第8話

文字数 3,071文字

 本部のある世田谷署へ戻ると、田所が諏訪に聞いて来た。
「君、どう思うかね?」
「どうと言いますと……」
「ここまでのレインマンの犯人像だ」
「以前係長が仰ってた模倣犯説も考えた方が良いかと」
「事件は一連の流れで同一犯にも見えるが、実際はレインマンの模倣犯がいるという事か?」
「はい。その方がこれ迄のビデオ解析や、地取りの結果からそう考えるのが自然かと思います」
「目撃証言の少ない中で、それをどう納得させられる」
「そこは、これから次第で」
 隼人は、熱心に模倣犯説を説いた。隼人にしてみると、模倣犯説は自分に不利になる可能性がある。寧ろ、同一犯説の方が都合が良い筈だ。それを模倣犯説に絞ったのは、賭けであった。同一犯の場合、もしも自分が関わっていたとしたら、もう言い訳がきかない。自分の犯行と認めるしかないのだ。そこへ行くと、模倣犯説なら、自分ではなく他に犯人がいるという事を述べる事が出来る。そこに掛ける事にした。記憶の無い部分をいざとなったらどう証明出来るか。今は一早くそこを自ら解析しなければいけない。
「じゃあ諏訪君、模倣犯説でこれらの調書やビデオの解析データを纏めてくれ」
「いいんですか。我々で捜査して?」
 田所は、その件は課長に話してみるといって、席を立った。
 さあこれからだぞ……。
 隼人は意を決して目の前の資料と向き合った。持ち寄られた各署のビデオには、大概一人の男が映し出されていて、いずれも雨の中を合羽姿かそのままの姿で傘も差さずに、最寄りの駅方向へ走っている。雨だから走っている方が自然で、パッと見た感じでは怪しいという面は窺えない。一本のビデオに目が止まった。男の顔が血だらけになっている。
 どういう事だ?
 誰にやられた?
 被害者から抵抗にあったか?
 目に止まったビデオは祖師ヶ谷大蔵のものだった。記憶が飛んで発作を起こした夜だった。そのまま別の場所から映したビデオを観てみた。駅の駐輪所を映し出している。男がやって来た。顔から血が滴っているのがビデオでも分かる。背格好は、被害者の夫婦がいうように、自分に似ている。経堂のビデオと比べてみた。経堂の方が痩せているか?
 似ているが、これで祖師ヶ谷大蔵のビデオに映っているのは、自分では無いと断言出来る。何故なら自分には顔に傷は無いからだ。
 経堂のレインマンは自転車を使っている。雨合羽も着込み、万全な雨対策をしている。祖師ヶ谷大蔵の犯人は、駐輪場に自転車を置いていたのか?はじめはそう思ってみて見たのだが、どうも無施錠の自転車を探しているように見えた。隼人は、この地区で自転車の盗難が無かったかどうか問い合わせてみた。
 ビンゴ。この夜、一台盗難に遭っているのが分かった。犯人はビデオに映っている顔に怪我をした男だ。男の顔の傷は、被害者と揉みあいになった時に出来た物なのかどうかは、被害者の夫にもう一度確認してみなければいけない。
 更に一点。自転車で逃走出来る範囲に住居をさだめているのか。もしそうだとすると、土地勘もあると言う事になる。事件が起きた範囲が世田谷周辺に集中している事も納得出来る。この点は、予てから言われていた点だ。だから周辺の聴き込みに力を入れている。
 レインマン気取りの成りすましは、祖師ヶ谷大蔵の容疑者じゃないかと隼人は思った。これまでの容疑者は、少なくとも自分の痕跡を多少なりとも消そうとしている。だから、目撃者に成り得る被害者を一人残さず殺している。そして、指紋も消している。ただ、DNAの材料になりそうな自分の血液痕や髪の毛、それに皮膚片の始末はしていない。さすがにそこ迄自分の証拠品が残るとは思っても見なかっただろう。ただ、これらの遺留物は余りにも少なさ過ぎて、決定的な証拠になり難い。ただ、人物の特定は出来る。要するに、経堂の遺留DNAと祖師ヶ谷大蔵の遺留DNAが一致すれば、同一犯の犯行と立証出来る。
 真のレインマンは経堂の犯人か?五年前のDNAと経堂のDNAが一致してくれと願った。
 その結果が出たのは、経堂の事件から三か月ばかり過ぎた頃であった。結果は……。
 五年前、三つの強盗殺人事件が同一犯の犯行と見て捜査していたが、遺留DNAが検出されているのは一件だけで、残りの二件からは検出されなかった。検出されたDNAと経堂の事件で検出されたDNAも六十五%の確率で同一とされた。六十五%だと、本人とは言い難い結果だ。それでも、同一犯の可能性が明らかになったのは前進だ。尤も、その辺の精査は既に本部でも終わっていて、隼人の調べはそれらを後押しするだけで終わった事になる。
 残る問題は自分だ。五年前という事は大学生だ。確かに発作はその頃から起きていた。そして経堂の時と祖師ヶ谷大蔵の件だ。完全に自分が関わっていないと断言出来ない今、関りを否定出来るものを証明しなければならない。
 隼人は決断した。自分のDNAを検査して貰うという事を。髪の毛を科捜研に送る事にした。一週間程で結果が出る。勿論、科捜研には自分の髪の毛だと言わない。
 じりじりする一週間が過ぎた。三件、自分の髪の毛と現場で採取されたDNAが一致した。それは十三年前の現場と五年前の二か所の現場から採取された物だった。
 これはどういう事だ?
 あの場に自分は犯人同様に居たのか?
 そんな筈はない。十三年前の物はリビングから採取された物だから、きっと自分がリビングで家族とくつろいでいる時に落ちた髪の毛か皮膚片かも知れない。隼人はそう結論付けた。残りの二件はどう説明する?結果、隼人は迷路に嵌ったかのように混乱した。
 発作のせいか?残る疑問を考えたが、答えが出ないままでのまどろっこしさに、隼人は苛立った。自分は連続強盗事件の現場に足を踏み入れている。DNA鑑定の結果は確率99.9%と出ている。間違い様がない数字だ。
 隼人の送った自分の髪の毛のDNAが、現場から採取したDNAと三つも一致した事で、科捜研は複数犯説を言って来て、隼人の送った髪の毛の出何処を尋ねて来た。隼人はそれには答えずにいた。
 科捜研は、隼人にではなく、係長の田所にこの件を尋ねた。田所は驚いた。いつの間にか隼人が重大な証拠に嗅ぎついていたのを知り、隼人に何故黙っていたのかを問い質した。
「まだはっきりとしたことを言える段階では無いと思いまして」
「それでも新しい事実が浮かんで来たんだ。報告して貰うのが常だ」
「どうも済みません」
「新たに出たDNAの元は何だ?何処から手に入れた?」
 田所の矢継ぎ早の質問に、隼人は却って黙りこくった。
「だんまりか」
「いえ。今は言えないだけです」
「ほう。まるで自分の情報源をひた隠すマルB(組織対策課。暴力団を対象にした部署)の刑事みたいだな」
「いずれきちんと報告出来る時までは時間を下さい。その時が来ましたら、きちんと説明させて頂きます」
「証拠物件を一人捜査の為に取り扱うというのか?」
「いいえ。そういう訳ではありません」
「まあ、いい。好きにしろ。だが今後はきちんと報告しろ。いいな」
「はい。ありがとうございます」
 田所は下がれと言わんばかりに手で隼人を追い払った。
 隼人は何とか窮地を脱した事で、胸を撫で下ろした。しかし、危地はまだ続いている。いずれ、自分の事を話さなければならないが、せめて自分が今の現状を脱してからで無いと話せない。
 何とか自分の意見を押し通した隼人は、自分の発作の事を考えてみた。これは捜査でどうにかなる問題ではないと判断し、メンタルクリニックへ行ってみる事にした。
 
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