第17話

文字数 2,931文字

 あれから石井とはあまり口を聞いていない。元から話す方ではないが、僕が避けているのだ。僕はプライドが高いのだろうか。バカにされていると思うと顔から火が出そうになる。だが今日は忘れよう。
 今、僕は駅のトイレにいる。メイクをして街を歩くためだ。お家メイクもありかと思ったけど、化粧した顔を近所の人に見られるのは避けたかった。最寄駅から電車で10分、市内で一番の繁華街につく。ここなら紛れられる。好きな顔になれるのだ。
 床にハンドタオルをしき、その上に膝立ちになった。便器の蓋に鏡を置く。動画を見ながら何度か試した通り、僕の目だと二重幅は少し広めに、そして不自然にならない程度に作るのがいいようだ。糊をつけて二重のしわが戻らないように固定する。
 そうして二重が出来たらクリームを塗る。おでこ、鼻、あご、両頬に塗り、それを薄く伸ばし、顔全体の肌の色むらを整える。それからコンシーラーを使い、髭の剃り跡やニキビを隠し、アイブロウとリップで眉と唇を際立たせる。最後にアイシャドウで自然に(これが1番重要!)色付けして盛る。完成だ!
「ふっふっふ」
思わず笑みが溢れる。外で順番待ちをしている人は、さぞ不気味だろう。鏡を手に取り、よおおおく自分の顔を、入念に見る。これが僕の顔か。きれいだ、可愛くもある。何より目力がすごい、段違いだ。このまま鏡を見続けていたいくらいだ。
 男性でも女性でも誰でもいい。誰かに自慢したい。本当は莉子に見せたいけど、まだちょっと怖い、メイク男子は好きじゃないかもしれない。すっぴんを知ってる人に見せる自信はない。とりあえず駅を出よう。明るい通りを歩きたい。
 繁華街を歩いていると、自然と通りの真ん中を歩いていた。前から来る2人組の女子高生が僕を見ている(ような気がする)。恥ずかしさは全く無い。むしろもっと見てほしい。

 少し歩くと美容院があった。中に客はいないようで、数人の美容師が暇そうに話している。入ってみようか。普段だったら、客のいない店なんて牛丼屋だって入れないけど。カランカランと扉を開けたら鈴がなった。入っちゃった。
「いらっしゃいませ。ご新規の方ですか?」
女性の美容師が声をかけてきた。少し気の強そうな、日に焼けたかっこいい女性だった。莉子とは真逆のタイプだ。
「はい、初めてです」
話すと一重の自分が口から出てきそうで、声が上ずった。
「はい、かしこまりました。えっと、スタイリストのご希望はありますか?」
コースと値段の書いてある表を見せてくれた。カットの技術によって美容師毎にランクがあり、それによって値段が変わる。技術なんかより今の僕にとっては、誰に褒められるかが重要であった。受付をしてくれたお姉さんにしようか、それ以外にしようか。
「この人で」
僕は1番料金の高い男性の美容師を選んだ。女性を選ぶと浮気になるような気がした。莉子の朗らかな顔が浮かぶ。
「ご指名ありがとうございます。スタイリストのコウヘイです。どうぞ、こちらへ」
ちょっとチャラそうな、30代半ばくらいの美容師に案内された。
 
「前髪どうしますか?」
いつもだったら心臓がキリキリしそうな質問だ。お前ごときの前髪なんて、とぞんざいな扱いを受けそうなんで、無難な注文しか出来ない。
「実はどうしようか迷ってまして」
やった。自然に言えた。僕なんかが相談しちゃいけないかと思っていたけど、すっと口から出た。いつもなら下ろすしかない前髪を、せっかくなら別のセットにしたい。
「でしたら上げるか、もしくは下げるにしても、もう少し軽くした方がいいと思いますよ」
きた。前髪なんて目元を隠すために生えてると思っている自分には信じられないことだ。
「そうですか。やったことないから、ちょっと恥ずかしいかなー」
「恥ずかしくなんかないですよ。お客さん、目鼻立ちはっきりしてるから前髪で隠しちゃもったいないですよ」
「そうですかねー」
自然と謙遜してしまったけど、目鼻立ちはっきりしてるって顔がいいと同じ意味だよね。良かった、男性の美容師にして。女性から言われたら惚れちゃいそう。やっぱり浮気だ、これ。
「じゃあそれでお願いします」
 
 カットを終え美容院を後にし、スマートフォンから見下ろされるように自撮りした。いつもなら街中で自撮りなんて恥ずかしくて出来ないけど、今なら何をしても恥ずかしくない。SNSでメイク用のアカウントを作りたい気分だ。
 
 
 
 大成は一週間ほど前から、朝礼に参加させられている。接客用語をみんなで復唱し、その日の予約の確認などをする。ホールのスタッフにまぎれ、彼と栗原がちょこんといる。正社員なのだから参加は義務だが、彼はやりたくなかった。性的な意味ではなく、文字通りの羞恥プレイだと思う。遊びではないが。
「おはようございます」
「おはようございます」
順番が回ってくる。心臓の早鐘の音が体内に響き渡る。喋るタイミングを定められると、ほぼ百パーセント、吃るのだ。
「お、お、おは…」
(ほら見ろ。吃るんだよ、これは)
隣にいる伊藤は融通がきかないのか、絶対に大成が言い終わるまで待っているので、余計にたちが悪い。
「…ようございます」
なんとか言い切った。伊藤の顔をちらりと見ると、不満が顔に滲んでいた。睨み返すわけにもいかないので、大成は目線を上にして、宙を見上げる。口笛でも吹いてやろうか。ボヤ騒動以来、伊藤の目の敵にされてしまったようだ。
 
 
 
「なんかムカつきません?」
根本が言う。
「まあ、ちょっとムカつく」
一応、同意しておく。最近、石井が朝礼に参加するようになったけど、いつもの喋り方なのでホールのスタッフから、よく愚痴を聞く。
「最も向いてないのに、なんでやらせるの?」
「このままホールやらせたら、私たちまでとばっちりで怒られる」
などなど。言い分はよくわかる。いくら人手不足だからって、原沢さんは何を考えているのだろうって思う。
「マジで原沢さん、性格悪くね。いじめみたいなもんじゃん。めっちゃ腹立つ」
根本はかなり憤っている。僕は正直言うと、どちらでもいい。それよりも明日の方が大事だ。
 
「なんだ尾崎、楽しそうだな」
栗原さんと石井が戻ってきた。どうやら僕は笑っていたらしい。
「明日からお前、二連休だろ。何か予定でもあるのか?」
「いや特には。高校の友達と飲むくらいですね」
顔を見られたくなかったので、しゃがんで冷蔵庫を開けた。
「尾崎さん、マッシュやめたから彼女と別れたのかと思いましたよ」
根本が言う。
「だといいんだけどよ」
軽口で返し、みんなに背中を向けた。笑い顔が止まらないからだ。実は明日、その莉子にも言ってない用事が待っている。先日、誰かに化粧した顔を見てもらいたくて堪らなくなり、マッチングアプリに登録してしまった。尾崎悠斗という人間ではなく、化粧した自分だけを見てもらいたいのだ。本当の僕は知られたくない。
  そして明日はマナさんと言う女性と会うことになった。僕は今、かなり浮かれている。絶好調だ。モテキがきたのかもしれない。この気分は簡単には消えそうにない。
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