第2話

文字数 2,834文字

 隼人の日常は、以前とがらりと変わった。勤務に付いている時は、いつ何時出番が来るかという緊張感が支配した。それは、勤務時間が終わって、自宅へ帰った後も続いた。そんな隼人を優里亜は愛おしく見ていた。
 拝命してからの隼人は、毎朝の拳銃による射撃訓練と、短機銃の取り扱い訓練が日課となった。警察学校での射撃成績はA+で、警備部の上司達も訓練で群を抜いた得点を上げる度に目を丸くした。それと、隼人はコンピューターに精通していて、その方面でも成績は優秀だった。
 拝命して半年後。初めて警備の仕事が入った。総選挙の演説の場での警備だった。緊張感を研ぎらせ維持するのが大変だったが、先輩警察官が気に掛けてくれ、又警備中何事もなく済んだので初陣は無事済んだ。
 嫌いな雨の季節がやって来た。雨と聞いただけで憂鬱になって来る。仕事帰り、隼人は発作が起きない事を願った。発作が起きると記憶が飛ぶ。自分が何処にいるのか、何をしているのか分からなくなるのだ。
 その夜、隼人は例の発作に襲われた。気付いた時には、見ず知らずの街を彷徨っていた。拳と左腕に紫色の内出血の痕が出来ている。
 俺は何をしたんだ?
 何も思い出さない。隼人は自宅へ帰るのが怖くなった。家に着いたのは終電間際の遅い時間だった。
「どうしたの、こんなに遅くなって」
 優里亜が心配そうな眼差しで尋ねて来た。
「何でもないよ」
「飲んで来た訳でもなさそうだけど。顔色が余り良くないわよ。何か事件でもあったの?」
「事件があっても関係するのは警務部だから、機動隊として招集されない限り、うちの課には直接関係はしない。だから優里亜は余り心配しなくていいよ」
「分かった。でも無理しないでね」
 優里亜の優しい気遣いが嬉しかった。だが、自分が発作持ちでよからぬ場面に陥ってるとは言えない。多分理解して貰えないだろうから。
 翌日、本庁へ出勤すると、何やら騒がしかった。先輩巡査に聞いてみる。
「何があったのですか?」
「警務部の方で殺人事件があったのだが、それが何年も前に起きた事件とそっくりな様相を見せているらしいんだ」
「どうそっくりなんですか?」
「うん。何でも数年前に起きた連続強盗殺人事件と同じで、その手口だが、昨夜のように雨の日に一般家屋に押し入り、住人を皆殺しにして金品を奪うというものだ。この数年同じ手口の犯行は無かったが、昨夜復活したという訳だ」
「我々も応援で呼ばれるんですか?」
「それは無い。畑が違う」
 隼人はこの連続強盗事件の名前がブラックレインと呼ばれ、犯人をレインマンと呼ぶ警務部の神経を少し疑った。その発端は、自分の家で起きた強盗殺人事件からだ。それよりも、自分の事だ。昨夜事件があった時は、発作が起きた時ではないか。益々自分の発作の内容が知りたくなった。
 警察学校へ入学した時、隼人は自分の身元がはっきりと分かってしまう事に神経を使った。強盗殺人事件の当事者だった隼人は、まだ中学生になって間もない少年だった。事件後、幸いに母方の祖父母の籍に入れて貰う事が出来、事件時の苗字から安西になった。その後更に戸籍を変え現在の諏訪になった。この件は厳重に秘匿されて来たから、自分から喋らない限り分かる訳が無い。それでも、いつ何時バレてしまうかと気が気ではなかった。
「諏訪君、ちょっときてくれ」
「はい」
 突然課長に呼ばれた。
「何でしょうか」
「実は警務部から応援の依頼が来てな。君に行って貰う事になった。今から庁内の機動捜査隊に出向いてくれ」
「それは?」
「他の者に任せていい」
 隼人は自分の席に戻り、必要な物をてにして警備部を後にした。警視庁内にある警務部に行き、警備部から出向で来た諏訪ですと言うと、既に連絡が来ていたようで、
「警務部内の機動捜査隊へ行くように」
 と言われた。行ってみると何やら騒がしい雰囲気が漂っていた。機捜の受付に行き、来意を告げると、奥のデスクから中年の捜査員が手招きをした。
「警備部から応援に来ました諏訪隼人巡査です」
「私は警務部捜査一課の課長を務めている蓮田だ。それにしても随分若いな。拝命はいつだ?」
「はい。今年です」
「まだならまだ刑事の仕事も全部こなした訳ではないな」
「はい」
「まあいい。若くて優秀な人間を応援に寄越してくれと言って、君が送られて来たんだ。良しとしよう。今回の応援の内容は聞いているか?」
「いいえ」
「今、警視庁管内で連続強盗殺人事件が続いているのは知っているか?」
「はい。TVのニュース等で」
「うむ。遡る事十三年前に一回目の事件があった。それから数年間は大人しくしていた容疑者が五年程前に連続で事件を起こした。それが、ぴたりと動きが止まり、我々としてもこのままお宮入り同然になると思っていたら、再び動き始めたんだ。手口は必ず雨の夜に家屋に侵入し、家族全員を殺して金品を奪うという悪質極まりないものだ。雨の日に事件を起こしているから事件名をブラックレインと呼び、容疑者をレインマンとして捜査本部を中野、杉並、世田谷の合同本部を立ち上げている。君には世田谷の本部へ行って貰う。世田谷の本部に詰めているうちの捜査員を紹介する。田所君」
 田所と呼ばれた四十前後の刑事が近くへやって来た。
「警備部から応援でやって来た諏訪君だ。まだ刑事としては何も知らない新人さんだが、警備部ではかなり優秀なようだ。宜しく頼むよ」
「はい。分かりました」
 田所が隼人の方を向き、付いて来いと言った。
「報告書を作っているからその席で少し待ってくれ」
 田所の言われるままに椅子へ腰掛けた。暫くすると、田所がパソコンを閉じた。隼人の方へ向き直ると、
「私は捜査一課三係係長の田所警部補だ」
 と隼人に言って来た。
「警備部巡査の諏訪です」
「事件の概要は聞いたか?」
「大体は」
「聞いた内容と重複するかも知れないが、今年に入ってから同様の事件が起きている。世田谷でだ。手口は五年前に起きた連続強盗殺人事件と同じだ。指紋を残さず、凶器はいずれも押し入った家の包丁を使用するか紐状なもので絞殺するかだ。手掛かりとなるのは室内に残された足跡のみ。そして何よりも雨で視界が悪い日に限って事件が起きている。いずれもだ。この一連の事件の発端は、遡る事十三年前、世田谷で起きた同様の事件がそうではないかと、本部では思っている」
 隼人は動悸が収まらなかった。十三年前の世田谷での事件。その当事者は自分だ。生き残った唯一の人間。それが自分だ。そして、この事件が起きた時に、自分の記憶が定かではない事に衝撃が走った。恐れていた事だった。顔色が変わるのを悟られないようにした。
「以上がブラックレイン事件の概要だ。今は街頭の防犯カメラの解析と、不審者の目撃証言を得られないか聴き込みに重点を置いている。諏訪君には聴き込みに加わって貰いたい」
「はい。分かりました」
「うん。じゃあ今日から私と一緒に回るぞ」
 田所は椅子に掛けてあった背広に袖を通し、隼人に行くぞと促した。
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