第5話

文字数 3,069文字

 田所が海老沼隼人に執着するのには、彼なりの理屈があった。それは。事件当時十歳を超えたばかりの少年が、これ迄の類似事件を含めて唯一の生存者だからだ。事件後の尋問では、犯人を見ていないと言っていたが、改めて尋問すれば当時の事を思い出すかも知れない。そういう期待感があった。それと、刑事が捜査をする以上、疑問と思った事は、徹底的に掘り下げるのが当然だ。
 自分の勘によるところもあった。昔から自分の勘には自信があった。海老沼隼人の件は、単なる勘だけと思われるかも知れないが、それでも調べて見る価値はあると思った。もう一度、今度は役所へ直に行って海老沼隼人の戸籍をしらべよう。明日の非番の時にでも行ってみようと思った。
 自分の戸籍が調べられているとは知らない隼人は、自分なりにこれ迄の事件を調べ始めた。問題は事件が起きた日時と天候、それに場所を入念に調べた。五年前から今回の事件迄、詳しく調べて見たが、自分が関わっているかどうかまでは、はっきり言って分からなかった。もやもやしたまま、調べは終わった。
「諏訪君、今日は役所へ行くぞ」
「どちらの役所へ?」
「世田谷区役所だ。海老沼隼人のその後を追う」
「……」
 これで俺は終わりだな……。
 隼人は一人胸の内で呟いた。
「諏訪君は幾つになるのかね」
 田所が徐に聞いて来た。
「今二十三歳です」
「名前だけじゃなく年齢も海老沼隼人と一緒だな。これも何かの縁というやつか」
 笑えないジョークを言われた。
「役所へ行ったら、そのあとは安西の祖母が入院している病院へ行ってみる」
 もうこれで終わりだな。隼人は覚悟した。
 世田谷区役所に着き、車を駐車場へ停める。このまま何処かへ行きたくなった。前以て役所へ電話でも入れてあったのか、受付で来意を告げると、課長と名乗る人物が応対に出た。
「忙しい所をお手間を取らせて申し訳ありません。今日は宜しくお願いします」
「はい。一応連絡があった書類を取り揃えて置きましたので、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
 課長が田所と隼人を個別ブースへと案内した。
「こちらでお待ち下さい」
 隼人は、二人で待っている間にも、自分から告白しようかどうか迷っていた。発作の件がなければ、間違いな自分から身分を打ち明けていただろう。そんな事を考えているうちに、課長とその部下が書類のファイルを手にし、やって来た。
「言われた書類がこちらです。海老沼隼人さんの戸籍謄本と安西清美さんの戸籍謄本に海老沼隼人さんが安西さんに養子に行った後の事が書かれた謄本一式です」
「拝見させて頂きます」
 田所が見ている書類は、以前隼人が調べたと言った内容と同じだ。先ずはほっと胸を撫で下ろした。答えは自分が伝えたのと同じだからだ。
「この後の事は分からないのですか?」
「安西さんから抜けた後ですね?」
「はい。今日の目的はそこなので」
「戸籍が抜かれただけでなく、除籍になっています。ひょっとしたら安西さんからの財産相続を拒否したのかも知れません。その後は、親戚筋の落合さんという方の戸籍に入っています。何故そこまでして前の戸籍から抜けたいのか、その辺は安西さんや落合さんに直接尋ねてみては如何でしょうか。落合さんの後は私の所では分かりません。そのまま落合と名乗っているかも知れませんし」」
「分かりました。そうすると、安西隼人さんは、今戸籍を持っていないという可能性もあるわけですね?」
「はい。恐らく何方かの籍に入り。その苗字を名乗っていると思います。ただ、こちらではそれは分かりません。一回限りの除籍なら、本籍地へ問い合わせ、除籍謄本を取るという事も考えられますが、親戚でもない人間を相手に就籍の手続きを取られたら、謄本を取り寄せても分からないでしょうね」
「成る程。いや、今日はありがとうございました。大変参考になりました。じゃ、今日はこれで。諏訪君、行くぞ」
「はい」
 隼人は胸を撫で下ろしながら、先を争うかのように区役所を後にした。隼人は、戸籍を買って良かったと思った。諏訪の戸籍は、五年前、大学入試を控えていた時、ネットカフェで屯していた、ホームレスの同じ年の男から十万円で買った。同い年の男が見つかったのは隼人にとって幸運でしかなかった。この事を知っている者は、いない。
 警察学校に入る際に、しつこく過去と家族の事は聞かれていたから、大丈夫だとは思っていたけれど、現実には何時、自分の過去が暴かれるかが心配だった。
 自分の過去がそんなに心配なら何故自ら警察官になろうとしたのか。この辺の自分の感情には、正直、自分でもはかり知れない所だ。自分の将来をぶち壊してくれた殺人者へのリベンジと言う事もある。現実的な話ではないが、そういう気持ちは持っている。そして、その気持ちはあの日の事がきっかけで現在の自分が出来ていると思っていた。
 それよりも、これから会いに行く安西の祖母の事だ。前以て話をしておけば、白を斬ってくれたかも知れないが、今となってはそれも無理な話だ。区民病院へ着いた田所と隼人は、受付へ行き、安西清美と面会したい旨を伝えた。
「502号室です」
 田所と隼人はエレバーターを使って五階迄上がった。502号室の前に来ると、扉は開いていた、六人部屋のようだ。隼人は覚悟を決めながらも、田所の背中に隠れるように病室へ入った。
「安西さん、安西さん」
 清美は眠っていたようだ。
「はい。何方ですか。見掛けない人のようだけど」
「警察の者です。安心して下さい。少し昔の話を聞かせて頂きたいだけでして」
 その時、清美と隼人の目線があった。隼人は、田所の後ろに隠れながら小さく首を何度も横に振った。清美が微かに頷いた。
「何の御用でしょう」
「お孫さんの隼人君の事についてです」
「孫はもういません。隼人がどこで何をしているかも分かりません」
「そうですか。十三年前の事件で、お孫さんは一人生き残った。何かその件についてお話とかされたことは?」
「ありません。そんな事、話せるような状況じゃありませんでしたから」
「その心情、充分に分かります。お孫さんの隼人君とはどれ位一緒だったのですか?」
「一年ちょっとだったと思います」
「海老沼家から養子縁組をされ、隼人君は安西の籍に入った。その理由は?」
「世間の煩さからです。そっとして欲しいのに、世間は面白おかしく私達の事を週刊誌の記事に書いたり、言われも無い事で後ろ指を指されたんです。刑事さんなら分かるでしょ。いかに被害者遺族が辛い思いをするかが」
 清美は一気に話、大きく深呼吸をした。隼人は頷いた。清美の顔に笑顔が戻った。十年以上前に分かれた孫が、こうして立派に警察官となっている事に誇りを感じたかのようだった。
「もういいでしょう。私から隼人の事を訊こうとしても、何も出て来ませんよ」
「もし、又何かお伺いしたい事がありましたら、その時はご協力をお願いします」
 そう言って田所が清美の傍から離れると、隼人はそっと清美の手を握り、小声で、
「体には気を付けて。お大事に」
 と言葉を掛けて病室を後にした。その光景を田所は暫し見ていた。
 署に戻り、一課長への報告と、書類の作成をしている所へ、田所がやって来た。
「諏訪君。あの安西さんとは初対面だよな?」
「はい」
「にしては、最後に病室を出る時の言葉の掛け方、まるで昔から知っている者同士の感じに思えたのだが……まあ、いいか。今日はご苦労さん。その書類が出来上がったら、もう上がっていいよ」
「はい。ありがとうございます」
 隼人は背中に冷やりとしたものを感じた。
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