第3話

文字数 2,823文字

 田所は諏訪を連れ、車の助手席に乗り込んだ。諏訪に運転しろという素振りをした。運転席に隼人が乗り込むと、
「諏訪君。世田谷の経堂へ行ってくれ」
 田所がそう言うと、隼人はドキッとして顔色を探られないよう努めて冷静さを保った。
「今回の事件とは別の場所ですが?」
「いいんだ」
「再度の聴き込みですか?」
「それもあるが、目的は違う所にあるんだ」
「違う所?」
「ああ。十三年前の事件当日、被害者家族には子供が一人いたのだが、ある時期から行方不明になっているんだ。今日の目的は、その少年の足跡をたどる事だ。近くに被害者家族の祖母が住んでいる。その祖母に子供のその後を聴くんだ」
 祖母とは十年近く会っていない。しかし、祖母は隼人の事を気付くだろう。隼人は車を運転しながら、どう対処しようか考えた。が、考えれば考える程、妙案は浮かばない。高速を降りて、間もなく経堂という所で、隼人は意を決して田所に全部打ち明けようかと考えた。
 経堂の街中を走っていると、あの時の事が鮮明に浮かんで来た。祖母の家ははっきりと覚えている。田所が道を指差しながら、指示を出す。祖母の家に着いた。
「ここだ」
 家には安西という表札が、昔と変わらず出ていた。田所がインターホンを鳴らす。三度鳴らしても出て来ない。すると、隣の家の住人が台所の窓から顔を出し、
「安西さんは入院しておるよ」
 と言った。隼人は助かったと思った。
「いつ頃から入院されているんですか?」
 田所の質問に、隣の住人は、
「そんな事いきなり訊かれても見ず知らずの人によう教えんわ」
 と言って、顔を引っ込めて窓を閉めてしまった。田所は隣の家のドアをノックした。すると、台所の窓から顔を出した隣人がそっとドアを開けて、
「何の用だね」
 と言って来た。
「私達怪しい者じゃありません。警察の者です」
 田所が警察手帳を見せながら言った。
「警察が何の用だね」
「少しお聞きしたい事がありまして」
「こっちは夕飯の支度で忙しいんだ。早く済ましておくれ」
「お手間は取らせません。隣の安西さんの所に、何年か前迄若い男性が同居していたと思うのですが、その消息を知りたくてお邪魔している次第なんです」
「若い男……。ああ、随分前に少しだけ一緒に暮らしていたのを覚えているけど、若いも若い。まだ子供だったよ」
「その子、どうなったか知りませんか?」
「知らないね。子供の事を訊いてどうするのさ」
「ある事件に関わっていると思われるので、行方を知りたかったんです」
「なら、安西さんに直接訊きな。区民病院に入院してるから」
「そうします。時間を取って済みませんでした」
 田所は、そう言って隼人を促し。車へと戻った。
「病院へ行くんですか?」
「いや。病院迄押しかけちゃ病人も迷惑だろう。捜査本部のある世田谷署へ顔を出そう」
 病院へ行って祖母との対面は逃れた。安心したせいか、車の運転も心なしか軽やかになっていた。
 世田谷署に顔を出すと、捜査一課長が手招いた。
「一向に状況が変わらないよ」
 一課長が嘆いた。
「そちらの新顔さんはまだ若いようだが新人さんかい?」
「同じ本庁の警備部からの応援です。かなり優秀だとの評判で」
「ほう。それは、それは」
 半ば馬鹿にしたような言い方で揶揄した。
「諏訪隼人巡査です。宜しくお願いします」
「おう。田所さんに付いて居れば間違いないよ。頑張ってな」
 挨拶を終えると、田所と一課長が捜査に関しての情報交換をした。諏訪は黙って二人の会話に耳を傾けていた。
「とにかく地取りを入念にやっているのだが、これといった成果が上がってこないんだ」
「五年前の事件は勿論の事、一回目と思われる十三年前の事件もこれといった物証が無い状況では致し方無いですよ」
「まあ、そうだがそうだが、かと言ってそうとばかり言ってはいられない。以前の事件と違って街中にも防犯カメラが設置されている今なら、何かしらの痕跡が出てくる筈だ」
「私らも地取りに加わりましょうか?」
「そうしてくれると助かる」
「分かりました。じゃあ早速行って来ます」
「頼む」
 隼人は一課長に見送られる形で世田谷署を後にした。今回の事件は経堂で起きたが、小田急線経堂駅周辺は人通りも多いが、事件があった家は、住宅街の中にあり、夜ともなると人通りが日中に比べて極端に少なくなる。そんな中で何らかの目撃証言を得るのは難しい。今も何組かの捜査員達が周辺を聴き込みに回っている。
 田所は、一戸建ての家への聴き込みをせず、アパートやワンルームマンションの住民に的を絞って聴き込みをした。田所の意図はこうだ。一軒家の主は誰かしら日中でも家にいるが、帰りは割と早い。そこへ行くと帰りの遅い独身者の方が、不審者の目撃証言を得られるのではないかと踏んでの聴き込みだ。こうして、地取り捜査は夜遅くまで行われた。しかし、得るものはなく、本庁へ手ぶらで帰る事になった。
 隼人は、田所が一回目の事件の当事者である自分の事に執着しなかった事に安堵の念を抱いた。
 海老沼隼人。事件当日十二歳で中学一年。翌年、同じ世田谷区内に住んでいた母方の祖父と祖母に引き取られ養子縁組をし、暫く安西姓を名乗っていたが、高校入試前に遠い親戚である諏訪家に二度目の養子に入り、今日に至っている。養子縁組を繰り返し姓を変えたのは、事件のせいもある。事件当夜、一人だけ生き残った少年をマスコミは追い駆けた。勿論、警察もである。親族たちが隼人を可哀そうと思い、世間から少しでも隔離させなければと思った配慮からであった。
 隼人は、自分の発作を恐れている。それは、丁度五年前から起きた。漆黒の闇の中降りしきる雨の中を夢遊病者の如く彷徨い、意識の無いまま、気付けば手に着いた血を雨で洗い流していた。発作の出た夜、都内のあちこちで強盗殺人事件が起きている。隼人はひょっとした自分が犯人ではないだろうかと考えてしまった。しかし、強盗もしたなら何かしら金品を手にしている筈だったが、それは無かった。唯一それだけが、自分は無罪だと言える物証だ。だが、自分で無罪と言っても、その確証も無い。何しろ、事件と同じ時刻に、何処で何をしていたかの証言が出来ないのだ。もし、自分の事が分かってしまうと、何故、今迄海老沼隼人だったのに言わなかったのかと責められる。すると、その責めにどう答えて良いのか分からない。このままでいていいのかどうか、隼人は悩んだ。
 結局は、これまで通り押し黙る事にした。もし、後になってその事が問題になっても、子供の時の事だからと、白を切るつもりだ。問題は発作の方だ。自分はひょっとしたら一連の強盗殺人事件の犯人なのではないか。との気持ちが心の奥底に固まっている。それは、(おこり)のようなもで、雨の日になると蠢いてくるのだ。
 この日から隼人は、田所と一緒に経堂界隈の地取りに専念した。自分の事が分からないよう、言動にも注意をした。田所はまだ海老沼隼人の存在を追いかけようとしていたからだ。
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