第9話

文字数 2,644文字

 隼人は、代田駅近くにメンタルクリニックがあるのを見つけ、早速行ってみる事にした。クリニックは結構混んでいて、診察を受けられる迄小一時間程掛かった。
「諏訪さん、初めまして。院長の鶴崎と申します。固くならずにリラックスして下さいね。何でも話して下さい。先ずは、今どんな感じなんですか?」
 院長と言っても三十代にしか見えない若い女医が尋ねた。
「今は落ち着いています。ただ、自分の場合、雨の夜になると、体調が崩れ記憶が失われるんです。それも、普通の雨降りではなく、辺りが曇る位の強い降り方の時に」
「うむ。それで?」
「夢遊病者のようになって、彷徨っているみたいなんです」
「その時は、完全に記憶は無くなっている。それで?」
 院長の鶴崎は隼人が話し易いように優しく促した。
「記憶が戻ると、腕や拳に痣が出来ていたり、ある時は血が付着していた時もありました。人と争ったように思われます。それだけでなく、自分が記憶を失った時には、必ず何処かで事件が起きていて、死んだ人までいるんです」
「ご自分ではその事件と関わり合いがあると?」
「正直に言います。自分は警察官です。それらの事件を追っています。いろいろ調べた中で、自分が関わり合いになっていると認めなければおかしい事件が複数あります」
「そうですか……。勤務時間は平均して一日どれ位何ですか?」
「日勤の時はサービス残業も含めて十時間から十二時間位あります。泊りの時は、十四時間前後。だいたいこれ位で、正直余り……」
「幻聴や幻覚を見る事はありますか?」
「幻覚はないですが、時折幻聴の方はあります」
「どんな幻聴ですか?」
「呻き声、悲鳴、助けてくれの声、そういった声が、夜寝床に入った時や、泊りで仮眠している時に聞こえて来ます」
「成る程。それは何時頃からですか?」
「ここ五年程です」
「精神的以外に、肉体的に変調はきたしていませんか?」
「肉体的には何処も」
「もう少し詳しく伺いたいのですが、精神的変調に関して、具体的なきっかけとか心当たりはありますか?」
 隼人は暫く躊躇ったが、意を決して話し始めた。
「今から十三年前、家に強盗が押し入りました。その際、父親と母親の二人が殺されました。私は二階の自分の部屋にいて難は逃れましたが、階下から聞こえて来る怒号と悲鳴に震えました。二階には来るなと祈りながら、クローゼットに隠れていたんです。その時持っていたケータイで警察を呼んだのですが……」
 隼人が言葉を詰まらせた。院長の鶴崎が微笑みのまま軽く促した。
「その日、外は土砂降りで物音が全く聞こえないような日でした。時折雷が鳴り、雷鳴は眩い光と共に家の中まで轟いていました。それから暫くして、私はその時のような天候の時に限って発作のように記憶喪失になるんです。最初は短い時間で、特に身体的な痛みや変調はありませんでした。それが顕著になったのが今から五年前で、連続強盗殺人事件の時でした。自分で調べたら、発作が起きた時と事件発生の時間が一致したんです。それだけではなく、DNAに関しても三件の事件のうち、二件が自分のDNAと現場に残されていた犯人と思われる人間の遺留DNAとが一致していました。私がこれらの事件の有力な容疑者である可能性が高いのです。ただ、自分の中では失われた記憶の中での出来事だけに、何とか真実を突き止めたいという気持ちも強くあります。私はやっていない。それを証明したいのです。その為にこちらの病院へ来て、全てを打ち明けた上で真実を掴みたいのです」
 鶴崎は隼人の話をパソコンではなく、直筆でカルテに書いて行った。途中何度か眼をつむり、軽く頷いてみたりしながら、カルテを書き進めていた。
「真実を知る事で不幸になる場合もありますが、その辺の事は?」
「分かっています。もし私が発作を起こしてそれらの事件を犯していたならば、相応の償いをします。その覚悟はあります」
「そうですか……。まず発作の件ですが、ひょっとしたら十三年前の事件が強いトラウマとなって、そういう症状が出た可能性があります」
「トラウマですか……」
「はい。それと統合失調症の可能性も否定できません」
「統合失調症ですか?」
「ええ。統合失調症は諏訪さんのように幻覚や妄想といった精神症状や意欲が低下し、感情が出にくくなるなどの機能低下、認知機能の低下などを主症状とする精神疾患です。統合失調症の原因は明らかになっていません。脳に情報を伝える機能の変化や遺伝、環境などが複雑に関係しているといわれています。あくまで仮設ですが、もともと統合失調症になりやすい要因を持った人に進学や就職、結婚など環境の変化や人間関係の大きなストレスや緊張が発症のきっかけになるのではないかと考えられています。つまり、諏訪さんの場合幼少期の事件が引き金となって統合失調症になったのではないかと思われます。多くは10歳代後半から30歳代頃に発症するといわれていますから、年齢的にもピタリと来ます」
「精神疾患から来るものなんですね」
「はい。ですから実際は妄想や幻覚が、今回の件に関わっているかと思います」
「ならば、自分が拳を怪我したり、返り血のようなものが付着していたというのはどう説明するのですか?」
「ご自分で壁や塀を拳で叩いたりして出来た傷とも言えませんか?返り血も別な事で付着したとも考えられます」
「では、必ず雨の強い日に発作は起きているのですが、それも統合失調症のせいですか?」
「断言するのは危険ですが、その可能性は高いです。十三年前の事件が大きく影響していると思います。お薬を出して置きますから、それで様子を見ましょう。睡眠導入剤もお出しして置きます。二週間後にまた必ず来て下さいね」
 隼人は頭を下げ、診察室を出た。待合室で待っていると、名前を呼ばれ会計を済ます。処方箋を貰い、病院の隣にあった薬局で薬を貰った。
 家に帰るのが億劫だった。優里亜の事を考えると、心配性だから薬を見られたらどう思うだろう。その事が隼人の頭を過った。薬局で貰った薬をバックの底に仕舞った。
 それはそれとして、メンタルクリニックへ来て良かったと思った。仮に自分が統合失調症だとしても、これまでの発作が幻覚や妄想だとすれば、事件とは関りが無くなって来る。自分は犯人ではない。それを証明出来ると思ったのだ。後は、DNA鑑定の件と、自分の手を怪我したり、返り血の付着の件の真相だ。それさえ解明出来れば自分は完全にシロだ。そんな事を思いながら、帰路に着いた。
 
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