第6話

文字数 3,036文字

「ねえ隼人。最近顔色が良くないけれど、何処か体の調子でも悪いの?」
「いや。調子は良いよ」
「そう。なら良いんだけれど。心配だな」
 優里亜の問い掛けに、隼人は首を横に振り、否定した。最近、雨が続いている。幸いに土砂降りとかの日はなく、しとしとと降る雨だったり、小雨程度の雨のせいもあり、例の発作は出ていない。が、それでも心配だった。
 捜査の方は、進展していない。田所もあれ以来、海老沼隼人の事を話さない。依然として地取りの成果が上がらない。隼人にも、捜査本部が苛立っている事に気付く程だ。
 その日は、田所と隼人は二人でこれ迄の上がって来た供述調書の調べ直しをした。何処かに見落としは無いか、精査する仕事だ。地味な仕事だが、手掛かりが無い以上、仕方が無い。ビデオの解析も、犯人と思われる人物に迄辿り着けていない。
「これ、全部同じ犯人なのかな……」
 ぼそっと田所が呟いた。
「どういう事ですか?」
「模倣犯という可能性は無いかと言う事だよ」
「模倣犯……」
「そう。十三年前の事件と五年前の連続強盗殺人事件に、今回の連続強盗殺人事件それぞれが違う犯人なのではないかと言う事だ」
「しかし、手口はどれも酷似しているのでしょ?」
「ああ。だが模倣犯という可能性は無いでは無いと思う。その線の捜査は余り熱心に行われていないが、精査してみる必要はあると思う。諏訪君。一つ模倣犯の線で動いてみてくれないか」
「どう動けばよいでしょうか」
「もう一度十三年前の事件から調べて見て、五年前と今回の事件との相違点を精査するんだ。どんな些細な点でもいい。違いを見つけ出せ」
 田所にそう命じられた隼人は、
「では、今から取り掛かります」
 と言って、田所の傍を離れ、自分のデスクへ戻った。隼人は田所から言われる前から、個人的にこれらの精査をしていたので、それが公になったというだけでもありがたかった。精査自体は命じられてありがたかったが、そのありがた味というのは、あくまでも自分の無実を思っての事で、もし自分がこれらの事件に関わっていたと分かれば、自分は殺人者になる。自分は違うんだという気持ちで調べ始めた。
 十三年前の事件については、隼人は途中から記憶が無くなり、自分がどういう行動を取ったかが分からない。初めての発作は、五年前だ。その時も発作と同時に記憶が飛んでいる。連続で起きた事件も、記憶にあるのは自分は関わっていないという点だけで、中にはやはり事件当日記憶が無いという事実がある。だから、もし自分が犯人としたら、全部の事件に関わっている訳ではないという事実が導き出せる。勿論、発作が起きて前後の記憶が無い事件の時でも、自分は無実だと思っている。だが、そう思っていても、自信が無い。隼人は、これ迄隠れて事件を精査して来たが、これで堂々と自分の事も調べられると思った。
 隼人が先ず調べたのは、十三年前の事件についてだ。自分が当事者だけに、調書に書かれてある内容は、一字一句が生々しかった。自分が二階の部屋でクローゼットに隠れている所を駆け付けた警官に発見された件は、余計に胸が苦しくなった。調書を見て気が付いたのは、自分が発見時に気を失っていた事だ。発見された直後、警察官に何を訊かれても首を横に振っていた事は、よく覚えているが、事件の前後はまるで記憶が無い。階下で父と母が殺害された事など、勿論知らない。だが、記憶を失う直前に、怖い怖いと言っていたのを思い出した。怖いとは犯人に対してのもので、ひょっとしたら犯人を見ているのかも知れない。その後、犯人を見ていないと警察に供述したのは、犯人を見てトラウマにでもなったからかも知れない、と自分に都合のいい理由を思い付いた。自分はそれ以降五年前に至るまでの間、発作も起きていない。これはどういう事だろう。精神的に潜在意識があって、それが何かの弾みで発作として現れたのかも知れない。ならば、精神科に行って一度詳しく診て貰わないといけないかなと考えたりもした。
 隼人は、十三年前の事件の時、気を失った事実をどう受け止めるべきか考えた。恐怖心からなのか。それとももっと別な理由があったからなのか。確かにあの日も昼から雨が降っていた。外は激しく降る雨で、一寸先が闇の状態だったと記憶している。
 玄関のチャイムが鳴った……。
 誰だろう……。
 父が出た……。
 悲鳴が上がった……。
 母が父の元へ行く……。
 隼人は二階へ逃げた……。
 階下の悲鳴に怖気たった……。
 クローゼットへ隠れ、気を失った……。
 思い出せるのは此処迄だ。犯人の顔は見ていない。供述聴書にもここ迄の事は書かれてある。五年前の事件についての調書を調べた。手口はみんな同じで、事件が起きたのはいずれも深夜になってからだった。
 今回の事件の防犯ビデオの解析記録と映像を見てみた。解析記録では、自転車に乗った男が経堂では映っていて、犯人の可能性が高いとなっていたが、確かに状況証拠ではそうだと思われた。映像に映っている男の体格は、約百七十センチから百八十センチ。がっしりとした体格だ。顔は、レインコートのフードのせいではっきりとは確認出来ない。一連の事件のビデオを観てみた。怪しいと思われる人物は、何人か映っていた。が、それらを容疑者と決めつけるには、他の物的証拠が無かった。経堂の自転車の男と体格では似ているが、断定は出来ない。
 隼人は五年前の連続強盗殺人事件での防犯カメラの解析結果も調べてみた。経堂の時のように、深夜の雨の中を通る怪しい人影は確かに映っていたが、激しい雨のせいでハッキリと確認出来ない状態だった。
 今一度日付を確認してみた。自分が発作を起こした時が、はっきりと詳しく思い出せない。同じ日時のような気もするし、違う気もする。五年前の事件の時も目撃者は居らず、早々に未解決事件として処理されようとしていた。それが今回の事件で再び脚光を浴びたかのように表に出て来た。
 隼人は、模倣犯の可能性を考えてみた。十三年前の事件の模倣犯で、更には今回の事件も五年前の模倣犯で警察がブラックレイン事件の犯人、レインマン。これらを面白おかしく真似ているのではという事だ。模倣犯の可能性は捜査本部でも考えているようで、それぞれの事件を個別に追っている。
とにかく、自分の発作と事件との関連性を見つけ出さねばと、隼人は躍起になってそれらの捜査資料を漁った。
「諏訪君、ちょっと来てくれ」
 田所が隼人を自分のデスクへ呼んだ。
「何でしょうか?」
「今日もサービス残業での調べ物、ご苦労だな」
「いいえ」
「実はそのサービス残業だが、他の班の調べたやつまで手を付けているらしい事を、これを良く思わない連中がいるんだ。他人の米櫃に手を突っ込んでという言い方をしてな。俺はそういう連中の方が何をしてるんだと思っている。君の味方だが、組織である以上、内輪で揉めるのは、感心しないと、課長にも言われたのだが、暫くは今の調べ物を止めて欲しいんだ。君からすれば、残念だろうが、分かってくれ」
「分かりました。ではこれ迄自分が調べた事は書類として纏めないでいいのですか?」
「それは残して置け。ひょとしたら行く行くは大切な資料になるかも知れないからな」
「分かりました」
 隼人は、力なく返事をしたが、何かが分かりかけて来ただけに、調べる事を止められ心から残念に思った。警察内部の縄張り意識。噂には聞いていたが、現実に自分がその渦中に置かれたとは、驚きだった。
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