第16話

文字数 3,081文字

 深夜のラブホテル、鏡面張りの部屋で眠っている女性を眺めている。ローハイドでバイトをしているフリーターの尾崎悠斗だ。
 彼は店では吸わないタバコに火をつけた。鏡面張りの壁に裸の自分が写っている。どうみても不細工だ。目は一重だし、口も小さい。鼻の形はいいと褒められた事はあるけど。輪郭は魚みたいだと言われるし、顔そのものは小さいけど。全体的にぼんやりとしていて、イケメンの定義から大きく外れている。
 隣で寝息を立てる中本莉子は、何が良くて自分と付き合いたいと言い出したのだろうか。付き合いだしたのは3ヶ月前、1月前に始めてセックスをした。莉子は処女だった。悠人は自分も童貞だと言えなかった。つまらない見栄なのだろう。
 どちらも経験のないまま20代になったカップルだ。互いの容姿はお察しの通りだ。週に1度はデートをし、セックスはこれで3回目。
 莉子の頬を人差し指で押してみた。柔らかい。僕は莉子の事を好きなのだろうか。好かれてはいると思う。彼は自問する。いや、好かれているから、好きなのだろうか。セックスは思っていたよりも、気持ちよくなかった。もやもやする感情は、うやむやなままであった。
 


(ああ、めんどくせえ)
大成は己の行いに愚痴った。栗原とサシで飲んでから、彼はとても元気だ。ただ0か100かのような極端な怒り方は減り、仕事がしやすくなったのも事実だ。しかし栗原の巨大な圧は変わらないため、疲れるのに変わりはない。
 そして、また原沢から呼ばれた。ホールも兼ねてくれの件だろう。前回は流されてしまったが、今回大成には断るためのある秘策があった。
「そろそろ返事を聞かせてほしいと思ってね」
デスクに座った原沢が言う。
(よし吃れ。骨の髄まで原沢に、無理だと理解させるために、とことん吃れ)
彼の秘策とは、こんな身も蓋もないことであった。
「無理かなと思います」
(なんで吃らない?雨の日も風の日も吃り続けたのに、こんな肝心な時に限って…。)
バカな秘策はあえなく失敗に終わった。
「無理って、そうかな。僕は無理だとは思わないけど」
「いや、あの、だ、だって」
「以前、開店前に外線とってくれたよね」
「…はあ」
「あの時、内容は聞いていないが、ちゃんと喋れていたじゃないか」
確かに不思議のことだが、感情的になると大成は吃らないことが多い。
「常にあれが出来る様になれば大丈夫」
(そりゃあ、常に自己最速が投げられればピッチャーは苦労しないだろうね)
大成は毒づいた。
「えっと…。まあ、あの、そ、そ」
「なら承諾してくれるね。ずっとホールって訳じゃなくて、僕が休みの日にお願いするだけだから大丈夫だよ」
「は、はあ…」
押し切られてしまった。吃れ!なんて罰当たりな願いをしたせいであろうか。
 するとデスクの下に設置されていたプリンタから、用紙が印刷され、それを渡された。
「これ、接客用語と早口言葉が書いてあるから毎日音読してみて。要するに慣れることが大事だから。石井君は他の人より喋った回数が絶対的に少ないでしょ。これからそれを取り返していって、慣れていって自信をつけること、そうすれば大丈夫だから」
(大丈夫大丈夫って物置のCMみたいなことばっかり言いやがって)
 大成は負け惜しみを言うが、結局またしても原沢に流されてしまった。
 


「レクサア、電気消して」
悠人がスマートスピーカーに呼びかける。部屋の中が暗くなり、スマートフォンの明かりが浮かび上がる。寝る前にいじり出すと1時間でも2時間でも、あっという間だ。最近はメイクの動画にハマっている。
「うわっ、この配信者めっちゃ不細工。そりゃメイクしなきゃ人前に出られないよ」
傍観者でいられるのは心地いい。自分を棚上げできる。自分を忘れさせてくれる。恋人が出来てわかったのは、意外なほど多く、相手の中に自分を見てしまうという事だ。家族でも友達でも、それほど僕を注目する人はいないが、恋人は別だ。僕だけを見ている。一挙手一投足を見られ、ニキビ1つでも気づかれる。そうなるとこの容姿が本当に嫌になってきた。自分1人で人混みの中にいてもまぎれるが、2人になると目立つ気がする。
〔1人1人、目の大きさや瞼の形が違います。何ヶ所ためしてみて、1番不自然にならないで、かつ、目が大きく見えるポイント!それを見つけるのが大事ですね〕
画面の中で僕と同じような一重の男が、外国の通販番組のように大げさに話す。
「レクサア、電気つけて」
明るくして鏡を手に取った。
〔瞼が腫れぼったいたいタイプは、この二重幅をなるべくひろーく作るのがいいと思います〕
顔の彫りの全くない自分の眉下をなぞる。この辺りだろうか。化粧したいな。カッコいい、濃いイケメンにはなれないけど、可愛くならなれると思う。骨張ってないし、小顔だし。でもメイク道具、買うとなると高いし恥ずかしいし。莉子も基本、薄化粧だしなあ。
「はあ…。レクサア電気消して」
はあ…。心の中でもため息が止まらない。
 
 
「えっと…れくっ、れくっさ、でんき、つけろ」
つかない。うんともすんとも言わない、、機械相手に、なぜ緊張しなくてはならないのか、大成は憤悶した。
この日も根本と三人で尾崎の家で飲むことになったが、家主は酔い潰れ、根本はタクシーを降りたら「吐いてきます」と消えてしまった。仕方なく尾崎を部屋まで連れてきたが、照明がつかない。諦めて彼は照明のスイッチを探した。
 
 眠い…。イエガーマイスターなんか飲んだせいか。ここはどこだっけ?暗闇の中で、何か物音がした。見ると石井がスマートフォンの明かりで、何かを探している。
(あぁ、ここは僕んちだ)
悠人は薄目を開けた。声をかければ電気つくのに、何をやってるんだろう、石井の行動が不思議であった。
「レクサア、電気つけてええ」
明かりがついた。そして部屋の真ん中にあるリビングテーブル、その上にとうとう買ってしまったメイク道具がそのまま置いてあり、白日の元に晒されている。
「あっ!」
変な声が出た。酔いが一気に冷めていく。見られたくない。石井が不思議そうにメイク道具を見ている。彼女の持ち物とでも嘘をつくか。いやダメだ。いきなりそんな事を言い出したら不自然だ。リップやアイブロウも下地クリームもある。こんな一式置いて帰る女性がいるのか?冷や汗が出てきた。
「…?」
石井はまじまじとテーブルを見下ろしている。何を考えてるんだ?自分の顔が赤く染まっていくのが体温でわかった。
「あの、ちょっと気持ち悪いんで帰ってもらっていいですか?」
つい口から出てしまった。あまりに突然で不自然極まりない。確かうちで飲み直そう言い出したのは自分だ。わがままなのはわかっているけど、我慢できない。石井の視線が僕に向いた。見るなよ。不細工なくせに化粧なんかしてとでも思っているのか。自分だって大した顔でもないくせに。
「根本も心配だし、俺も限界なんで」
「あ、ああ。わかった」
僕の声の調子で察したのか、淡々と石井は帰っていった。不満な様子は微塵もなく。それがまた無性に気に入らなかった。
「なんなんだよアイツ。じろじろ見てさ!もうやだ!」
1人になったら大声を出してしまった、深夜なのに。テーブルに置かれたメンソールのタバコに火をつける。あ、タバコも見られた。
「もうやだ、本当にやだ。なんで俺がこんなに嫌な気分にならなきゃいけないの」
くわえタバコで枕を蹴った。あれもこれも、この顔が悪いんだ。
 
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