔しに来るかもしれないと疑っていたの。でも今、それが思い過ごしだとわかったわ。やはり彼女はそんな酷いことをする人じゃなかったのね」
花織はうつむきながら話を続けた。
「本当は謝りたいけど彼女に会うのが怖くて……私って情けないわね」

ときおり河原を通り抜ける風が冷たかった。
けれど夕陽に懸かる帯雲が一瞬消え、そのオレンジ色の輝きを一段と増した

静かに聞いていた健人が再び口を開いた。
「よく僕に話してくれたね。君のその気持ち、その女性にもうすでに通じていると思うよ」
彼は胸ポケットから封筒を出して見せた。それは箕輪佐智子から鳩谷健人宛ての手紙だった。
花織は驚きのあまり、言葉を失ったまま手紙を読んだ。

〝鳩谷さんからのクリスマスカードを偶然見てしまいました。それは私にとって、とてもショックな内容でした。
でも多くのことに気付かされました。私がこんな横恋慕をしていたことを私自身全く自覚していませんでした。
北宮花織さんにあなたのことを紹介しろと強引に迫ったから彼女はあなたとの仲を言えずにいたのでしょう。私の身勝手できっと彼女を苦しめたことでしょう。
彼女に今、謝りたい気持ちです。
そして、学園祭の日。北宮さんも本気であなたを探していたようです。でもあの日、きっと彼女はあなたを見つけることができたのでしょうね。あなたを見つけられなかった私の負けです。
もし負けた私からの願いを1つ聞き届けてくれるなら彼女を大切にしてください。
そして好きだったあなたには幸せになってほしいのです。必ず北宮さんと共に幸せになってください。

追伸、この手紙を差し上げたことを北宮さんには内緒にしてください。クリスマスカードを勝手に読んでしまったことを彼女には知られたくないからです。
メリークリスマス。箕輪佐智子〟

読み終わった時、渡良瀬橋の夕日が涙で滲んだ。
花織は溢れる涙で声にならなかった。
佐智子に謝りたい。今すぐ謝りたい。心が張り裂けそうな想いで涙が止まらなかった。

健人は彼女の肩を寄せて、彼女の気持ちが落ち着くのを待った。
彼は内緒にと書き添えていたにも関わらず手紙を見せた理由を語った。
「箕輪さんは君に謝りたいと願っていた。そして今日、君も彼女に謝りたいと願っていることがわかった。だから君が謝る機会を失ったまま永遠に思い悩み続けるのは辛いだろうと思ったからだよ」
「この手紙。見せてくれてありがとう。佐智子から逃げてばかりだったけど。また昔のように普通の友達として会いたいわ」

地平線に朱色に染まった湧き立つ雲が幾重にも重なりはじめた。
健人は立ち上がると言った。
「君の家族。君の友達。みんな心優しい。あの山も川も絵のようだ。そして美しい街。こんなきれいな所で君は育ってきたんだね」
彼のポケットの中に入れていた花織の手が引っ張られ、慌てて彼女も立ち上がった。
その湧き立つ雲の中へ夕陽が今、沈もうとしていた。
「ここはあの和歌のような八雲立つ幸せの地かもしれない。僕もこの街に住んでみたい」
「えっ。ほんとに」と彼女は思わず言ったものの、それに続く言葉を飲み込んだ。
彼の言葉はその場の思い付きなのか、それとも意味ある言葉なのか、今はそれを聞いてはいけない気がした。
冬の風が河原の草を波のようになびかせていた。
花織は彼のポケットの中で堅く手をつないだ。
そして夕陽が最後に放つ光を二人で見送った。

第9話へつづく
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  • 第1話 波乗りと自転車乗り

  • 第1話
  • 第2話 大事なテリヤキバーガー

  • 第2話
  • 第3話 ゆるゆるのソックス

  • 第3話
  • 第4話 皇室ご成婚パレード

  • 第4話
  • 第5話 勉強の歌

  • 第5話
  • 第6話 私は時計回りよ

  • 第6話
  • 第7話 どっちの恐竜にする

  • 第7話
  • 第8話 私はここよ

  • 第8話
  • 第9話 平成の米騒動

  • 第9話
  • 第10話 路地裏のない街

  • 第10話
  • 第11話 急げ、駅弁を買いに

  • 第11話
  • 第12話 気分爽快

  • 第12話
  • 第13話 今度私どこか連れていって下さいよ

  • 第13話
  • 第14話 闇夜に彷徨う

  • 第14話
  • 第15話 流行りのヨーグルトきのこ

  • 第15話
  • 第16話 七夕の夜、君に逢いたい

  • 第16話
  • 第17話 食べ損なった玉子焼き

  • 第17話
  • 第18話 カウボーイっぽいだろ

  • 第18話
  • 第19話 バラのとげ

  • 第19話
  • 第20話 一緒に何があるの

  • 第20話
  • 第21話 あの日と同じ窓から

  • 第21話
  • 第22話 過去の人になるのは誰

  • 第22話
  • 第23話 八雲立つ街に

  • 第23話

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