第2話 スパルタ指導

文字数 5,265文字

 加藤は誰の目からみてもヤバさを感じる程、飛び込みに打ち込んでいた。5月という時期にも関わらず、帰社時にはスーツは汗でヨレヨレ、塩が小麦粉をぶっかけたかの様に浮いている始末。一目見ただけで「あっ、コイツ今まで一切サボる事なく飛び込みをし続けてきたんだな」というリアルがそこにあった。

──加藤の仕事に対するやる気は凄まじい。どれだけ高い志を持ってこの業界に入って来たんだ……?

 営業所内の誰もが思っていた事であろう。実際、何人かに直接聞かれた事もあった。が──加藤の原動力は他の人が想像する崇高なものではなく、異様に低次元のものであった。

──勝野をはじめとする上司達がとにかく怖かった、それから逃れる為。

 時は半年前の面接時に遡る。

■面接

(ここが……来年5月より俺の職場……仕事する場になるかもしれないの……か?)

 気のせいに違いないが、ドアの隙間からまばゆいばかりの光が出ている気すらした。一歩、一歩足を前へ進ませるごとに、心臓の鼓動が早くなる。エレベーターから降りて距離はおそよ10m、時間にすれば10秒前後にすぎない道をまるで1時間でもあるのではないか、という程の時間を感じている。そしてドアの前へ立ち、思わずゴクリと息を飲む。そしておもむろにドアを開けて回りを見渡す。

(ん? 何か閑散としているなぁ。もっとギッシリ人がいるかと思ったのに。で……受付はどこだ? あれ? ない? ど、どうしたらいいんだろう……)

 この時の加藤を見た人は皆間違いなく「何? この怪しいボウヤは」と思ったであろう。加藤は頭の中に抱いていた営業所のイメージとかなり違う事より困惑を隠せずにオタオタしていた。思わず回れ右して帰ろうかとすら考えた程である。このままではいけない、どうにか状況を打破しなければ、と思い直し、思いきって声を出してみる。

「し、失礼します……」

 シーン……

 第一声での反応は全くなかった。(後に聞いた話では、この時の加藤の声は虫のごとく小さく誰にも聞こえなかったとの事ではあるが、本人は全く自覚していなかった)

(え……反応がない? ど、どうしたら良いのだろう……)

 加藤の焦りはマックスに。端から見れば今にも泣き出しても不思議ではない表情をしていたであろう。頭がパニック状態で何の打開策も思い付かずにオタオタしている時、加藤の後ろから忍び寄る影が。そして加藤に話しかける。

「ん? お前みかけないヤツだなぁ。何やってるんだ、ココで」

 ハっとその人物の方を見た瞬間、加藤はサーっと血の気が引いていった。 一応上下スーツを着ているが、髪型はオールバック、目つきが非常に鋭く、ガタイもいい。一言でいうならば「パっと見、ヤクザそのもの」であった。喋り方もドスが効いており、加藤をビクつかせるには十分すぎるインパクトであった。

「ひぇッ……」

「何がひぇッだ! お前何してるかって聞いてるんだよ!」

 まるで本物のヤクザみたいな突っ込み(?)である。この時加藤の頭の中は「なんとかして逃げなくては」という事で埋め尽くされていた。取りあえずこれ以上この人を逆立てしてはいけない。勇気を振り絞り、加藤はこの人物に事情を話す。

「い、いえ……今日11時にこちらに来るように言われてまして、面接でき、来ました」

「あぁ、そういう事か。(視線を加藤から営業所内に変え)営業部長~面接来てますよ~」

 どうやらこの人物はココの社員らしい。なんでこんな厳つい人物がここに? と思いつつ、その人物に呼ばれて奥の方から出て来た人物を見て、さらに加藤は慄く。推定50歳前後、白髪まじりの髪型はビチっと固められ、眼鏡越しに見える目つきは異様に鋭い光を発している。先程の人物が若手中堅ヤクザとするならば、営業部長と呼ばれる人物は一言、親分を想像させた。

「おぅ、支社長から話は聞いとる。お前が加藤君かね。じゃ、こっち来て」

と、営業部長といわれる人物に呼ばれてそこまで歩いていく気分は、先程営業所に来る時の足取りとは逆に、まるで死刑台へ向かって歩いている気すらした。

(うぅ……なんかとんでもない所に来てしまったのかも……)

 この第一印象はある意味正解であった。が、本当の意味で知るのはかなり先の事となる。

 応接間、促されるままにソファーに座らされる。営業部長と言われる人物の隣に、推定60歳前後と思われる人物、そして何故かその隣に先程加藤をビビらせた人物が座っている。

(うわ……まるで監禁でもされているかのようだ……生きて無事帰れるのか?)

 営業部長の名は水野といい、その隣に座っている人が川崎といい、この人物がどうやら先日支社長の松田より聞いた年収7000万の人物らしい。時間にして30分程度だろうか、色々と話をしたらしいが、加藤が覚えているのはこの程度でしかなかった。とにかく生きた心地が全くしなかったので。

「──という訳だ。どうかね、やってみるかね」

 と、いつの間にか何かの説明が終わったのか、水野が尋ねて来た。何だかよく分からないが、思わず「はい」と答えてしまった。

「おぉ、そうか。それは頼もしい。じゃ、来年からよろしく頼むよ。で、お前の指導はお前の隣に座っている勝野に任したから、分からない事あったら勝野に聞いてやってくれ」

「え? 試験とか何かないんですか?」

「ん? 試験なんぞ誰でも受かるし、俺の面接はこれで終了だ。お前もやるっていったしな」

 何が何だか良く分からない。が、どうやらいつの間にか採用になってしまい、先ほどの厳つい人物、勝野が自分の上司になるっぽい事らしい。ちなみに余談にはなるが、確かに試験は誰でも受かるような内容であろう。一般課程という生保販売の資格は、正直勉強しないでも受かるのではないか、とすら思う内容であったので。。

「じゃ、よろしくな。ちょっと話そうか……」

 と、勝野が立ち上がり、事務机の方へ歩いていく。加藤は言われるがまま、恐る恐るついていく。勝野の指定席らしい所へ座り、加藤の目を見据えながらゆっくり話し出す。

「ま……お前がどれだけ続くか分からんが、この仕事はやった分だけハネかえってくる仕事だ。ただ、生半可な気持ちじゃ出来ないぞ。元々は生保営業は女性の仕事だ。男は不利だ。普通にやってちゃ取れないんだよ。だから、少なくとも人の2倍は動かないとな。男は出来て当たり前、ノルマも通常の2倍が当たり前なんだよ!」

 ひぇ……と心の中で叫ぶ。どこの会社に初日でこんな事を言う所があるだろうか? 普通なら誰も入らないのではないだろうか? が、次の勝野の言葉を聞き、勝野に対するイメージが少し変わる事となる。

「──とまぁ、最初から厳しい事いうのは、お前が男だからだよ。甘い気持ちじゃとても出来る仕事じゃないからな。これで怖じ気付くようなら今のうちにやめた方がお前の為だしな。こんな事嘘ついてもしょうがないし」

 確かにその通り、最初は優しく、入ったら地獄~というよりは最初からズバっと言ってもらった方が有り難い。厳しい環境……には違いないだろうが、逆にラクしてお金が得られる程世の中は甘いものではない、と。利に叶っている。

 思わず納得した加藤は勝野に尋ねる。

「あの……逆にいえば苦労すれば1年目より年収1000万とかも可能って事でしょうか?」

 その問いに、勝野はニヤっと笑い、答える。

「ま、お前の目の前にいるヤツがそうだったから、間違いないかもな」

 その言葉を聞いた瞬間、加藤はココで働く決心をした。

「では、来年よりよろしくお願いします!」

「おっ! 見かけによらず意外に思い切りが良いじゃないか。よし、気に入った! ま、お前はまだ学生気分が抜けていないようだから俺がビシビシ入社までに鍛え上げてやるよ」

「え……?」

「取りあえず、来月から毎週水曜日、14時にココへ通え。特別に色々教えちゃるよ」

「え? きゅ、給料とかは出るんで──」

「アホか! 出るわきゃないだろが! 逆に指導料をお前から取りたいくらいだわ!」

「ひぃ、す、すいません」

「じゃ、来月からヨロシクな」

 時間にしたら約1時間弱……加藤の採用が事実上決まり、そして勝野による特別指導が始まろうとしていた。

■勝野の指導

「コラ! 爪が汚い! 声はもっと大きくシャキシャキと! 相手の目を見て話せ!」

「は、はい。すいません!」

 いつの間にか恒例になった勝野と加藤のやりとりである。

 あれから3ヶ月、加藤が勝野の元へ通って指導を受けている事といえば……身だしなみ、姿勢、しゃべり方、タバコへの火のつけ方、ビールの注ぎ方、食事の取り分け方etc……まるで軍隊の行進指導のような指導であった。

 後に何故にこのような事を? と勝野に尋ねた答えが「暇つぶし」との事だったが、この指導があったからこそ、加藤は後に化物と呼ばれる程の営業マンへと変貌する事になり、感謝する事になるのだが、それはまだまだ先の話である。

「──じゃ、今日はここまで」

「あ、ありがとうございました」

「コラ! どもるな!」

「すいません!」

「で、来週から支社でいよいよ本当の研修がはじまる訳だが、他の研修生とは一切しゃべるなよ、いいな!」

「え? どういう事ですか?」

「研修では間違いなくお前1人だけ男で、他は皆女性だ。男性と女性じゃやっていく事も心構えも全く違う訳だから、変に影響を受けない為だ、分かったか!」

 これが、研修中に言い渡された決まりだった。

■支社研修

 支社研修。
 生命保険販売を希望している人が、いわゆる一般的な生命保険の基礎の基礎の研修を1ヶ月近く受ける事となる。午前中3時間、午後2時間程の授業であり、まともに研修に出ていれさえすれば誰でも間違いなく一般課程という生命保険販売の資格を取る事が出来るであろう。

 約1ヶ月の間、学校の授業のように研修を受ける訳なので、暫くすると皆顔見知りにでもなるのか、和気あいあいとした空気になる。が、1人だけ思いっきり浮いている存在がいた。加藤である。

 研修期間半ば頃、加藤は研修に出た日数──いや、時間はわずか3時間程度しかなかった。

「──であるからして……こうなるんですね」

 いつものように授業が進んでいる最中、バンッとドアが開く。今では誰も驚かない、恒例の風景である。

「おい、加藤。今から現場いくぞ!」

「は、はい」

 そう、勝野がほぼ毎日のように研修中やってきては加藤を引っぱりだしていたのである。研修なんかクソくらい、生の現場を見るのが一番の研修だ! という理由にて。普通に考えればかなり非常識にも思えるだろうが、加藤が男性である点、そして勝野自体が支社にもある程度名の通っているやり手の営業マンである点より、誰も文句を言わなかった。

──研修中は誰ともしゃべるな。

 勝野の決め事は、勝野の手によって守られていた。 事実、加藤は誰1人研修中の知り合いは出来なかった。

 勝野が現場という場所は──いわゆる勝野の既契約者回りであった。どこぞかの店の店員、焼き肉屋で働いている人、勝野の元会社etc…この活動を見て結論から言えば将来的に全くといっていい程加藤の参考にはならなかったのだが、当時の加藤は「これが生命保険の仕事なんだ」と感心しながら見ていた。

 なんやかんやで順調に(?)研修が終わり、試験が終了。当然のごとく合格し、翌日から営業所での研修がはじまる。

「さ~て、明日からお前はお客さんじゃなくなるな。これから本気で指導していくから、覚悟しておけ!」

「え? ど、どういう事ですか?」

「今日まで、試験受けて合格するまではまだ営業所にとってはお客さんなんだよ。入社しないかもしれないだろ? ただ、入ってしまえばもう職員になる訳だ。数字を取らせないと営業所の成績にならないからな。だからこれからお前に容赦しないからな!」

(マ、マジか……これで手加減していたのか……じゃ、これから少しでも粗相をしたら、冗談抜きに半殺しに……? こ、この人ならホントにやりそうだ……)

 加藤はこれまでの勝野による理不尽とすら思える厳しい指導にて、恐怖を叩き込まれていた。逆らったりサボったりしたのがバレた日には五体満足では絶対いられない……心の底からそう思う様になっていた。

(こ、これは……死に物狂いで動かなくては……この人の癇に障る様な事は絶対しないようにしなければ……)

 場面は現在に戻る。

「おぅ、お疲れ! 今日はどうだった──って聞くまでもないな。お前、滅茶苦茶汗臭いぞw ほれ、消臭スプレーやるから、1時間に1回は消臭スプレーする様にな」

「あ、ありがとうございます」

「それにしてもお前、根性あるな~。ここまで動けるヤツだと思わなかったよ。……ちぇっ、せっかく色々な

を考えてたのに、これじゃ披露する機会がないじゃないかよ~。少しはサボれよw」

(その

を受けたくないから、アホみたいに動いているんだよ!)

──恐怖による歪んだ飛び込み原動力。

 皮肉にも、この行動原理が加藤を急速に成長させていく事となる。
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