第22話

文字数 2,612文字

 やはり我慢は精神衛生上よろしくないと思い直し、大成は愚痴る三人に、笑顔で突撃した。これをする事によって冗談ですませられるくらいにしか怒ってないよ、という意思表示にもなるはずだ。物は言い様だが、どんなに突飛な行動でも理屈はいくらでもつけられる。
「うおあああ!」
突然、自分の顔の真横に、大成の顔が出現したため根本が悲鳴をあげた。

 その後は伊藤はバツが悪そうに大成を避け、根本と望月はしきりに謝っていた。お詫びとして、仕事終わりに尾崎も含め四人で飲みに行く事になった。奢ってくれるそうだ。年下に奢られるのは申し訳ないような気もするが、吃る事なく「ごちそうさま」「ありがとう」が言えそうな気がする。

 連れてこられたのは焼き鳥屋だった。四人がけの個室へと案内された。
「とりあえず生二つとレモンサワー、梅酒のソーダで」
根本がオーダーを通すと、望月が口元に手を当て小声で言う。
「隣、めっちゃケンカしてません?」
喧騒にまぎれ、刺々しい話し声が確かにある。
『浮気…してないよね』
四人が目を合わせ、無言で頷き合った。なんだかんだ好きな話題だろう。
『じゃあなんで…平気で寝れるし』
女の方の声だろうか。少しヒートアップしている。
『いやそういう事じゃない』
「いや男の方、負けそうだし」
根本が笑う。確かに男の方は冷静というか動揺がある、少し弱々しげに感じられる柔らかい声であった。しかし、大成はこの声にどこか聞き覚えがあった。
『じゃあなんで?』
「かなりキレてるね、女の方は」
尾崎が言う。
『今度、必ず言うから』
「へりくだってんなー、男の方」
根本が鼻で笑う。ふと大成が望月を見ると、彼女の方も気がついたのか、眉間に皺が出来ている。
「あのさ、この声」
望月が、さらに小さい声でささやくと、残り二人も耳をこらす。
『だから、次会う時に必ず』
(これ原沢じゃね?)四人揃って顔に書いてあった。
『言って、今すぐ言って』
あのイケメン店長が彼女からボロクソに責められているようだ。四人の口角が自然と上がっていく。そして揃って固唾を飲んだ。
『実は俺、吃音症っていう言語障害があるんだ』
(へ?おまえも?おまえが俺と一緒?原沢さん、俺と一緒?あれ、なんか嬉しいぞ、変だぞ。笑えるぞ。おかしいぞ)
大成は色々、混乱した。



 伏した目線を上げ、恐る恐る花香の顔を見た。彼女は目を大きく開き、原沢ん凝視していた。
「はっ?言語障害ってなに?どういうこと?」
「えっとだから吃音症っていう病気で」
「なにそれ?言い訳のつもり?それが何で家に行っちゃいけない理由になるの?」
「えっと、だから、そのね、家には」
排水溝が詰まるような感覚に襲われる。寄生虫が活気付いていく。
「だから、その、吃音症っていう、障害があって」
「障害なんて、どこにあんの?」
矢継ぎ早に花香が言葉を投げつける。
「えっと、言語だから、そりゃ言葉だよ」
しどろもどろになってしまう。傍目から見た。今の彼の言動は嘘つきそのままだろう。
「言葉って、えっ?どういう事?よくわかんないんだけど」
「わ、わかんないって、な、なんだよ、俺が悪いのかよ」
心が逼迫されていく。精神が学生時代に戻っていくようだ。
「いや悪いとかじゃなくて、ちゃんと説明してよ」
「だから、してる。そりゃ健常者にはわかんないだろうけどさ」
僅かに残った理性、大人の原沢が悲鳴をあげた。言っちゃダメだ。だが、学生時代まで退行してしまった彼の精神は止まらなかった。
「はっ?なにその言い方、ちょっとひどくない?」
「酷くないし、ちゃんと幸せに生きてきた人に、俺の気持ちなんてわかんないでしょ」
「ひっど…」
花香が泣きそうな目で原沢を見ている。素直な感情が、そこから溢れている。後悔が一気に押し寄せるが、今の原沢にそれを受け止める余力はない。開き直ることも出来ず、ただ不幸でいる。不幸は楽なんだ。被害者でいられるのは正直、楽だ。だが、それが許されるのは子供の内だけだって、わかっていた。だから過去を捨て、立派で格好良くなろうと決めたはずなのに。
「あの、えっえっと…だから…その…」
二十年近い努力の結晶が、口から漏れる。
「もういい。偉そうになに?孝也が言うことが全部本当ならさ、あんただって障害者なのに健常者のお面かぶってたんだしょ。それかぶっといて理解されないって、そんなの当たり前じゃん」
花香が立ち上がる。
「ちょっ、ちょっと待って」
「もういいって。嘘でも本当でもそんなずるい孝也、見たくない」
最後の言葉は消え入りそうなほど小さなものだったが、原沢の心に強烈に響いた。



 どよーん。この場を擬音で表すなら、これしかないだろう。四人ともつまみも頼まず、チビチビと無言で飲んでいた。すると、また隣から声が聞こえた。
『はい、お会計…はい…こちらお返しが千と八十円です…はい、ありがとうございました』
『ありがとうごさいまあす!ありがとうございました!』
威勢の良い声が響いた。原沢の心には響いていないだろうが。

 原沢が去ると、みな一斉に息をはいた。
「原沢さん自分の事、障害者って言ってましたけど、あれって」
根本が言うと、三人とも大成を見た。
「えっと…た、多分同じ、だと思う」
「言語障害って言ってましたけど、わたし全然わかんなかった」
「そんな気にする事か?あの言い方はないでしょ」
「ね、花香さんかわいそうだよ、あれじゃ」
「でも、コンプレックスってそういうもんじゃないの」
否定的な二人に尾崎が言う。
「石井さん、どう思います?」
「ど、どうって言われても…」
大成の頭の中は、それよりも原沢の話を聞いて何故自分が喜んだのか、その疑問でいっぱいだった。
「何かないんすか?」
原沢が俺と同類だったという邪悪な喜びか、同じ仲間だったという美しい喜びか。
「石井さん…?」
いやでも、俺は原沢のこと好きかって言われると難しいな。どっちかって言ったらナルシストみたいって思ってるし。やっぱり邪悪な喜びだったのか。いやでも、そんな不幸を喜ぶほど嫌いなのか?でもそんな美しい友情あったっけ?俺ってそんな悪どいのか…。やべえな、俺。
「石井さーん」
「あっ、えっと、ああ、す、すまん、コンプレックスね」
「は?ま◯こ?」
なにを言ってるんだ?根本、バカかお前は。
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