第13話

文字数 3,093文字

 話をしていた隼人が、突然に、
「こんな事、幾ら話しても病気で片付けられたら意味が無い」
「諏訪さん、誤解しないで。貴方の話を信用しないとかそういう事じゃないの。真実を突き詰めて行く事が、貴方の統合失調症を治療する為にも必要なの。貴方が体験した事が真実ならそれはそれで治療の参考になるわ。だから、私は諏訪さんからもっと詳しく話を聴く必要があるの」
 鶴崎恵美子は熱っぽく語った。
「先生の言いたい事は良く分かりました。じゃあ、時間も時間ですからこれで失礼します」
「諏訪さん、失礼しますって何処へ行くの?」
「それは、男一人何とかなります」
「警察に追われているんでしょ。自宅にも帰れないんじゃないの?」
「まあ、はい」
「ここにいれば?」
「え!?」
 鶴崎恵美子の言葉に隼人は一瞬耳を疑った。
「僕は警察に追われている人間ですよ。強盗殺人事件の重要参考人だ。そんな人間を匿う事は、先生に迷惑が掛る」
「私は貴方を事件の容疑者とは思っていない。警察が貴方を追っているとしても、私にとっては諏訪さんは大事な患者さんの一人なの。その患者さんがもし本当に何らかの事件を犯しているとするなら、自ら進んで警察へ行く事を進めるし、もし冤罪ならば庇うし、冤罪を証明する努力を一緒にするわ」
「先生……」
「だから何度も諄いようだけど、詳細に事の顛末を話して欲しいの。特に気を失うところと、ご自身の体が宙に浮いた時の事を」
 隼人は、鶴崎恵美子の気持ちの強さに驚いた。この人なら信用出来る。本能的にそう感じた。
隼人は、鶴崎の言葉に応じるかのように話した。
「貧血のように気を失ったと言ってるけど、血圧とか普段から低い方なの?」
「いえ。普段は貧血とかなった事無いです」
「じゃあ一応念の為採血して調べて見ましょう」
 そう言って鶴崎は採血の準備を始めた。
「日が明けたら、すぐに検査に回すからね」
 鶴崎がカルテを書き進めながら、質問を繰り返す。
「気を失った間は、まるっきり記憶がないのね?」
「はい」
「御自分が宙に浮いている事自体、幻覚だと思った事は?」
「ないです」
「では、御自分が体験した事が妄想と思った事は?」
「思った事もありました。でも回数を重ねる毎にその思いは消えて行きました」
「手とか腕を怪我した時も記憶になかった?」
「はい」
「意識が戻った時、失う前とは違う場所にいたと言ってるけど、そこ迄の移動はどうでした?やはり意識は無かった?」
「はい。途中、宙に浮いている感覚がして、意識が戻った事がありました」
「成る程」
「諏訪さん、これらの事を幻覚や妄想、幻聴の類と思う事は無理ですか?」
「同じ事を言うようですが、あれは決して妄想や幻覚ではありません。確かに自分の身に起きた出来事です」
「私が言いたい事は、幻覚や妄想という事で証明出来れば、寧ろ諏訪さんにとっていい方向に向くのではと思うのです。つまり、警察の取り調べを受けた時に、幻覚だった、妄想ですと証言することで、事件との関りが無くなります。寧ろ、あれは事実なんですと言ってしまうと、事実なのかと言う事になって、諏訪さんは不利な状況に追い込まれてしまいます。無理にあれは幻覚だった、幻想だったと認めてとは言いません。その辺は諏訪さんがゆっくり考えて答えを出せばいいかと。なので、当分はこのクリニックに居て下さい」
「それは先生、余りにも甘え過ぎです。第一他の看護師さん達にどう説明するのですか?」
「大きな病院に入院する予定で、ベッドが空き次第移って貰うと言うわ」
「先生、無茶だ。警察がここを感付いたらどう対応するんですか?」
「その時はその時。心配しなくても良いから」
 鶴崎恵美子は笑みを浮かべながら言った。隼人は、この人に身を委ねようと決めた。
「では、お言葉に甘えます」
「じゃあ処置室で寝て貰うわね。今日はもう遅いから休まれて。今毛布を持ってくるから」
「ありがとうございます」
 隼人は、自分に理解者が出来た事に、心から感謝をした。毛布を持ってきた鶴崎が、隼人に、
「スタッフ達が出勤してくる前に起こすから、早めに寝てね」
 そう言うと、隼人は処置室のベッドに横たわった。
「はい。そうします」
 鶴崎は、自分の診察室へ 行った。鶴崎は、隼人のこれ迄の話から、一つの仮説を思い立った。それは、隼人が多重人格ではないかというもので、この仮説を当て嵌めると隼人の話に合点が行く。鶴崎は、隼人のカルテにその事をパソコンで打ち込んだ。明日、その方向で隼人から話を聴いてみよう。鶴崎は、溜まっている患者のカルテと一緒に隼人のカルテを纏めて行った。
 隼人は早くに目が覚めていた。起き上がり、毛布をたたみ、鶴崎恵美子が来るのを待った。程なくして鶴崎恵美子が処置室に入って来た。
「諏訪さん。泊った事は看護師には言っちゃ 駄目よ。今から待合室に行って貰って、そこで診療時間が来る迄待ってて欲しいの。スタッフが出勤して来たら、診察時間より早く来ちゃったという事にするから。いいわね」
「分かりました」
 隼人は待合室へ移り、鶴崎の言う通り時間迄待った。スタッフ達が出勤して来た。皆、隼人を見て訝し気な視線を送った。
「先生、待合室にいる方は?」
「ああ。諏訪さんね。体調が優れなくてやって来たの。時間が待ち遠しくて取り敢えずは待合室で待ってて貰っているのよ」
「そうなんですか。じゃあ表玄関開けますね」
「そうして。時間が来たら予約の方を優先して、合間の時間に諏訪さんを診るから」
「はい」
 看護師が鶴崎の言われた通り動く。待合室はあっという間に一杯になった。隼人が呼ばれたのは、受診時間から一時間後だった。
「ごめんなさいね、こんなに待たせちゃって」
「いいえ。いいんです。時間は幾らでもあります」
「そんな事ないでしょ。寧ろ幾らあっても諏訪さんには足りない位だと思う」
「……」
「それで、ちょっと考えたんだけど、諏訪さん自分の事を多重人格と感じた事はある?」
「多重人格ですか?考えた事も無いですけど」
「そうよねえ。自分でそれを自覚する人って滅多にいないから、諏訪さんがそう思うのは当然だわね」
「多重人格がどうかしたんですか?まさか僕が多重人格と?」
「仮定の話なんだけど、諏訪さんが多重人格であれば、これ迄の話の辻褄があって来るの。勿論これは、私が思い立った仮定の話なんだけれど」
「僕が多重人格だとどう影響して来るんですか?」
「貴方が場面場面で起こした行動を、多重人格という事で説明すると全てが証明される気がするの。勿論、貴方を多重人格と決めつけようとしている訳ではないのよ。一つの仮説として、お話しているの。そこは分かって。自分が多重人格と仮定してみてどう思うか、そこを聴きたいの」
「……」
 隼人は暫し考えた。鶴崎の言う通り、自分を多重人格と仮定してみる。だが結局答えは見つからなかった。
「先生、やはり自分はどう考えても多重人格ではないように思います。すみません」
「諏訪さん、何も謝らなくてもいいのよ。あくまでも私が勝手に仮説を貴方に押し付けようとしているだけだから」
 鶴崎はパソコンでカルテに打ち込みながら、何とかして隼人を今の窮地から助け出さなければと思った。その為の多重人格説だった。やはり、一番説明が付くのは、統合失調症による幻覚と妄想の影響かなと思った。恐らく十三年前の事件が色濃く精神に影響し、トラウマとなったのではないだろうか。その事を隼人に尋ねてみた。
「それは自分でも感じます。十三年前の事件が及ぼした影響は大きかった」
「話したくないかも知れないけれど、当時の事もう少し詳しく話してくれる?」
 隼人は、鶴崎の言葉に答えた。

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