第18話

文字数 3,016文字

 田所警部補が、捜査書類を整理していると、隼人の交代で警視庁警備部から派遣された、新海剛巡査長がこれを見て下さいと言って、書類をデスクへ置いた。
「何だこれは?」
「諏訪のこれ迄の履歴です」
「諏訪の履歴は既に貰ってるよ」
「これは戸籍の方です。目を通して頂ければ、面白い事が分かります」
 そう言われて田所は、新海が持って来た書類に目を通した。そこには、隼人の戸籍の遍歴が記されてあった。
「驚いたな、奴が海老沼隼人だったとはな。何故奴はこの事を黙っていたのだろう。君はどう思う?」
「思い出したくない記憶を封印したかったのでは」
「確かにそれはあるだろうな。ただ、そうすると何故警察官の道を選んだのかが分からない。警察官になれば、凄惨な事件現場に立ち会わなければならない事も少なくない。しかも凡庸な成績ではなく、トップの成績で拝命から警備部に配属だ。キャリア並みの扱いだぞ」
「はい。十三年前の事件、再調査していると伺いましたので奴から事情聴取してみますか?」
「諏訪が話すと思うか?」
「話すように仕向けるしかないですね」
「五年前の事件では、被害者のDNAの他に、不明のDNAと諏訪のDNAが検出されている。そこから引っ張り出すか」
 田所は腕を組みながら、新海に言った。
「警備部の沢渡部長は奴の事について何と言ってる?」
「諏訪に関しては、庁内でも一番買ってましたから、かなり落ち込んでいます」
「だろうな。まあ、いずれ速いか遅いかの違いで真実が分かる。もう一度諏訪をニンドウ(任意同行)で調べるか」
「分かりました」
 田所と新海は、捜査一課長の承諾を得て、隼人を任意同行で取り調べる事にした。
 新海の運転で隼人の家迄来ると、家の前に軽トラックが停まっていて、家の中から荷物を運び出していた。
 諏訪が家を替えるのか?
 そう思った田所は、急ぎ車を降り、家へと向かった。すると、二十代の女性が段ボール箱を抱えながら家から出て来た。
「こんにちは。諏訪君は引っ越しですか?」
「何方ですか?」
「警察の者です。私と諏訪君は一緒になって勤務しておりました」
「隼人ならいないわよ」
「先に引っ越したのですか?」
「引っ越しは私一人。隼人は今頃新しい女の所じゃない」
「新しい女」
「そうよ」
「その新しい女とは何処に住んでいるのですか?」
「それより、この格好じゃあ荷物が重くて話どころじゃないわ。この荷物、トラックに積ませて」
「ああ、これは失礼しました」
 優里亜が荷物を軽トラックに積む迄、田所は待った。
「お待たせ。で、他に何が聞きたいの?」
「諏訪君が新しい女の所にいると言ってましたが、何処に住んでいるか分かりますか?」
「それは分からないわ。ただ、精神科の主治医だって言ってた」
「精神科、諏訪君は精神科に通っていたのですか?」
「私も知らなかったの。言ってくれなかったから。私と別れる原因があの主治医の女なんだと気付いたの」
「ふむ。で、諏訪君とその女医さんが好い仲になったから、この家を出る事に?」
「そう。この家は隼人が財産分与で得たお金で買った家だから、別れるとなれば私が出るしかないの。だから、私から話を聴こうとしなくても、そのうちこの家に隼人は戻って来るわよ」
「そうですか。電話をしても出ないのは,貴女でも出ませんか?」
「ああ、電話ね。隼人、自分のスマホこの家に置きっぱなしにして出て行ったから、出れないのよ。スマホは本人に渡したから、もう出ると思うわよ」
「ありがとうございます。改めて掛けて見ます」
「それより、もうそろそろいいかな。引っ越し済ませなくちゃいけないから」
「これは失礼しました。気が付かなくて。もういいですよ。我々の目的は達しましたから」
「それは良かった。じゃあこれで」
「はい。忙しい中失礼しました」
 田所は新海を促し、自分達の車へと戻った。田所は、警察からの貸与のスマホではなく、自分のスマホを取り出し、隼人の番号を押した。
「はい。どちら様ですか?」
 隼人の声だ。隼人は、田所の私物のスマホの番号を知らない。
「私だ。田所だ。久し振りだな」
「久し振りという程でもないと思いますけど」
「それはどうでもいい。ニンドウに応じろ。今から迎えに行くから、今いる所を教えろ」
「いきなりなんですね」
「元々重要参考人として名前が挙がっているんだ。いきなりも何もないだろう。呼び出しを受ければそれに従うのが務めだ」
「分かりました。場所は中目黒。目黒通りから来て、中目黒銀座を入った直ぐのマンションにいます」
「分かった。今度は逃げるなよ」
「逃げませんよ。じたばたしてもすぐにバレてしまいますからね」
 田所は電話を切り、新海に目的の場所を伝えた。
「念の為に応援を呼びますか?」
「いや。俺達二人で大丈夫だろう。今更抵抗するとも思えないからな」
「逃げないように人の配置をするとか、大丈夫ですか?」
「今度は逃げないと言っていた。奴の言葉を信じよう」
「分かりました」
 隼人は田所達が来る前に、恵美子に連絡をした。
「警察が僕を任意同行の目的で拘束しに来る。その日のうちに帰してくれるかどうか分からないが、心配しないで。必ず戻って来るから」
「分かったわ。待っている」
 隼人は恵美子にすぐ戻るとは言ったが、本人はそうは思っていなかった。田所のあの粘着質な性格からして簡単には終わらないと思っていた。
 中目黒には二十分少々で着いた。田所が隼人に電話を掛けた。
「中目黒に着いたぞ。マンションはどのマンションだ?」
「早いですね。もう着いたのですか」
「ああ。早く君と会いたかったのでな」
「僕がいるマンションはその場所から五十メートル程進んだ所の左側です。隣が蕎麦屋が入っているビルですから直ぐわかる筈です」
「分かった。おお、見えたぞここだな」
「このマンションの最上階ですから」
 新海は車を道路脇に停めた。田所と二人でマンションのエレベーターに乗り込む。七階を押す。
「このマンションの七階なら、窓から逃げるという訳には行きませんね」
「ああ。でも、油断はするなよ」
「はい」
 七階の最上階は一室しかなかったからすぐに分かった。チャイムを押す。一呼吸おいてから、ドアが開いた。
「何か持って行く物はありますか」
「いや。ニンドウだからそんなに長い時間は掛けないよ。身一つでいい」
「分かりました。では行きましょう」
 隼人があっさりと言う事を聞くものだから、田所と新海の二人は気が削がれた。
 車に乗り込むと、新海が、
「捜査本部のある世田谷署でいいですね?」
 と尋ねた。
「ああ。構わない」
 車は捜査本部のある世田谷署に向かった。
「諏訪。あのマンションにずっと隠れていたのか?」
「別に隠れていたわけではありません」
「彼女、君の事を恨んでいるみたいだったぞ。新しい女の所に行ってと言ってな」
「プライベートな事まではお答え出来ません」
「あそこの持ち主は女医さんかい?」
「優里亜に聞いたのですか?」
「精神科の女医さんに君を取られたと言っていた」
「僕の主治医です」
「いつから精神科に通っていたんだ?」
「……」
「だんまりか。まあ答えたくない事は答えなくともいいけどな。だが、事件の事に関してはきっちり答えてもらうからな」
「事件の事に関してはきちんと説明させてもらいますよ。但し、僕が言う事を信じてくれればの話ですが」
「信じられる話なら幾らでも信じるさ」
 田所が黙った。それと一緒に、隼人もだんまりを決め込んだ。車は世田谷署へ向かった。
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