第10話 プレッシャー
文字数 4,259文字
■プレッシャー
「おい、加藤、11月戦はどれだけやるんだ?」
大森支部長が話し掛けてくる。
「え? いや……まだ10月始まったばかりですから……全然分かりません」
「またまた~、どうせデカいネタ隠してるんだろ? 取りあえず5億な」
「──は? な、何を……」
と、加藤の言葉を待つ事なく、去っていく大森。
先月の契約以来、他のみんなの加藤を見る目がガラっと変わった。 ビギナーズラックというにはあまりにも大きすぎる数字だったが為、「ただ者ではない」という認識が出来てしまったのである。
その皆の認識の中で一番困惑していたのは、当の本人の加藤であった。 まさしくビギナーズラックでしかあり得ない契約だった、と加藤自身認識していたからである。あんなに大きな契約は二度と取る事はないであろう……あんなに条件が揃い、かつ偶然が重なってという事は確率的にいえば天文学的な数字になる筈なので。
が……誰も「ビギナーズラック」という言葉で片付けてくれない。それは 勝野も例外ではなかった。あれからというもの、勝野は加藤に話し掛けてこなくなった。 いや、正確には勝野を営業所で見る事は滅多になくなった。 どうやら加藤のその成績を見て、負けじと契約を追う日々を続けている……らしい。
「●●先輩、この事についてちょっとお聞きしたいのですが……」
「ぁあ? そのくらいお前自分で調べられるだろう? あれだけ大きな契約取ったんだから」
と、他の人もこんな感じである。
(こんな事なら、契約取らない方が良かったよ……)
加藤は入社以来味わった事のない、疎外感を感じていた。
(なんか窮屈だなぁ……会社辞めてしまおうか……)
と、退社もかなり本気で考えたりもした。
数日後。
「加藤君──」
──ゴクリ……
朝の朝礼、先日の成果発表の時間である。 加藤の名前が出ると一気に営業所に緊張感が走る。
「1件修S1200万」
──ザワザワ……な~んだ……
な~んだ、という声は実際には聞こえないが、多くの人はきっとこのように思っていた事であろう。
あれからというもの、「加藤は大きな契約をまた持ってくるのでは?」という変な期待感が営業所を包んでいた。これは……営業部長や支部長も例外ではなかった。
「おい、加藤、今日はこれだけの成果しかあげれなかったのか……まぁ次は大きいのをもってこいよ」
等と言われる始末。
(何故に普通の契約をとってきてこの様な言われ方をしなくてはならないんだ……俺はまだ入社半年にも満たない新人だぞ……)
加藤に課せられる期待が、加藤を潰してしまおうとしていた。
(どうしたら……いいんだ、このままじゃ、潰れてしまう……)
変なプレッシャーも相まって、加藤は一つの悲劇に見舞われる。
■体調を崩す
10月半ばのある日、加藤は営業所を逃げるように飛び出して地区へ出向いていた。 たまたまこの日はとあるお客さんのアポイントが入っていた事もあり、早めに昼食を取る事にした。
(取りあえず今日は夜遅くなるかもしれないから、多めに食べておくか……)
食事は、牛丼特盛。昼食を抜かす事も多かった加藤にとって、この食事が悲劇のはじまりとなろうとはその時は夢にも思わなかった。
──ピンポ~ン♪
「あら、加藤君、いらっしゃい。どうぞ入って」
坂本さんという家に訪問していた。この家は、概観からは想像の出来ない程の資産家であり、たまたま気に入られて保険の相談を、という事にてアポイントが入っていたのである。
要望は、従業員を被保険者とした1/2損金で落とせるものをやりたいとの事だったが、当然加藤にはその提示をする知識はその時持ち合わせていなかった。
「一度営業所に戻って、詳しいものに聞いてきますね」
「あら、そう。じゃ待ってるわ。そうそう、加藤君昼食まだでしょ? 出前とっておいたから、食べなよ」
「──え? あ、ありがとうございます……」
加藤は普段世間話的に昼食を取らない事が多い事をお客さんに話す習慣がついていた。この坂本さんへも例外ではなかった。 その話を覚えていた様で、坂本さんは親切にも昼食を用意してくれていたのである。
が……加藤は30分前に牛丼特盛を食べている……お腹は……かなりはっているといっていい。 出前の中身は……うな重、大盛になるであろうか? が……せっかく用意してもらったものを断わる訳にもいかない。
「い、頂きます」
ゆっくり食べていては途中で食べれなくなってしまう、という思いからか、一気に食べはじめた。が、それがいけなかった。
「あら、いい食べっぷりねぇ。出前とった甲斐あるわ♪」
坂本さんは喜んでいる様子。かなりお腹は苦しい……が、ここで残す訳にはいかない……という思いから、気力で全部食べ切った。
「ご、ごちそうさまです、おいしかったです……」
「あら、それは良かったわ。それだけ一気に食べるという事は、余程お腹すいていたのね」
……その逆である事は坂本さんは夢にも思わなかったであろう。
「じゃ、デザートも食べていってよ」
「……え??」
一気に食べたのが徒となった事になるのか。 目の前に、こってりとしたチョコレートケーキ、チーズケーキの2つが用意される。
「これは、●●というお店で買ってきたものだから、おいしいわよ」
……確かにおいしいであろう、お腹がはっていなければ。 が、出されたものを無下に断わるのも悪いと思い、これまた一気に平らげる。
「ごちそうさま……です、おいしかったです……あ、そろそろ営業所に戻りますね……」
そそくさと坂本さんの家を後にする加藤。
(うぅ……かなりお腹に来たなぁ……今日は夕食は抜きにしよう……)
……悲劇は……さらに続く。
──営業所にて
「支部長、かくがくしかじかで、俺にはさっぱり分からないので同行して貰いたいのですが」
「お! いいぞ~、今ちょうど暇していたんだよ」
少々大きな契約と見たのか、大森支部長の目がキラリと光る。 ササっと用意を済ませて、いざ現場へ──といく所、珍しく大森が気を利かせた。
「お前、昼食普段とってないんだってな」
「え? はい……取らない時が多いです」
「バカ、駄目だぞ、食事取らないと身体が持たないからな」
「あ、ありがとうございます」
大森からこの様な気遣いの言葉を聞いた事は……入社以来初めてだった。
「おし、今日は食事奢っちゃる!」
「──え?」
「時間ないから、牛丼な」
「──え??」
……本日2度目の牛丼。3回目の食事、時間にして3時間以内に、である。かなり、厳しい。
「並1つお願い──」
「ん? 何を遠慮してるんだ? 若いんだから、もっと食え。──特盛2つお願いします」
……悪魔の一言だ。目の前にドンと特盛牛丼が……これを食べなくてはならないのか……
フッ……と気が遠くなるのをグっと堪え、最後の気力を振り絞って完食した。
「おし……今からいくか」
……その後の事は殆ど記憶にない。 頭が朦朧とし、腹痛が酷くなってきた為である。 契約は……取れたらしいが、どの様な契約が取れたか覚えていない。 意識は保っていたものの、立っているのが不思議なくらいの状態であった。
夕暮れ時──会社に戻る途中の道中でブラックアウト。
実に半年で2回目のブラックアウトとなった。
■休憩
──食べ過ぎに、極度の心身疲労
大まかにこの様な事を言われたのを記憶している。 取りあえず安静にという事で、部屋が空いているから良かったら、という事で、そのまま入院する事に。
──コンコン……
翌日、見舞いに来たのは勝野であった。
「お前、バカだなぁ。食事くらい断わらないとダメだろが。ま、俺も同じ事したかもしれないがなw」
「すいません。……俺、会社辞めようかと考えているんです」
「はぁ? なんでだ? 契約アホみたいに取れてるじゃないか」
「いや……成績があがり過ぎて周りのプレッシャーが大きすぎるんです……」
ここで、加藤が悩んできた事を勝野に洗いざらいぶちまけた。
「──確かに……なぁ。よくよく考えたらお前、まだ入社半年も経っていないもんなぁ。そりゃキツいわなぁ。かといって、これだけの数字をあげてしまったら……期待されない方がおかしいからなぁ。……何かいい手はないかなぁ……」
はたと、勝野が妙案を出す。
「お、そうだ! お前このまま11月終わりまで入院しておけ。上には俺が上手く話つけておくから。大事な11月戦を体調不良で1ヶ月休むとなれば、上も期待しない様になるだろうからな。仮に11月で成績がまたあがった日にゃ、それこそ今後ず~っとプレッシャーかけ続けられるからな。まだお前にはそのプレッシャーに耐えられる実力も付いてていないだそうし。ま、俺も同じ立場だったら耐えれないだろうからな、ははは」
意外な提案であった。
加藤の上司にあたる勝野の給料は、部下の取ってきた成績によって上下する。 まして重大月である11月の成績は勝野自身の評価にも繋がる筈なので、普通に考えれば休め、とはとても言えない筈である。 が、勝野自身の給料・評価を捨ててまで、加藤の将来の為……この提案をしてくれたのである。
「あ、ありがとうございます! ただ……勝野リーダーは大丈夫なんですか? 立場悪くなりません?」
「ばっか! お前1人くらいゼロでも他のみんなが何とかしてくれるだろうよ、何とかなるさ!」
──勝野は精一杯の強がりを言っていただけ、という事を加藤が知るのは、2ヶ月後になる。 結果を先に書くと、勝野は11月の部下の成績不振の責任を負う形になり、リーダー職を辞めさせられる事になる。
10月半ばから11月戦の終わりまで、営業所から加藤の名が消えた。 名目は、どの様な診断書を書いてもらったのか不明だが、皆が口を揃えて「心臓大丈夫?」と加藤に言っていた。
この勝野の妙案は想像以上に効果的であり、復帰後加藤に変な期待を抱くものは皆無となった。
──11月戦、成績ゼロ。
7月に新人で断トツトップの成績、そして9月には支社全体を揺るがした大きな契約を取った加藤の成果であった。不思議なもので、11月という重大月をゼロという成績をあげるだけで、支社から加藤という名が出る事はなくなった。
数字が全て……過去の数字はあっという間に廃れていく──加藤はこの業界の厳しさを目の当たりにした。
「結果的にお前にとって良かったのか悪かったのかは分からないが、明日から1からやり直しだな、頑張れよ!」
「はい……ありがとうございます!」
これが……加藤が勝野からリーダーとして受けた実質最後の言葉となった。
「おい、加藤、11月戦はどれだけやるんだ?」
大森支部長が話し掛けてくる。
「え? いや……まだ10月始まったばかりですから……全然分かりません」
「またまた~、どうせデカいネタ隠してるんだろ? 取りあえず5億な」
「──は? な、何を……」
と、加藤の言葉を待つ事なく、去っていく大森。
先月の契約以来、他のみんなの加藤を見る目がガラっと変わった。 ビギナーズラックというにはあまりにも大きすぎる数字だったが為、「ただ者ではない」という認識が出来てしまったのである。
その皆の認識の中で一番困惑していたのは、当の本人の加藤であった。 まさしくビギナーズラックでしかあり得ない契約だった、と加藤自身認識していたからである。あんなに大きな契約は二度と取る事はないであろう……あんなに条件が揃い、かつ偶然が重なってという事は確率的にいえば天文学的な数字になる筈なので。
が……誰も「ビギナーズラック」という言葉で片付けてくれない。それは 勝野も例外ではなかった。あれからというもの、勝野は加藤に話し掛けてこなくなった。 いや、正確には勝野を営業所で見る事は滅多になくなった。 どうやら加藤のその成績を見て、負けじと契約を追う日々を続けている……らしい。
「●●先輩、この事についてちょっとお聞きしたいのですが……」
「ぁあ? そのくらいお前自分で調べられるだろう? あれだけ大きな契約取ったんだから」
と、他の人もこんな感じである。
(こんな事なら、契約取らない方が良かったよ……)
加藤は入社以来味わった事のない、疎外感を感じていた。
(なんか窮屈だなぁ……会社辞めてしまおうか……)
と、退社もかなり本気で考えたりもした。
数日後。
「加藤君──」
──ゴクリ……
朝の朝礼、先日の成果発表の時間である。 加藤の名前が出ると一気に営業所に緊張感が走る。
「1件修S1200万」
──ザワザワ……な~んだ……
な~んだ、という声は実際には聞こえないが、多くの人はきっとこのように思っていた事であろう。
あれからというもの、「加藤は大きな契約をまた持ってくるのでは?」という変な期待感が営業所を包んでいた。これは……営業部長や支部長も例外ではなかった。
「おい、加藤、今日はこれだけの成果しかあげれなかったのか……まぁ次は大きいのをもってこいよ」
等と言われる始末。
(何故に普通の契約をとってきてこの様な言われ方をしなくてはならないんだ……俺はまだ入社半年にも満たない新人だぞ……)
加藤に課せられる期待が、加藤を潰してしまおうとしていた。
(どうしたら……いいんだ、このままじゃ、潰れてしまう……)
変なプレッシャーも相まって、加藤は一つの悲劇に見舞われる。
■体調を崩す
10月半ばのある日、加藤は営業所を逃げるように飛び出して地区へ出向いていた。 たまたまこの日はとあるお客さんのアポイントが入っていた事もあり、早めに昼食を取る事にした。
(取りあえず今日は夜遅くなるかもしれないから、多めに食べておくか……)
食事は、牛丼特盛。昼食を抜かす事も多かった加藤にとって、この食事が悲劇のはじまりとなろうとはその時は夢にも思わなかった。
──ピンポ~ン♪
「あら、加藤君、いらっしゃい。どうぞ入って」
坂本さんという家に訪問していた。この家は、概観からは想像の出来ない程の資産家であり、たまたま気に入られて保険の相談を、という事にてアポイントが入っていたのである。
要望は、従業員を被保険者とした1/2損金で落とせるものをやりたいとの事だったが、当然加藤にはその提示をする知識はその時持ち合わせていなかった。
「一度営業所に戻って、詳しいものに聞いてきますね」
「あら、そう。じゃ待ってるわ。そうそう、加藤君昼食まだでしょ? 出前とっておいたから、食べなよ」
「──え? あ、ありがとうございます……」
加藤は普段世間話的に昼食を取らない事が多い事をお客さんに話す習慣がついていた。この坂本さんへも例外ではなかった。 その話を覚えていた様で、坂本さんは親切にも昼食を用意してくれていたのである。
が……加藤は30分前に牛丼特盛を食べている……お腹は……かなりはっているといっていい。 出前の中身は……うな重、大盛になるであろうか? が……せっかく用意してもらったものを断わる訳にもいかない。
「い、頂きます」
ゆっくり食べていては途中で食べれなくなってしまう、という思いからか、一気に食べはじめた。が、それがいけなかった。
「あら、いい食べっぷりねぇ。出前とった甲斐あるわ♪」
坂本さんは喜んでいる様子。かなりお腹は苦しい……が、ここで残す訳にはいかない……という思いから、気力で全部食べ切った。
「ご、ごちそうさまです、おいしかったです……」
「あら、それは良かったわ。それだけ一気に食べるという事は、余程お腹すいていたのね」
……その逆である事は坂本さんは夢にも思わなかったであろう。
「じゃ、デザートも食べていってよ」
「……え??」
一気に食べたのが徒となった事になるのか。 目の前に、こってりとしたチョコレートケーキ、チーズケーキの2つが用意される。
「これは、●●というお店で買ってきたものだから、おいしいわよ」
……確かにおいしいであろう、お腹がはっていなければ。 が、出されたものを無下に断わるのも悪いと思い、これまた一気に平らげる。
「ごちそうさま……です、おいしかったです……あ、そろそろ営業所に戻りますね……」
そそくさと坂本さんの家を後にする加藤。
(うぅ……かなりお腹に来たなぁ……今日は夕食は抜きにしよう……)
……悲劇は……さらに続く。
──営業所にて
「支部長、かくがくしかじかで、俺にはさっぱり分からないので同行して貰いたいのですが」
「お! いいぞ~、今ちょうど暇していたんだよ」
少々大きな契約と見たのか、大森支部長の目がキラリと光る。 ササっと用意を済ませて、いざ現場へ──といく所、珍しく大森が気を利かせた。
「お前、昼食普段とってないんだってな」
「え? はい……取らない時が多いです」
「バカ、駄目だぞ、食事取らないと身体が持たないからな」
「あ、ありがとうございます」
大森からこの様な気遣いの言葉を聞いた事は……入社以来初めてだった。
「おし、今日は食事奢っちゃる!」
「──え?」
「時間ないから、牛丼な」
「──え??」
……本日2度目の牛丼。3回目の食事、時間にして3時間以内に、である。かなり、厳しい。
「並1つお願い──」
「ん? 何を遠慮してるんだ? 若いんだから、もっと食え。──特盛2つお願いします」
……悪魔の一言だ。目の前にドンと特盛牛丼が……これを食べなくてはならないのか……
フッ……と気が遠くなるのをグっと堪え、最後の気力を振り絞って完食した。
「おし……今からいくか」
……その後の事は殆ど記憶にない。 頭が朦朧とし、腹痛が酷くなってきた為である。 契約は……取れたらしいが、どの様な契約が取れたか覚えていない。 意識は保っていたものの、立っているのが不思議なくらいの状態であった。
夕暮れ時──会社に戻る途中の道中でブラックアウト。
実に半年で2回目のブラックアウトとなった。
■休憩
──食べ過ぎに、極度の心身疲労
大まかにこの様な事を言われたのを記憶している。 取りあえず安静にという事で、部屋が空いているから良かったら、という事で、そのまま入院する事に。
──コンコン……
翌日、見舞いに来たのは勝野であった。
「お前、バカだなぁ。食事くらい断わらないとダメだろが。ま、俺も同じ事したかもしれないがなw」
「すいません。……俺、会社辞めようかと考えているんです」
「はぁ? なんでだ? 契約アホみたいに取れてるじゃないか」
「いや……成績があがり過ぎて周りのプレッシャーが大きすぎるんです……」
ここで、加藤が悩んできた事を勝野に洗いざらいぶちまけた。
「──確かに……なぁ。よくよく考えたらお前、まだ入社半年も経っていないもんなぁ。そりゃキツいわなぁ。かといって、これだけの数字をあげてしまったら……期待されない方がおかしいからなぁ。……何かいい手はないかなぁ……」
はたと、勝野が妙案を出す。
「お、そうだ! お前このまま11月終わりまで入院しておけ。上には俺が上手く話つけておくから。大事な11月戦を体調不良で1ヶ月休むとなれば、上も期待しない様になるだろうからな。仮に11月で成績がまたあがった日にゃ、それこそ今後ず~っとプレッシャーかけ続けられるからな。まだお前にはそのプレッシャーに耐えられる実力も付いてていないだそうし。ま、俺も同じ立場だったら耐えれないだろうからな、ははは」
意外な提案であった。
加藤の上司にあたる勝野の給料は、部下の取ってきた成績によって上下する。 まして重大月である11月の成績は勝野自身の評価にも繋がる筈なので、普通に考えれば休め、とはとても言えない筈である。 が、勝野自身の給料・評価を捨ててまで、加藤の将来の為……この提案をしてくれたのである。
「あ、ありがとうございます! ただ……勝野リーダーは大丈夫なんですか? 立場悪くなりません?」
「ばっか! お前1人くらいゼロでも他のみんなが何とかしてくれるだろうよ、何とかなるさ!」
──勝野は精一杯の強がりを言っていただけ、という事を加藤が知るのは、2ヶ月後になる。 結果を先に書くと、勝野は11月の部下の成績不振の責任を負う形になり、リーダー職を辞めさせられる事になる。
10月半ばから11月戦の終わりまで、営業所から加藤の名が消えた。 名目は、どの様な診断書を書いてもらったのか不明だが、皆が口を揃えて「心臓大丈夫?」と加藤に言っていた。
この勝野の妙案は想像以上に効果的であり、復帰後加藤に変な期待を抱くものは皆無となった。
──11月戦、成績ゼロ。
7月に新人で断トツトップの成績、そして9月には支社全体を揺るがした大きな契約を取った加藤の成果であった。不思議なもので、11月という重大月をゼロという成績をあげるだけで、支社から加藤という名が出る事はなくなった。
数字が全て……過去の数字はあっという間に廃れていく──加藤はこの業界の厳しさを目の当たりにした。
「結果的にお前にとって良かったのか悪かったのかは分からないが、明日から1からやり直しだな、頑張れよ!」
「はい……ありがとうございます!」
これが……加藤が勝野からリーダーとして受けた実質最後の言葉となった。