第16話 サボり
文字数 2,906文字
■中だるみ……
6月某日。
加藤は入社以来初のスランプに陥っていた。 スランプというのは契約が取れない──事ではなく、一連の新人指導の疲れからか、どうにも仕事をする気が起きなかったのである。
何とか足は動かすものの、新規飛び込みをする気力が湧かない。慣れ、とでもいうのだろうか、入社当時のスパルタ教育が生み出したガムシャラさからは解放されている立場になっている加藤。特に誰かが見ている訳でもなし、怒られる訳でもなし、家庭を支えている訳でもなし。同じ立場になった23歳、社会人2年目という立場からいえばごく自然な「中だるみ」と言えるであろうか。
当然、動きと契約は比例するものであり、2週目半ばの段階で契約どころか見込みらしい見込みも全くない状況。本来ならば、ここで「うわ……今月ヤバいよ」と焦燥感より動くのが人間心理ともいえるのだが、加藤はそれでも動く気になれなかった。……かなりの重症である。
(ふぅ……な~んか疲れたなぁ。ここ2ヶ月契約ロクにとってない事もあってか、動く気になれないや。ま、何とかなる……さ)
と、いわばダメ人間の典型ともいえる考えでいたりした。 が──意外な事に、このサボりがきっかけで、加藤に追い風が吹く事となる。
(さ……て、やる気起きないからまた喫茶店でコーヒーでも飲んでボーっとするか)
万が一営業部長や支部長に見つかるのも面倒な為、大通りから1本外れたとある個人経営と思われる喫茶店に加藤はここ10日程毎日の様に通っていた。何となく居心地が良かった事、他に目立たない喫茶店がなかった事により。
(ふぅ、今日もここで時間潰すか)
ここの喫茶店でコーヒーを飲みながらしていた事、それはいわゆる「訪問先の嘘申請作成」である。どういう事か? といえば、万が一活動について営業部長等に聞かれた場合に即座に答えれるように、というアリバイ工作である。(ホントアホみたいな話ではあるが)
1年間、ギッシリと飛び込みをしていただけあって、時間配分等ホントに実際に回ったらこのくらいの件数になるであろう、という完璧ともいえるアリバイ工作をいつものように作り上げていた。──その時、いきなり声がかかる。
「へぇ、保険屋さんって案外大変なんだねぇ。いつもビッシリ予定表みたいなの書いて……」
話し掛けて来たのは、この喫茶店のオーナー兼ママさん、福井さんであった。 毎日顔を出して同じ席で同じ様な作業を毎度していたが為か、加藤の事をすっかり覚えたようである。確かに喫茶店からすればかなりの常連さんといえる回数になる。
「いやぁ、単なる休憩でココに来てるだけなんですけど、何かしていないと落ち着かなくて」
まぁ、単にサボリの為のアリバイ工作をしていただけではあったが、確かに何もしないでは手持ち無沙汰であったというのも事実である。この一言がきっかけで、気がつけば1時間程福井さんと話し、意気投合していた。
「へっぇ~、保険屋さんは大変なんだ。あ、そうだ、良かったらうちの保険をちょっとみてよ」
と、意外な話が舞い込んで来た。結果、他社契約の切り換えがその日のうちに決定。久しぶりに契約が取れる事となった。
「ま、これからもちょくちょく来てよ。午前中とか来ると、もしかしたら面白い事になるかもしれないよ」
帰り際、ママさんが意味深な言葉を加藤の背後に向かい投げた。
(まぁ、契約頂いたから、ちょくちょく顔出す……か)
と、ママさんの言った事を「常連として来いよ」とだけ解釈していた。
翌日、律儀にも午前中に加藤はその喫茶店へ出向いていた。 相変わらず仕事をする気になれなかった事もあるが、先日の言葉を無視するのも悪いというのもあって。
「ちわ~っす。昨日はどうも~」
「あら、加藤君、いらっしゃい。今日はココに座りなよ」
と、いつもとは微妙に違う場所に座れと指示され、それに従う。 加藤の横には……少々年配の推定50歳ちょいくらいのおじさんが座っていた。
「あ、そうだ、ガンさん、加藤君に会うの初めてよね。この子、昼間の常連の加藤君、保険屋さん」
いつの間にか常連扱いで、このガンさんという方に紹介される。
「あ、どうもです」
「ほぉ、君は……昼間の常連だって?」
「えぇ、ここらへんの地区担当してまして、サボってるんですw」
「この若者が、サボっちゃいかんだろ! って俺もサボってるんだがな、ぐははは」
「wwwwww」
……何故か意気投合、ママさんと交えながら実に2時間程会話を弾ませる事となった。
「そういや、加藤君は保険屋って言ってたよな。丁度良かった、ちょっとうちの会社の保険について相談したいんだが……」
「──え?」
「あれ? 聞いてなかったか? 俺は雁山会社の代表してるんだよ。午前中は会議終わってからの生き抜きでココに抜け出しているんだよ」
「──え??」
「どうせ今日はヒマだろ? 今からついて来いよ」
と、表に停めてある高級車におもむろに乗せられ、引き連れられガンさんの会社へ。その会社を見て加藤はさらに驚く。確かに地区内にあったものの、その風貌の大きさより怖気づいて過去一度も飛び込みしなかった所であったからである。恐らく喫茶店での出会いがなければ、間違いなく一度も訪問する事はなかったであろう。
2時間後、ほぼ話は決定。
翌日、新しく就任した城山支部長を引き連れ、億単位の契約がまとまる事となった。その帰り際、城山が話し掛けて来た。
「加藤、お前頑張ってるんだってな。トレーナーの仕事もしながらこれだけのところ探して来るなんて、凄い活動量だな。少しガス抜いた方がいいかもしれないぞ、ははは」
「え、えぇ……」
と、加藤は非常にバツが悪かったのは言うまでもない。ガスはここ最近抜きまくっていて、その結果の偶然の幸運だったとはとても言えない……
「ま、今日はデカい契約取れた事だし、ガス抜きにお茶でもしていくか」
と、城山は粋な計らいで加藤を喫茶店へと連れていく。向かった先は──喫茶福井。 ヤバい! と思いつつ、他の場所にしましょう等とは言い出せず、とうとう喫茶福井へと入る事に。
「あらぁ、加藤君じゃない。先日はどうも~」
何も知らない福井さんは慣れ慣れしく話して来る。それに疑問を持った城山が尋ねる。
「ん? お前、この喫茶店知ってるのか?」
「い、いえ。先日保険入ってもらったんですよ」
「──?! お前は凄い! 喫茶店でも営業するなんて、営業マンの鏡だ!」
と、不思議な解釈を城山はして加藤を絶賛する。 加藤は……何ともいえない表情で相槌をうつのが精一杯であった。
個人経営の喫茶福井。大通りに面している訳ではないので客こそ多くはないものの、それが逆に受けて常連になる人が案外いる事を加藤が知るのはもう少し後である。この不思議な客層の常連を抱えている喫茶店が、今後加藤の重要活動拠点になり化物と呼ばれる営業マンへと変貌させる事になるのだが、それはかなり先、1年後の話である。
──入社後はじめてのサボり。
が、その月、終わってみれば去年9月に次ぐ成果を収める事となっていた。サボリが生み出した思わぬ成果によって。
そして、暫くの間、加藤は風に恵まれる事となる。
6月某日。
加藤は入社以来初のスランプに陥っていた。 スランプというのは契約が取れない──事ではなく、一連の新人指導の疲れからか、どうにも仕事をする気が起きなかったのである。
何とか足は動かすものの、新規飛び込みをする気力が湧かない。慣れ、とでもいうのだろうか、入社当時のスパルタ教育が生み出したガムシャラさからは解放されている立場になっている加藤。特に誰かが見ている訳でもなし、怒られる訳でもなし、家庭を支えている訳でもなし。同じ立場になった23歳、社会人2年目という立場からいえばごく自然な「中だるみ」と言えるであろうか。
当然、動きと契約は比例するものであり、2週目半ばの段階で契約どころか見込みらしい見込みも全くない状況。本来ならば、ここで「うわ……今月ヤバいよ」と焦燥感より動くのが人間心理ともいえるのだが、加藤はそれでも動く気になれなかった。……かなりの重症である。
(ふぅ……な~んか疲れたなぁ。ここ2ヶ月契約ロクにとってない事もあってか、動く気になれないや。ま、何とかなる……さ)
と、いわばダメ人間の典型ともいえる考えでいたりした。 が──意外な事に、このサボりがきっかけで、加藤に追い風が吹く事となる。
(さ……て、やる気起きないからまた喫茶店でコーヒーでも飲んでボーっとするか)
万が一営業部長や支部長に見つかるのも面倒な為、大通りから1本外れたとある個人経営と思われる喫茶店に加藤はここ10日程毎日の様に通っていた。何となく居心地が良かった事、他に目立たない喫茶店がなかった事により。
(ふぅ、今日もここで時間潰すか)
ここの喫茶店でコーヒーを飲みながらしていた事、それはいわゆる「訪問先の嘘申請作成」である。どういう事か? といえば、万が一活動について営業部長等に聞かれた場合に即座に答えれるように、というアリバイ工作である。(ホントアホみたいな話ではあるが)
1年間、ギッシリと飛び込みをしていただけあって、時間配分等ホントに実際に回ったらこのくらいの件数になるであろう、という完璧ともいえるアリバイ工作をいつものように作り上げていた。──その時、いきなり声がかかる。
「へぇ、保険屋さんって案外大変なんだねぇ。いつもビッシリ予定表みたいなの書いて……」
話し掛けて来たのは、この喫茶店のオーナー兼ママさん、福井さんであった。 毎日顔を出して同じ席で同じ様な作業を毎度していたが為か、加藤の事をすっかり覚えたようである。確かに喫茶店からすればかなりの常連さんといえる回数になる。
「いやぁ、単なる休憩でココに来てるだけなんですけど、何かしていないと落ち着かなくて」
まぁ、単にサボリの為のアリバイ工作をしていただけではあったが、確かに何もしないでは手持ち無沙汰であったというのも事実である。この一言がきっかけで、気がつけば1時間程福井さんと話し、意気投合していた。
「へっぇ~、保険屋さんは大変なんだ。あ、そうだ、良かったらうちの保険をちょっとみてよ」
と、意外な話が舞い込んで来た。結果、他社契約の切り換えがその日のうちに決定。久しぶりに契約が取れる事となった。
「ま、これからもちょくちょく来てよ。午前中とか来ると、もしかしたら面白い事になるかもしれないよ」
帰り際、ママさんが意味深な言葉を加藤の背後に向かい投げた。
(まぁ、契約頂いたから、ちょくちょく顔出す……か)
と、ママさんの言った事を「常連として来いよ」とだけ解釈していた。
翌日、律儀にも午前中に加藤はその喫茶店へ出向いていた。 相変わらず仕事をする気になれなかった事もあるが、先日の言葉を無視するのも悪いというのもあって。
「ちわ~っす。昨日はどうも~」
「あら、加藤君、いらっしゃい。今日はココに座りなよ」
と、いつもとは微妙に違う場所に座れと指示され、それに従う。 加藤の横には……少々年配の推定50歳ちょいくらいのおじさんが座っていた。
「あ、そうだ、ガンさん、加藤君に会うの初めてよね。この子、昼間の常連の加藤君、保険屋さん」
いつの間にか常連扱いで、このガンさんという方に紹介される。
「あ、どうもです」
「ほぉ、君は……昼間の常連だって?」
「えぇ、ここらへんの地区担当してまして、サボってるんですw」
「この若者が、サボっちゃいかんだろ! って俺もサボってるんだがな、ぐははは」
「wwwwww」
……何故か意気投合、ママさんと交えながら実に2時間程会話を弾ませる事となった。
「そういや、加藤君は保険屋って言ってたよな。丁度良かった、ちょっとうちの会社の保険について相談したいんだが……」
「──え?」
「あれ? 聞いてなかったか? 俺は雁山会社の代表してるんだよ。午前中は会議終わってからの生き抜きでココに抜け出しているんだよ」
「──え??」
「どうせ今日はヒマだろ? 今からついて来いよ」
と、表に停めてある高級車におもむろに乗せられ、引き連れられガンさんの会社へ。その会社を見て加藤はさらに驚く。確かに地区内にあったものの、その風貌の大きさより怖気づいて過去一度も飛び込みしなかった所であったからである。恐らく喫茶店での出会いがなければ、間違いなく一度も訪問する事はなかったであろう。
2時間後、ほぼ話は決定。
翌日、新しく就任した城山支部長を引き連れ、億単位の契約がまとまる事となった。その帰り際、城山が話し掛けて来た。
「加藤、お前頑張ってるんだってな。トレーナーの仕事もしながらこれだけのところ探して来るなんて、凄い活動量だな。少しガス抜いた方がいいかもしれないぞ、ははは」
「え、えぇ……」
と、加藤は非常にバツが悪かったのは言うまでもない。ガスはここ最近抜きまくっていて、その結果の偶然の幸運だったとはとても言えない……
「ま、今日はデカい契約取れた事だし、ガス抜きにお茶でもしていくか」
と、城山は粋な計らいで加藤を喫茶店へと連れていく。向かった先は──喫茶福井。 ヤバい! と思いつつ、他の場所にしましょう等とは言い出せず、とうとう喫茶福井へと入る事に。
「あらぁ、加藤君じゃない。先日はどうも~」
何も知らない福井さんは慣れ慣れしく話して来る。それに疑問を持った城山が尋ねる。
「ん? お前、この喫茶店知ってるのか?」
「い、いえ。先日保険入ってもらったんですよ」
「──?! お前は凄い! 喫茶店でも営業するなんて、営業マンの鏡だ!」
と、不思議な解釈を城山はして加藤を絶賛する。 加藤は……何ともいえない表情で相槌をうつのが精一杯であった。
個人経営の喫茶福井。大通りに面している訳ではないので客こそ多くはないものの、それが逆に受けて常連になる人が案外いる事を加藤が知るのはもう少し後である。この不思議な客層の常連を抱えている喫茶店が、今後加藤の重要活動拠点になり化物と呼ばれる営業マンへと変貌させる事になるのだが、それはかなり先、1年後の話である。
──入社後はじめてのサボり。
が、その月、終わってみれば去年9月に次ぐ成果を収める事となっていた。サボリが生み出した思わぬ成果によって。
そして、暫くの間、加藤は風に恵まれる事となる。