第12話

文字数 2,222文字

「だからさぁ、どうしてくれんの?こういうのは金銭で解決する問題?じゃないよね。信用信頼の問題でしょ。その点をさ、あなたがどうやって解決してくれるのか、具体的に答えてほしいわけよ」
男がねちねちと責める。躱すことを知らない清志は、いちいち額面通りに答えようとするため、男の思う壺であった。
「えっと具体的にと申されましても、店側としては謝罪と、代金を頂かない、これ以上のことは出来かねますが…」
「これ以上のことってさ、これ以上のことを仕出かしたとは思わないわけ?そんなの判断するのはさ、あんたじゃなくて、こっちじゃない」
「は、はあ」
「ったく、こんな話が通じないんじゃあ、さっきの奴とかわんないよ。だいたいさ、さっきのあいつ、あの男は何なの?あれで謝ってるつもり?あんなのに謝らせに来る意図がわからないよね。俺みたいなさ、しょぼい男には、あれで充分だってそう言いたいの?」
「いえ、そういう意図はありません…」
清志は沸き立つ苛立ちを懸命に抑えていたが、石井個人への非難に代わると、抑えがきかなくなってきた。
「ふん、どうだか。ふざけてんでしょ、あんな、まともじゃないのに謝らせるなんてさ」
「何だと!!」
限界だった。一般的に会社としての優先順位は従業員よりお客様だが、清志は真逆であった。毎日、顔を合わす従業員の方が大事に決まっている。清志は腕を振り上げた。
「お、お、おい、な、殴るのか?」
男が咄嗟に席から立ち上がり距離を取った。
「二人ともお待ち下さい」
突然、柔らかなウィスパーボイスが響き渡った。原沢だ。
「お客様、落ち着いてください。周りの方へ迷惑となっています」
「あっ、迷惑?そんな事ないだろう」
「とにかく、ここでお話をなさるなら、もう少し小さい声でお願いします」
「そういう問題じゃないだろ、声の大きさなんか…」
「大きな声を出したければ、あちらに事務所がございますので、そちらへご案内いたしましょうか?」
「えっ、そ、そ、それはちょっと」
男は慌てて拒絶した。どこかへ連れて行かれるという事は、本能的な恐怖があるのだろうか。
「でしたら、このままお話をお伺いいたしますので、小声でお願いいたしますね」
「ああ…」
淀みなく原沢が話すと、会話の主導権を握られ、男は大人しくなった。
「申し遅れましたが私、当店の支配人の原沢と申します」
深々と原沢が頭を下げた。逆に男の方が身の置き場がないのかそわそわした様子だ。周りの客もこの男か原沢なら、なんとなく原沢の味方をするはずだ。もう大丈夫だろう。口惜しいが自分は、こう上手いことは出来ないなとつくづく清志は思い知らされた。
「お客様には不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
「いあ、そんな、もう気は済みましたから、頭を上げてください」
「そうですか、そうですか。お気に済みましたか。ですがこちらは、どうしても聞いておきたい事が一点ございまして」
耳を疑ったのか、男の顔色がさっと変わった。
「さきほど、うちのスタッフをまともじゃないと仰ってましたが聞き捨てなりませんね。あれは、どういう意図があるんですか?」
目は微笑を湛えたままだが、声に少しの震えが混じった。
「意図っ、意図はその…」
「早く仰ってください」
「えっと、それは…」
「いいですか。確かに事の発端は我々のミスです。あなたは被害者でした。ですが、あの人の尊厳を踏みにじるような、まともじゃないという失言。その失言により、あなたは被害者から加害者へとなりました」
「いあ、尊厳を踏みにじるなんて、そんな意図は…」
「意図がないとは言わせません。あなたは言葉につまりました。無いなら無いと言えばいいところを、あなたはつまったのです。それは何故か、あなたの中でご自分の発言を否定するのはあまりに空々しく、かといって肯定するほど太々しくもなれないからです」
「いや、だから、そんな意図は…」
「もういいです。仰らないで結構です。自覚はないでしょうが、あなたは卑怯で社会正義とはほど遠い人間です。あんな物言いをなさる時点で、あなたような人間の発言は聞くに値しません。お代はけっこうですので、今すぐに帰ってください」
目元の微笑は保っているが、硬直した肩や腕、上ずった口ぶりなどから、なにか歪んだ棘のような物を感じる。サディスティックに感じられるほどの過剰な正論は、聞いているとどうにも心が痛む。そこまで言わなくてもと思う。それこそ原沢自らが言う、被害者、加害者の理屈のループではないか。
男は泣き出しそうな顔をして、ほどなく帰って行った。


 疲れた…。清志はまさに疲労困憊であった。キッチンへ戻る前に思わず立ち止まり、天井を見上げ首を鳴らした。体の疲れもあるが、気も重い。すると根本の声が耳へ届いた。
「栗原さんがさっき言ってた、料理のミスはコックコートを着た者が謝るべきだって、名言きたって感じですよね。セクハラパワハラ栗原はちげーな」
「お、おい石井って、い、言われた時、あの、えっと犯人の、し、し、指名手配のあれかと、思った」
耳を疑った。スイングドアの向こう側が笑い声に包まれていくのがよくわかる。瞬時に頭に血がのぼっていく。少し頭痛がしてきた。謝りにいったのは誰のせいだ。どいつもこいつもふざけやがって。清志は息巻いた。
「おい、石井!」
これはパワハラではない。鼻息荒く、心中断言した。
 
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