第2話

文字数 1,154文字

翌日、母とは口も聞かず、顔もあわさずに家を出た。反抗期の中学生のような対応だが、到底一晩では許せる気にはならなかった。いや、今後許せる日が来るのだろうか。善悪の区別すらつかず、平気で人の傷口に塩を塗るような言葉を吐けるのだ。あんな人間といつまで暮らさなければならないのか、大成は暗澹たる気持ちになっていた。
 石井家は母子家庭であった。大成が十歳の頃、両親が離婚した。散々、父の悪口を聞いて育ったせいか、当時は一方的に父が悪人だと思い込んでいた。そのため父に引き取られた弟を不憫に思い、泣いてしまった事を記憶している。今思えば、父はずるい人かもしれないが正しい選択をしたのだろう。離婚なんて誰かしらのエゴが少なからず存在するのだ。ババ抜きのババを押し付けられたように、生活能力のない片親なんて重荷でしかない。
 別れ際に父が言った。
「大成、お前は器用だから物作りに向いてる。職人になれ」
吃音症の自分へ向けて、父なりの助言だったのだろう。おかげかコミュ症の王様みたいな彼だが、何とか働けている。今日もこれから仕事だ。昨日の鬱屈をかき消すように、大成は出勤した。
 

「石井君、すまないがちょっと話があるんだ」
出勤すると、店のオーナーが調理場で大成を待っていた。
「……っ、は、はっ、はい。えっと…は、は、話ですか」
大成が言う。彼は基本的にこんな口調だ。
「急な事で本当にすまないが、うちは潰れる事になった…。もうだめだ、立ちゆかんのだ」
大成は聴覚を用いての言語理解が他人より少々にぶい。言葉があまりに突飛な場合はうんぬん。
「えっと…その、へいっ、閉店って事ですか?」
急転直下、泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、弱目に祟り目、実に多種多様な言葉が脳裏に浮かんでくる。
「ああ。まだ業者への払いも滞っているし、家賃もだいぶ溜まっている。もしかしたら夜逃げのような形になるかもしれん。何とか君ら従業員には迷惑がかからないよう、責任はちゃんと被るつもりだ」
「…はあ」
言いながらオーナーの目から涙が溢れ始めた。従業員の給金を最優先にするために支払いは踏み倒すつもりのようだが、それは苦肉の策で、やはり不本意で悔しさがあるのだろう。土気色したオーナーを見ると、何かを聞く事すら憚られたため、大成は淡々と承諾の意を表し、ひとまず営業の準備を開始した。

 その後の一ヶ月間は、異様な雰囲気での営業となった。延命治療のような空気の中、いくら暇でもいくら混んでも、ポジティブな発言もネガティブな発言もご法度であった。過去は未来があるから美しい。こんな空気だと昔話すら、悲しみの色が滲む。地球最後の日だと大げさだが、最後の一年の初日はこういう雰囲気に包まれるのではないかと思う。

 こうして大成は無職となった。
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