第7話

文字数 1,768文字

 五月晴れの穏やかで物憂い昼下がり。ほぼ天頂にそびえる太陽の元、大成はヒリヒリとした緊張感を携え、佇んでいた。西洋料理屋Rawhide(ローハイド)は、彼の予想に反し、いわゆる飲み屋街、赤提灯や酒林が吊された店が並ぶ一角にあった。下町といっていいだろう。両隣は細長いカウンターだけの中華屋と店頭に水槽が設置されたが居酒屋で、このローハイドのみが異国情緒にあふれているため、なかなか特異な趣きがある。レンガ造りの外壁に木製の開戸があり、そこにあまり大きくない楕円形の看板がぶら下がり、Rawhideと刻まれている。
(高級店なのかな…)
大成は完全に気遅れしていた。よほど人が足りていないのか、今回もしっかりと吃音症と明記したが、とんとん拍子に面接まで漕ぎ着けてしまった。正直な所感は、前回の店よりマナーやルールにうるさそうである。彼が最も苦手とする所だ。
 昨夜はあまり眠れず、つい深酒をしてしまった。そのせいもあるが、大成の額に大粒の汗が滲んできた。
(よし…)
緊張をかき消すように、目一杯の力で開戸の取手を掴んだ。


 窓がないせいか、店内は真っ暗に近かった。微かに物音は聞こえるが、人が出てくる気配はない。
「……す、す、すみません!あの、えっと、えーっとめ、面接にきた者です」
暗さのおかげで、顔を思いっきり歪め、吃るままに話せた。そのおかげが、前回よりかはマシな気がする。
「はい、少々お待ちください」
柔らかな、男性の声が聞こえた。照明が全体の半分ほどつけられ、内観が目に飛び込んできた。写真で見るのとは違い、塗装の剥げや、ソファー席のレザーの破れなどの劣化が目立つが、それすらも使い込まれ、刃渡りの縮んだ包丁のような渋さがある。バーカウンターは残念ながら暗いままだが。
「石井さんですね、よろしくお願いします。私、店長の原沢と申します」
奥から長身細身の男が現れた。カッチリとした黒のオールバックに仕立てのいいスーツ、優男と形容できる、品のある涼しげな顔立ちをしている。身長こそ平均だが、がっちりとした体格に荒んだ目つき、品よりも貧といった大成とは似ても似つかない。なぜだろうか、大成にはとても面白くなかった。
「どうぞ、こちらのテーブル席にお座りください」
そんな大成の下卑た感情など気がつくはずもなく、甘いウィスパーボイスで原沢が案内した。


 面接自体は何のも滞りなく進んだ。まるで川が流れるような淀みのなさで、大成自身も気づかないほど自然な面接であった。
 すると形式的な質疑を終えた後、原沢は少々言いづらそうな、照れたような苦笑を浮かべた。
「実は僕がここの店長になって、まだ半年くらいなんです。歴史のある店だから色々、厄介な事も多い」
「はあ…」
「石井さんは今、二十九歳ですよね」
大成は無言で頷いた。
「僕と同い年です。うちの店は意外に思われるかもしれませんが、従業員が若いんです。料理長が五十代で、後は全てアルバイトしかいない。みんな二十歳くらいから僕の一つ下まで」
「…は、はあ」
「個人的な事ですけど、自分と同年代の方が増えるのは、とても心強いんです」
「…はあ」
「今年は周年パーティーも企画していて、色々忙しい時期に入ります。石井さんさえ良ければ、今ここで採用を決めてしまいたいと思っています」
「…へ?」
キラキラした屈託皆無の笑顔で原沢が言う。営業スマイルという奴だろうか。唐突な誘いに大成は豆鉄砲を食らったハトになってしまった。
「…どうかな?」
「…えっと…」
少々、強引に感じるせいか穿ってみてしまう。それだけ急に人手が欲しいという事は、相当なブラックなのだろうか。だが金銭的にも、無職のままだとそろそろ厳しくなる上、吃りを引き連れ、当て所のない職探しの旅は出来れば御免こうむりたい。
「えーと…」
「はい、か、いいえ、でいいですよ」
「は、はい」
受け入れてしまった。誘導尋問のような話ぶりのせいか、先ほどまでは穏やかで柔和に見えた原沢の笑みが、やけに気障ったらしく勝ち誇ったように見え、不快に感じられた。
「本当ですか!嬉しいな」
満面の笑みを浮かべると、原沢は握手を求め手を差し出した。
「石井さん、よろしくお願いしますね」
「…はあ」
屈託に塗れた心で、大成も握り返した。
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