第13話

文字数 5,061文字

 その日の夜、久しぶりに妻の久美子に愚痴った。もちろん石井と根本の事である。原沢の事は、久美子の性格を考えると、悪者退治と褒めそうなので黙っていた。
「最近の若いもんは全く。よくわからん。元はと言えば、石井がミスしたことが発端なんだ。それを反省もせずにぺちゃくちゃと」
最近の若いもんなんて常套文句、じじくさくて、使うのに抵抗はあったが、思わず出てしまった。
「そうねえ、反省の色が見えないのは、良くないわよね」
久美子が同意しながら、瓶ビールの蓋を開ける。
「だろう。これも社会全体が叱らず怒らず、何でも、いいよいいよで済ますからこうなるんだ」
「でも私、根本君だっけ、彼、いい子だと思うけどなあ」
「え?」
久美子が同意してくれない…。
「その石井君って子を慰めて、場を和ませようとしてくれたんでしょ。仲間思いってことじゃないかしら」
「まあ、そうとも言えるが…」
「ほら、あなただって。むかし、ほら付き合う前…」
「付き合う前って、お前がバイトしてる時か?」
久美子は、清志が以前勤めていたフレンチレストランでアルバイトをしていた。
「そう!その時、二人で観に行ったシャロンストーンと、ムキムキの俳優さんの映画」
「ああ、シュワちゃんのトータルリコールか」
往年のアクション俳優、アーノルド・シュワルツェネッガーの映画だ。そういえばデートの口実に誘ったな。シャロンストーンが出ていたか記憶にないが。
「それよそれ。私が料理長の田沼さんから、こっぴどく怒られて落ち込んでたら、あなたが田沼の顔って潰れたカエルかトータルリコールみたいだよなって笑わせてくれたじゃない」
「そんな事いったか?」
びっくり顔、もしくは爆発寸前顔と形容できる、懐かしの田沼さんの顔が浮かぶ。
「若い子たちが愚痴のかわりに冗談言い合って、明るく振舞おうとするのは、今も昔も変わらないと思うけどなあ」
「そうだな…」
「それに、お父さんは傷の舐め合いって馬鹿にするかもしれないけど、私は良い関係が築けてる証拠じゃないかしら」
「まあ…な」
諭されている様で面白くないが、自分もやっていたと言われては反論のしようもない。
「それに石井君って子だって、クレーム受けてる間、ずっと黙って我慢してたんでしょ。偉いと思うわ。寡黙ないい男じゃない」
そうか、そういう見方もあるか。寡黙というより朴訥といった男だけど。
酒がまわってきた。笑い上戸なためか、機嫌が良くなっていくのが自分でもわかる。いくつになっても、俺の根は単純なんだろう。とくとくとくっと久美子がグラスに注ぐ。普段から、これくらい簡単に機嫌が直ればいいのにと他人事のように思ってしまった。
 
 
  明くる日、原沢から、少し早めに出勤してくれと連絡を受けた。昨日の今日だ、嫌な予感がする。もう理不尽に怒るのはよそうと決めていたが、昨日は怒ってしまった。だが、間違ってはいないはずだ、そう言い聞かせ家を出た。
 店の事務所へ行くと、能面のように無表情な原沢がいた。怒っているのだろうか。表情からは読めそうにない。
「昨日の件ですが」
早速切り出してきた。
「ああ、あのクレームを入れた男性か」
「いや、あの男性の事ではないです。あの後、話を伺う暇がなかったので」
あの男が違うという事は、やはり石井の事だ。パワハラ恐怖症気味の清志は必死に昨日の自らの行いを思い返すが、思い当たる節はないはずであった。
「石井君の事ですが」
「…ああ」
「何故、彼に謝らせにいかせたのですか?」
「何故って、ミスをした本人が謝りに行くのは当然だろう。何が悪いんだ?小学生じゃない、親が代わりに謝るのか」
「それも道理ですが、彼が吃音症、つまり言語の障害があることは明白です。出来る者が出来ない者へ、出来ない事を強制させるのは残酷だと思いませんか?」
聞き慣れない言葉に清志は軽く面食らったが、障害という単語が耳を引いた。
「特に理由も配慮もなく、彼を謝らせにいかせ、揚句です。お客様に不快な思いをさせてしまった。そういう事ですか?」
「ちょっと待て。石井が謝って不快に思うかなんて人によるだろ。それに障害だ?あいつ、障害者なのか?だが屁理屈を言うつもりはないが、障害があるからって謝らなくていいとは限らないだろう。平等なんだから」
これは清志としては本心であった。彼は根がさっぱりしているせいか、逆に問題意識を持てないタイプである。
「栗原さん、あなた本心から平等だと思っていますか?」
「…あ、ああ。そ、そうだ。思ってるよ」
気にも留めていなかった。こんな当然の事がハラスメントにあたるのか。
「まあ、それならそれでいいでしょう。深くは問いませんが。どちらにしても彼を客前に出すのは時期尚早です。まだ研修期間なのですから」
「ああ、わかったよ。もういいか?仕込みがあるんだ」
「いえ、まだです。もう一点。さきほど、あの場に居合わせた、別のお客様から電話がありました。こういう内容です。あの吃音症のコックさんは早めになんとかしてあげないと、後ろから来た大柄なコックさんを見た瞬間の目が怯えていた。何かいじめが起きているのではないか、いつか彼が耐え切れなくなり、何か間違いが起きたら悲しい。好きなお店なので、そうした問題は起きてほしくない、という内容でした」
聞きながら、清志の眉間に皺がよる。
「…それがどうした?」
「栗原さんは、この電話をただの言いがかりだと思いますか?」
「ああ」
原沢という人間の考えがわからなくなりそうであった。自分たちの事を名前すら知らない者の言葉で、言い争わねばならないのか?清志には理解が出来なかった。
「電話の相手は女性だったそうですが、優しさや親切心のある発言だと、私は思います。それを言いがかりというなら、あなたの考え方は時代にあっていません」
「時代が、そんなに大事か?」
そういえば妻は時代は変わってないと言っていたが。
「ええ、大事です。極端な例えですが、戦時中は覚醒剤が合法だったのと同じようなものです。あなたのものの考え、価値観は違法です。立場を利用して無理を強いるのは、まぎれもなくハラスメントです」
「ふ、ふざけるな、なんで俺がシャブ中なんかと同じ扱いなんだ」
「ですから、例えです。ハラスメントも覚醒剤も違法という点では同じですから」
頭が痛くなってきた。うまく自分の感情を伝えられない自分がもどかしい。
「だから、そういう事じゃなくてだな…。あいつは、石井は何と言ってるんだ?」
「その電話を受けたのが、彼です」
「えっ…」
一瞬にした体が鉛のように重くなった。石井のたどたどしい話し方を思い出すと胸が痛む。
「石井くんは、とりあえず今日は帰宅をしてもらい休ませました。心的外傷などなければいいのですが」
そう言われると清志は自分の行いに血の気が引いてきた。石井は障害者で、自分はその傷を無闇に広げたのか。
「いい加減にしてほしいですね。コックが長続きせず、その都度、決して安くはない経費を払い募集をかけ、また辞めていく。それだけでも店としては、かなりの負担です。さらにこれで、ハラスメントとして訴えられる、もしくはネット上にでも書かれたら、店なんて簡単に潰れます。迷惑をかけているという自覚はありますか?長年、勤めていらっしゃる功労者の栗原さんに、こんな事は言いたくないですが」
「ああ…」
「私の言う事に納得が出来ないのであれば、辞めてもらっても構いません。お好きにしてください」
「いや納得はしているが…考えが上手くまとまらん。石井がそんなに可哀想な奴だとは知らなかったんだ」
「可哀想などという言い方も、彼を下に見ている事になります。言葉を選んでください」
「そうなのか…。知らなかった。あの、なんだ、諸々、しばらく考えさせてくれ」
決して悪意から出た行いではない。だが、それ故に清志は自分という存在が信じられなくなってきた。
 


 朝、仕込みをしていたら電話がなった。アルバイトの尾崎と大成だけであった。二人しかいない。呼び出し音と換気扇の作動音だけが虚しく響きわたる。尾崎と目と目が合うと彼の体が小刻みに震えだした。
「えっとトイレ行ってきますね」
震え声で便意を訴えると、尾崎は逃げていった。吃音症の人間よりも電話に出たくないのか。何故か、なすり付けられた形になった大成はしばらく考えた。
 もし出なければ不在履歴の時間から、何故電話にでなかったのか、理由を話さなければならない。だが電話に出れば、内容次第でメモを取ってその紙を渡せば喋らないで済む。電話にでよう。
「はい、ローーハイドです」
それほど吃っておらず、不自然ではないはずだ。文字変換したら、赤い波線がひかれる程度の不自然さだ。
「あの、おせっかいかもしれませんが、昨日、そちらに伺いまして…」
何やら神妙な声色である。
「クレーム言われていた男性のコックさん、いたじゃないですか。あの人大丈夫ですか?」
電話主本人である。気づいてないのだろうか。
「はい…?」
「後からきた、大柄な料理長さんかな、その方を見た時、すごく怯えた目になっていて、ああ、このお店はパワハラがあるんだって確信しちゃいまして」
「パ、パ、パワハラ?」
「しかるべき行政や機関に相談した方がいいですよ。いつかあのコックさん、耐え切れなくなって最悪の事態が起こるんじゃないかと思うと、気が気じゃなくて」
「さ、最悪のじ、事態とは、えーっと、えっと?」
「いや例えばですよ、コックさんて包丁使うじゃないですか、あの料理長さんを刺したりとか、もしくは店内で首つっちゃうとか」
とんちかんな憶測をべらべら話す女性に大成は不快感を覚えた。栗原を庇うわけではないが、原因は大成自身だ。それを知らない者に口を挟まれたくはない。
「あの、それ俺ですよ」
「えっ、俺って言うと、あ、あなたが…」
「そうだよ、クレーム受けた本人。なんです?包丁で刺すだ?大きなお世話だよ。気にしてくれんのはさ、有り難いけどさ、なに?後ろから料理長が来たら、犬みたいに喜んで、尻尾でもふれってか?気持ち悪くてやりたくないね、そんなこと」
昨日のストレスもまだ充分に溜まっている。半分八つ当たり、四つ当たりのように大成は言う。
「だいたい何様だかさ、知りませんが、こっちの状況を知りもしないくせに、口挟まないでくれませんか?」
「……」
少し間を置いてから電話は切られた。多少の後ろめたさはあるが、正直スッキリした。ひねくれてないと吃りなんてやってられない、大成は心の中で自己弁護をした。すると原沢がやってきた。
「お、お、おは、おはようございます」
「今の電話、どういう要件?」
聞かれていたようだ。内々に済まそうとしていた大成の当てが外れた。なんと説明しようか、一字一句聞かれていたら当然良くは思われないだろう。研修期間中だ。迂闊な真似をしてはまずい。だが彼は説明がとても苦手だ。怒ったりして無意識に言葉が出る場合はわりと吃らずに話せるが、説明はその性質が真逆である。
「あの、その、えっとですね、昨日の件です。そのクレームが、ク、クレームが入って栗原さんが謝りにいく、いや、えっと、その自分が…」
もうぐちゃぐちゃ。言葉が車に轢かれたように、ばらばらになった単語を読み上げているようだ。
「うん、昨日の件ね。電話してきたのは、相手はクレーム入れた男の人?別の人?」
「えっとべ、別です」
「という事は、あの場にいた人?」
「ええ」
さすが客商売をやっているだけはある。修理が上手い、単語から会話になった。
 このような形で根掘り葉掘り聞かれたが、話が栗原の事になるにつれ、だんだんと原沢の顔が曇ってきた。
「君の事を殴ったって事は本当なの?」
「はい…」
本当は平手のはずだが大成の中で、ちゃんと訂正する公平さと吃りたくない願望を天秤に掛けたら、願望が勝ってしまった。
「そうか…。これはトップの僕の責任でもある。石井君、今日は帰っていいよ。辛かったろう。栗原さんには、ちゃんと店長の自分から言っておくから」
申し訳なさそうな、突然、優しい口調になり原沢が言う。立場上いろいろ大変なのだろうか。それともほぼ強制的に大成を働かせた負い目でもあるのか。
 そんな気にしてないんで大丈夫ですと、吃りを天秤にかけたら、大成は自然と頷いていた。
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