第20話

文字数 3,323文字

 世田谷署を出た隼人は、腕時計を見た。既に時刻は深夜零時を過ぎている。疲労感が溢れ出た。電車で中目黒迄帰るのは諦め、タクシーで帰る事にした。環八に出て、空車を見つけると手を挙げた。
「中目黒迄」
 行先を告げ、ヘッドレストに頭を乗せて瞑目する。先程迄続いた田所の取り調べを振り返った。自分を容疑者の一人と見ているなら拘束しても不思議では無い。それが無かったのは、DNA以外証拠となる物が無かったからだ。そのDNAに関しても、隼人以外の物も検出されているから、それを明らかにしない限り、隼人をDNAの件だけで拘束は出来ないと言う事だ。
 何故警察官を志した?
 田所の質問を思い出した。あの時答えた通り、自分の家族を殺した犯人をこの手で捕まえる為、と言ったのは本音だ。
 タクシーの運転手が中目黒に着きましたと言って来た。マンションの場所を説明する。料金を払い、マンションに向かった。
 最上階の七階でエレベーターを降りる。インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「お帰り」
「遅くなってごめん」
「お腹、空いているんじゃない?」
「夕飯、食べてないけれど、空いてはいないよ」
「じゃあ、お風呂にする?」
「うん」
「待ってて。すぐ入れるからリビングで待ってて」
「分かった」
 恵美子の言葉通り、風呂はすぐに用意された。疲れた体を風呂で癒すべく、隼人は浴室へ向かった。三十分程で上がると、恵美子が缶ビールを二本テーブルの上に置き、待っていた。
「本当は、薬の関係でアルコールは良くないけど、缶ビール一本位だったら特別に許しちゃう」
 にこりと笑みを見せながら、恵美子は言った。ソファに二人並んで座る。ビールを並々と注いだグラスを隼人に持たす。
「乾杯。お酒を飲ますなんていけない医者だね」
 グラスを当てながら隼人は一気にグラスの四分の三程飲んだ。
「だいぶ疲れたみたいね。お風呂で少しは取れた?」
「うん。ありがたかった」
「ひょっとしたら帰って来ないのかと思っちゃった」
「僕もそのまま留置場に入れられちゃうかもって思った」
「もう疑いは晴れたの?」
「いや。まだだ。又取り調べで呼び出されるかも知れない」
「発作の事とか、全部話した?」
「うん。話したけど何処まで信じて貰えたか分からない」
 缶ビールの残りをグラスへ注ぐ。湯上りとアルコールで軽く体が火照る。隼人は一気にビールを胃へ流し込んだ。
「疲れた……」
 目を瞑った隼人の頭を、恵美子がそっと抱き抱え、自分の胸元へ引き寄せた。顔を胸の谷間に埋める隼人。隼人の頬を恵美子の左手の指先がそっと這う。そして右手で髪の毛を撫でた。
 恵美子は隼人をこの上なく愛しいと思った。年は自分の方が一回り上だが、そのせいもあって隼人に母性を感じさせられる。決してこの関係が長く続くとは思っていないが、続いている間は彼を愛しい人と感じていたい。そう思った。
 隼人は恵美子の胸の中で眠りに就いた。恵美子はベッドに隼人を運ぼうと思ったが、重くて運べないので、そのままソファに寝かせることにした。ブランケットを持って来て、隼人に掛けた。隼人が寝返りを打つ。その横顔にそっとキスをした。
 翌日の朝。隼人のスマホに田所から連絡が来た。今日も世田谷署へ来て欲しいとの事だった。
「恵美子、又今日も遅くなるかも知れない」
「又警察?」
「ああ」
「身の潔白を証明するには要請に応じなければならないわね。私の事は心配いらないから行って来て」
「うん。分かった」
 そう言って隼人はマンションを出た。天気が余り良くない。嫌な予感がした。天気予報を見て置けばと少し悔やんだ。
 隼人が世田谷署へ行くと、調べ室には本庁の警備部の上司がいた。取り調べを一緒に見たいと言っているらしい。隼人は好きにしろといった気分だった。
「悪いな、二日続けてで」
 少しも悪いとは思っていない事位、隼人には分かっていた。
「別に構わないですよ。僕の身の潔白が晴れるのなら、幾らでも協力します」
「こんな早い時間から呼び出して申し訳ないが、今日は実演をして貰いたいんだ」
「……」
「予報では今夜半から雨だそうだ。それもかなり強い雨になるらしい。雨の日の夜、君は発作を起こして、テレポーテーションを起こすんだろう?だから我々の前でそれを見せてくれれば、君の言っている事が正しいと言う事になり、容疑も晴れるというものだ。更にもう一つ付け加えるのなら、君がテレポーテーションで瞬間移動した先に、レインマンが居れば、我々は凶悪な連続強盗殺人犯を逮捕出来ると言う事になる」
「雨の日だからと言って、必ず発作が起きるとは限りませんよ」
「なあに。何も雨の夜は今夜だけじゃない」
「夜中迄拘束するなんて、捜査規定から外れてませんか?」
「凶悪犯を逮捕する為なら規約なんて気にしないのが、私の信条だ」
「弁護士、呼んでも良いですか?」
「ああ、構わんよ。おい新海君、弁護士名簿持って来てやれ」
 弁護士を呼んでくれと言った事に難色を示すかと思ったが、田所は簡単に了承した。
「弁護士が来る前に少しだけ話をしようか?」
「何の話ですか?」
「十三年前の事件について」
「もう話す事は無い位話しましたけど」
「当時の供述書では、君は事件発生時、二階の自分の部屋のクローゼットに隠れてて、事件を見ていない、犯人に関しても目撃していないとなっている。間違いないか?」
 隼人は夢を思い出した。レインマンと視線が合い、二階へ上って来て自分が隠れていたクローゼットの前で足を止めた夢。現在の自分の顔を同じ顔をしたレインマン。夢なのか。それとも遠い記憶なのか。分からない。
「諏訪君。どうした。押し黙って」
「いや。どうもしません。当時の供述書に書かれた通りです。間違いありません」
「諏訪君。本当は犯人、つまりレインマンを目撃して、今でも覚えているんじゃないのか?だから五年前も今回も、レインマンの出没した現場へ君は行き、十三年前の恨みを晴らすべく行動を起こしたのではないか?現場へ飛んだ方法は後程君が実演してくれれば、供述通りテレポテーションで瞬間移動して、レインマンの出没先へ向かったと証明出来る」
「これ迄発作からテレポーテーションを起こした時、行先も目的も何も分からない中での出来事なんです。十三年前の恨みとか、そういう感情は全くなかったんです。証拠に、いずれも自分の意志でテレポーテーションを行った訳ではありません」
「諏訪君は今現在精神科へ通っているんだよな。病名は統合失調症。症状として幻覚、妄想、幻聴の類となっている。自分でテレポーテーションを行ったというのは統合失調症の妄想に当て嵌らないか?」
「正真正銘、幻覚でも妄想でもありません」
 新海が話の途中に割って入った。
「弁護士が来ました。容疑者との面会を求めています」
「分かった。この部屋を使って貰え」
「はい」
 隼人は一息つけると胸を撫で下ろした。田所達が調べ室を出て行き、代わりに弁護士が入って来た。
「弁護士の香坂と言います。先に伺いますが、諏訪さん、まだ逮捕にはなっていないのですね?」
「はい。まだです」
「任意での取り調べの容疑は?」
「五年前世田谷署管内で起きた強盗殺人事件と今回経堂で起きた同様の事件についてです」
「警察側の証拠は?」
「僕のDNAです。三か所の現場にあったんです」
「成る程。で、諏訪さんはどう釈明しているのですか?」
 隼人は、自分の発作から始まるテレポーテーションの事を話した。
「それで、今日は天気予報で深夜にかけて雨が降るから、その時にテレポーテーションの実演をしてくれたら、こっちの言い分を信じると言う訳です」
「仮に実演を依頼するにしても、こんなに早い時間から身柄を拘束するのは如何なものかと思いますね。一旦お家に帰れるよう言ってみましょう」
「お願いします」
 香坂弁護士は調べ室を出て、入口近くのデスクにいた田所に向かって、
「諏訪さんを一旦家へ帰しますが、いいですか?」
 と言った。
「それはちょっと……」
 言い淀んいる田所に向かい、
「余り無茶な取り調べをされますと、強要という事で訴えますよ」
 と言った。隼人はすぐに解放された。香坂弁護士が、乗って来た車の助手席に隼人を乗せ、世田谷署を去った。
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