第6話

文字数 1,551文字

 大成は酒に溺れた。理論理屈では、面接での諍いに自分の非はそれほどないはずである。だが吃音症という負い目がある限り、善悪は関係なしに罪悪感を覚えてしまう。その罪悪感が彼を堕落させるのだ。だがそれは存外、最高の酒の肴となる。
 「ふざけやがって。あんなPTAの会長みてえなババアのくせしやがってよ。ワイドショーに出てくる評論家みたいなことばっか言いやがって。だいたい普段から差別はいけませんよーなんて声高に叫ぶやつほど、人を型にはめたがる。型にはまれないから外れてんのにさ」
ディスカウントストアで買ったペットボトルウィスキーをグラスに注ぐ。溶けかけた氷が、お祭りで売られているゴムボールのように水面を回遊する。ちなみにウィスキーのサイズは、5リットルのマグナムサイズだ。
「そりゃあ悪口言った俺も悪いけどさ、なんだ?あの場で説明してしろってのかよ。出来るわけねえだろ。吃りなんて感覚だからわかんねえんだよ。説明できねえんだよ、ったく。あれ、ここ月給五十万だって。どうせ半分お水みたいな店じゃねえのか、これ」
かれこれ一週間は、こんな状態である。一応、形だけであるがパソコンを立ち上げ転職サイトは開いているが、真剣に探すつもりなどさらさらなかった。引っ越す予定もないのに物件情報を見て、旅費もないのに旅行サイトを覗くようなものである。慰めにもならない逃避、現実も願望も夢も、全て横に置きっぱなしにする。自覚こそないが、これこそ大成にとって最高の肴である。
「なんでこんな訳のわかんないもんになってんだろ。頭蓋骨でも開きにして、脳みそから直接手術できないもんかね」
およそ四、五杯飲むと、自分の吃音症や、その原因となったはず(彼の思い込みかもしれないが)母への愚痴が始まる。これが彼の一人酒におけるゴールデンコースであった。
「ちょっとあんた、また酒飲んでんの?ご飯はちゃんと食べてんの?」
誰もいないはずの襖の向こうから母の声が聞こえた。いつ帰ってきていたのか。誰もいないかと思い、一人気兼ねなく愚痴っていた。聞かれていたのか。大成は急に羞恥心を覚えた。
「うるせえな、ほっとけ」
二週間ぶりに返事をした。
「ほっとける訳ないでしょ。いい加減出てきてよ。あんた仕事どうしたの?」
「忘れたの?あのさ、あんたら夫婦が離婚する、ちょっと前から俺、吃ったんだ。あんたあの時、俺に何した?」
「だから、それはもう謝ったじゃん」
「親父が、悪いんだって、俺思ってたからさ。いつもあんた機嫌悪くて、散々、俺を殴ってて、だけど可哀想なお母さんだと思って、我慢したんだよ」
「だから、それは…」
「吃ったのは、そっから」
「だから、それは本当に悪かったって思ってる」
「だからあんたの事、信用できないからほっといて。話したくないし」
「もうお願いだから、許してよ…」
「…」
しばらくすると、襖の向こうから足音が遠ざかって行った。突然、目の前に置かれた現実を横に放置するため、大成はグラスを飲み干した。
 ふとパソコンの画面に映し出されていた、ある写真に目が止まった。サイトに載せられていた、レストランの店内風景である。まるで船のキャビンのような、光沢のある木造りの壁、落ち着いた色合いの革のソファー席、アンティーク調のテーブル。そして朝日に照らされた海面のような、青く淡い照明が浮かび上がらせるバーカウンター。粋と重厚さが合わさった、その内観に目を奪われた。
(へえ、かっこいいな)
素直な感想だ。Rawhideという名前の、そのレストランは創業五十年目を迎えると記されている。まさに老舗である。普段ならば気遅れして、絶対に応募しようとは思わないが、大成は少し変な気分になっていた。なんの躊躇もなくクリックしていた。
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