第12話

文字数 3,309文字

 田所は、隼人に付けた捜査員から、隼人が宙に舞い上がり、姿をくらましたとの報告を受け驚いた。何かの見間違いじゃないのかと何度も問い返したが、隼人は、自分の腕に所持していたナイフで突き刺すと、そのまま雨の中を間違いなく宙に舞ったという。単なる見間違いじゃないとすれば、どういう事か。
 その報告から一時間後。今度は隼人が自宅へ戻って来たと張り込んでいた別の捜査員から連絡があった。報告では足を怪我しているらしく、引き摺っていたとの事だ。自宅を見張っていた捜査員から、
「任意で連行しますか?」
 と言って来た。田所は、
「お願いします。もし抵抗されても対処できるよう至急こちらから応援を送りますので、それ迄お待ち下さい」
 と伝えた。
 隼人は部屋に入ろうかどうか迷った。今の姿を見たら優里亜は卒倒するかも知れない。が、傷を治さなきゃ行けない。
 意を決して部屋のドアを開ける。リビングに優里亜が座っていた。
「その怪我どうしたの?」
 優里亜が絶叫するような話し方で迫る。
「ウオッカがあっただろ?一緒に救急箱と針と糸を出してくれ」
「どうしたのって聴いているのよ」
「後で説明するから、ウオッカと、それに救急箱と針と糸が先だ」
 優里亜は仕方なく言われた通りにした。隼人はウオッカで傷口を消毒した。激痛が走る。救急箱からガーゼを取り出し、腕と左腿の血を拭いた。じわりと拭いた後から血が滲み出る。隼人は針に黒の木綿糸を通し、傷口を縫い始めた。短い声で優里亜が悲鳴を上げる。
「自分でしないで救急車を呼べば良いじゃない」
 優里亜の言葉を無視して、隼人は傷口を縫う事に専念した。優里亜はその姿を見て、小さく悲鳴を上げた。隼人は、何とか二か所の傷口を縫い終えた。傷口の治療を終えると、濡れた服を着替えた。
「隼人、早く説明して。その怪我はどうしたの?」
 優里亜が待ち兼ねたように尋ねて来た。
「事件の捜査でだ」
「そんな訳ないでしょ」
 隼人は、事件捜査でだの一点張りで押し通した。すると隼人は思い出したように立ち上がり、
「誰か来ても部屋には入れないように」
 と言ってベランダへと行き、外へ出た。建物の裏側には監視の捜査員は配置されていなかった。雨は少し弱くなったが、まだ降っていた。傘はコンビニで買おう。そう思い、雨の中を駆け出した。
 田所が手配した応援の捜査員と一緒に、監視していた捜査員が隼人の家に向かった。裏口も警戒して応援の捜査員を配置した。部屋に電気が点いてる。表玄関で捜査員がチャイムを押す。ドアが小さく開き、優里亜が応対した。
「警察の者です。諏訪君に用があるのですが」
「隼人はいません」
「いない?私達は彼がこの家に入って行くのを確認しているのですが」
「いないものはいないんです」
 優里亜の口調が厳しくなる。
「中に入らせて頂きますよ」
「勝手なこと言わないで下さい」
「私達には捜査する権限があります。どうかご協力下さい。貴女の身の上にも関係してきますから」
 そう言われて、渋々優里亜は中へ捜査員達を入れた。捜査員達が家の中を捜索する。ゴミ箱から血の付いたガーゼと工作用のナイフが出て来た。
「これは何ですか?」
「見てわかる通りガーゼだけど」
「彼は怪我をしているのですね」
「その通りよ」
 捜査員が他に凶器になりそうな物を探していた。
「何処を探しても彼はいないわよ」
 捜査員はすぐさま田所に連絡を入れた。
「今動ける全捜査員をそっちに向ける。何人かは家に残し、残りは緊急配備に回るんだ」
「了解しました。そのように手配します」
 応援の捜査員が到着した。何人かの捜査員が弾けるように隼人の家を出、周辺パトロールに回った。
 隼人は夜の街を彷徨った。恐らく今の自分は手配をされ、緊急配備の対象者となっているに違いない。まだ天気は雨だ。コンビニでビニール傘を買う。多少は降りの強さが収まりつつあるが、隼人は今一度発作が起きないだろうかと思った。今度こそ意識があるまま発作の全貌と対峙したいと思ったのだ。
 道を何処迄歩いただろう。歩けど歩けど、何の変化も起きない。気付いたら鶴崎クリニックの前にいた。深い静寂の中、クリニックから一筋の灯りが見えた。時刻は多分十二時近いと思う。まだこんな時間迄やっているのだろうか。
 隼人はクリニックへ電話を掛けた。五回呼び出し音がなって鶴崎が電話に出た。
「こんな時刻に電話を掛けてすみません。実はクリニックの前にいるんです」
「何かありましたか?」
「はい。実は先程発作が起きて、言葉では説明のつかない行動を起こしたんです」
「諏訪さん。電話ではなく直接お話を伺いましょう。今玄関に行きますから、待っていて下さい」
 言われた通り玄関の前でまっていると、鶴崎がドアを開けて隼人を招き入れた。
「どうぞ」
「はい」
 二人はそのまま診察室へ入った。
「先生、いつもこんな遅く迄残ってお仕事ですか?」
「たまにね。カルテの整理もあるし、諏訪さんのように、夜遅くなって体調を崩して電話を掛けて来る患者さんもいて、どう悪いのか、話は聞いて上げなきゃいけない場合もあるから」
「すみません。突然で。実は自分から発作の時にどうなるか知りたくて、今日のような日を待っていたんです」
「それで?」
 鶴崎が優しく話を促す。
「雨が強くなって来て、今夜だと思って表に出たんです。その時に工作用ナイフを持ち出し、もし気を失うようなこ事があったら、それで腕か腿を刺せばいいと考えたんです。傘も差さず雨の中を歩き回りました。小一時間程経った時に、その時が来ました。腕と腿を刺して気を失わずにその時は過ぎたのですが、ある家の前に来た時に宙に浮いていたんです。妄想でも幻覚でもなく本当の出来事なんです。地面に着地し、その家の裏側に回り、リビングの窓を壊し、中に入りました。家の人達が私の姿を見て驚愕していました。瞬間、気を失ってしまいました。気が付いた時は又何処を歩いていたのか分からなかったのです」
「今の話が本当だと証明は出来ますか?」
「それは……私は警察からマークされて尾行を付けられていたのですが、彼等なら目撃者となってくれるでしょう」
「刑事さんたちに尾行されていたと気付いていたのですか?」
「はい。ずっと交代で家を見張っていましたから。自分も刑事です。刑事から見れば張り込みや尾行位訳なく見破れます」
「そう。さっきの話では、今回の事は幻覚でも妄想でもないとはっきり仰っていましたが、その時に、頭痛とか吐き気みたいな事はありませんでしたか」
「軽い眩暈と頭痛はありました」
「現実的に見てどうしても、諏訪さんの話は肯定出来ない所があります」
「それはやはり幻覚や妄想から来ているものだと言うのですね?」
「人が宙に浮く、あるいは瞬間移動するという話は全くゼロではありません。ただ、これ迄の文献や資料ではその原因がさだかではなく、原因不明と一言で片付けられているのが現状です」
「それでは私の場合も?」
「私が診断出来る事は、諏訪さんが統合失調症という診断だけなんです。統合失調症から来る症状の一つと診断するしかないのです。悪く思わないで下さいね」
 隼人はがっくりと肩を落とし、明らかに落胆している表情を見せ、ゆっくりと立ち上がった。
「先生には信じて貰いたかった。今夜はこれで帰ります。じゃあ」
 そう言って隼人は診察室を出ようとした。
「待って。諏訪さん」
 鶴崎が呼び止める。
「このまま帰るのはよくない。諏訪さんの悩んでいる事を何一つ解決出来ていないのよ。貴方が納得出来るよう、せめて悩んでいる事の一つでも解決しましょう、ね、そうしましょう。もう少し話を聞かせて」
「話をしても信じて貰えないのなら意味は無いです」
「症状として話を聞く事で、何か打開策が見えるかも知れないかも」
「結局は病気の一言で僕の言う事を一括りしてしまうんだ」
 隼人の口調が強くなって来た。
「諏訪さん。諏訪さんの言っている事を信じるとして、もう一度今夜あった事を詳しく聞かせて」
 鶴崎の言葉に、隼人は今一度今夜の出来事を詳しく話した。重複する話を、隼人は懸命に話した。鶴崎は一言も聞き漏らすまいと、カルテに隼人の話を書いて行った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み