第11話 最初で最後の転換

文字数 6,034文字

■契貸CV

「え~、11月戦お疲れさん。皆よく頑張ってくれた。今日からは12月になる訳だが、11月戦で見込みを潰しまくっているだろうから厳しい月になると思う。そこで、今月は転換狙いの営業でやっていこうと思う。また、転換だけでは苦しくなる事も予想されるので、第一基盤も考慮にいれるように」

(転換? 何それ? あ、確か入社時の研修でチラっと聞いた記憶が……第一基盤? 何だったっけ?)

 入社して半年程経過、それなりの成果をあげてきた加藤であったが、基礎的知識(保険会社でいう所の常識?)は信じられない程に身に付いていなかった。

「勝野リーダー、転換って具体的にどういうものでしたっけ? 後、第一基盤っていつも飛び込みしている所の事でしたっけ?」

「──?! お前、馬鹿か! 研修聞いてなかったのか?」

 今まで連載を読んで頂けている読者の方は既にご存知の通り、加藤は研修は殆ど出ていなかった。 男性職員ははじめから即戦力だ、という営業所の方針により、毎日といっていい程研修を受ける事なく勝野に引っ張り回されていたのである。正直、勝野の営業自体は誰の目からも参考にならない事は明白ではあったが。

「転換というのはなぁ、まぁ一言でいうと車の買い取りみたいなものだな。古い車より新しい車のがいいだろ? それと同じだ」

「え? 昔の予定利率が今の予定利率に変わるから、お客さんにとって不利になるんじゃないです?」

「バカだなぁ、お前何も知らないんだなぁ。掛捨て重視の保険で転換しても元々貯蓄部分は殆どない訳だから変わらないんだよ。新しい特約もついて、人によっては数百円しか違わないから、お客さんにとってもトクだろ?」

「あ、なる程!」

 実際、なる程! で済まされる事ではないのだが……当時の加藤はそこまでの知識はなく、勝野の説明に納得していた。

「後、第一基盤というのはな、俺みたいに友人・知人から契約を取る事を言うんだよ。ま、友人・知人の事が第一基盤だな」

「ぁ……」

「ま、第一基盤はお前には難しいだろうから、転換で頑張れや。お前、先月休んでいたから見込みもないだろうしな。あ、俺、明日から1週間程遠方に出向くからいないぞ。大森支部長に分からない事あったら、聞いてくれな」

 と、転換の意味は分かった。が、既契約の人なんて、どうやって探すんだ?  素朴に思い、大森支部長に相談をしてみた。

「何? 既契約者? お前地区なかったっけ? ん? そういや、お前地区登録も何もしてなかったなぁ。お前が回っているのは……●●町だったから(机の引き出しをゴソゴソしながら)ほれ、お前の地区の既契約のデータだ」

「──! こんなデータ、受取っていいんですか? プライバシー保護とか何か問題になるんじゃないですか?」

「バッカ、社外秘データだから当然外に出したら問題になるが、外に漏れなかったらいいんだよ! そんなん、常識だろが!」

……それが常識かどうかは未だ不明ではあるが、取りあえず受け取る事に。

「あ、そうそう、お前に実験台になってもらおうかな」

「え? 何をやらされるんですか?」

「お前、今月は厳しいだろ? だから取っておきの手法を伝授してやる。上手くいけば、10件くらいはまとまるぞ」

「マジですか? 是非とも教えて下さい!」

「じゃぁ、ちょっと難しいが、しっかり覚えろよ!」

 ここで教えられた内容は次の通りである。

・契貸CV(CV=転換)

 いわば、契約者貸付(保険の解約金の8割までを借りる事が出来る制度の事)をしている人に対して転換を促すという事である。

 人によっては限度一杯まで借りている人がいる訳であるから、「転換したら契約者貸付がチャラ(ゼロ)になりますよ~」という話はかなりの割合で乗ってくる筈だ、という手法の事。

 ギリギリまで契約者貸付を受けている契約の場合ならば、貯蓄部分のたまりも殆どなく、転換によるデメリットもそうはないよ、と。返済していく事を考えれば、転換した方がトクだよ、と。

 加藤が受取った資料には、事細かく、●●さんはどれだけの契貸をしているか、という事まで載っていた。

「後、契約者貸付は転換したらまた出来るようになるから、2度お客さんにとってもオイシイし、な」

「おぉ、これは凄い手法ですね。是非やってみます!」

 この契貸CVにより、一つの事件が起ころうとしている事に気付くものは誰もいなかった。

■ドル安

 当時はかなりのドル安時期であり、1ドル90円を割るか割らないか、という状態であった。 加藤にとってみれば何を意味するのかは当時は全く不明ではあったが、少し投資をかじっている人達にとってみれば一つの投機タイミングという時期であった。

 大森より貰った資料を元に、飛び込みをしてみる。

「現在、こちらの地区担当をやっております加藤といいます。今日は●●さんの御契約の確認という事でお伺い致しました」

 飛び込み話法(?)も自然と出てくる。今までの積み重ねは伊達ではない。が、世の中そんなに甘いものではなく、殆どの家が留守もしくは契約に繋がる事なく「結構です」というアプローチアウトという散々たる結果であった。

(ふぅ……もう30件は断わられたかな。普通に飛び込みしていた方が気がラクで疲れないな……)

 実際、どこか決められた家に狙って飛び込みするのはシラミつぶしでの飛び込みより遥かに疲れる。1日中で回れた件数は、これまでで30件。

(今日は後1件回って切りにしよう……)

 最後の家が、山本さんという人であった。 契約内容は終身3000万、契約者貸付を200万程している人であった。

「こんにちは、今日は契約確認にてお邪魔しました」

「あ、そう。ま、入ってよ」

と、今日ここに来てはじめての言葉である。 ここで、覚えたての話法を用いる。 現在契約者貸付けが200万ある事、転換したら契約者貸付けがなくなる事等。

「ふ~ん、なる程ね。そういや、今滅茶苦茶ドル安だから、また貸付しようと思ってた所なのよ。それでドル購入しておいたら、美味しい事になりそうだしね」

当時、いまいち理解出来ない話題ながらも「なる程ですね~」と相槌をうっていた加藤であった。

「ただ、確か契約者貸付って解約金の全額は無理なんだよね? 流石に保険なし状態というのは困るから、新しく入って解約するという事は出来る?」

「はい、出来ると思いますが……どのような内容に致しましょう?」

「あ、今回は掛捨て重視でいいや。入院系は今までと同じで。あ、三大疾病もつけておいてね。いっその事●●生命のヤツも解約して一つにまとめてしまうから」

「分かりました! 明日またお伺い致します」

と、中々美味しい話しになりそうだと胸をはずませ、帰社した。

「大森支部長、こんなケースが出て来たのですが……」

「ん~……重契になるか……どうだろうなぁ……」

「え? 重契って何ですか?」

「ん? 保険を解約後6ヶ月以内に新しい保険に入ったというケースを重契というんだよ。こういう決まりがなかったら、毎月保険解約して新しく入ってもらうなんて事出来てしまうだろ?」

「あ……なる程」

「このケースだと思いっきり重契査定にひかかるから……ただこの数字は今月欲しいなぁ。●●生命が……三大疾病1000万の終身に2000万の掛け捨て定期に入院特約か……」

 給料計算──加藤は全くといっていい程、給料の仕組みを理解しておらず、マイナス控除がどういう風に影響してくるか等といった事は全くといっていい程分からず、ただ大森の意見を待つだけ、という状態であった。

「ドル安で、解約金を元手にドル購入かぁ。転換して新たに契貸するとなると時間かかるからなぁ。おし、8000万で明日提示してみよう!」

「──え? 何故に8000万なんです?」

「ばっか、今の終身重視の保険料と8000万の掛捨て重視の保険料なら確実にそれでも安くなるだろう、テクニックだよ! 明日は俺も暇だから、俺もいくよ」

……テクニックか何かは不明だが、確かに保険料は安くはなる。 果たして、山本さんはどう判断するのか?

 翌日。大森を引き連れ、山本家へ出向く。

「加藤の上司の大森です。本日は加藤に不手際があるといけないので私も付いて来ました。これを見て下さい────」

 そこからの光景は、圧巻の一言であった。
 元々営業から這い上がり支部長にまで成り上がった大森の営業はひとえに「神業」と伝えられているが、目の当たりにしてそれが決して大袈裟なものではないという事を実感した。

 論理的なのか適切な表現なのかは分からない。 ただ、聞く人全てを引き付ける異様なオーラに部屋全体の空気が覆われていた。 まるで催眠術にでもかかったかの様に、大森がいつのまにか用意した1億もの保険の契約書にサインをし、印を押している山本さんの姿が。

 長い様で短い様な……不思議な時間の経過を知ったのは、大森が席を立ってからであった。

「では失礼致します。3日後に診査医が加藤と共にお伺い致しますのでよろしくお願い致します」

(え? いつの間にそこまで話が進んでいたんだ?)

 山本さんの家を出て時計を見てさらに加藤は驚いた。 なんと、大森が話をしてから20分しかたっていない。

「どうだ? これがいわゆる理想の営業ってヤツだ。参考になったか?」

……これで参考になる人は皆無であろう。センスというか、営業をやるが為に生まれて来たかの様な大森の営業は、凡人にマネのしようがないものの様に感じた。

「え、えぇ……ただ、俺にはどうしてあんな営業が出来るか分かりません」

「ま、数あたる事だな。そうすればお前もこうなれるから。一応、お前が一番俺になれる要素を持っていると思っているのだが、な」

 ここで会話は途切れた。
 加藤が言った「どうしてあんな営業が」というのは、意味もなく保険金を倍増させる事をしてしまうのか? という点であった。 保険料が安くなれば、保険金は倍になってもいいのか? また、いくら効率が良いからといって、あの短時間にて保険という商品を販売していいものなのか?

 ただ、素朴に感じた疑問を口に出して言う事は出来なかった。

(果たして、これで何の問題も起きないのであろうか……)

 その様な疑問を抱きつつ、解約手続きと同時に新規契約の入力を済ませた。

 漠然とした違和感が、明確な問題に発展するのは2週間後の事であった。


■診査落ち、そして……

「加藤君、ちょっと……」

内勤さんに呼び出しを食らう。

「山本さんっていうお客さんの診査結果でたけど、三大疾病は引き受け不可で、条件もかなり厳しくなっているよ」

「──え?」

条件を見て、唖然とする。

・保険料割増(大体2倍)
・入院特約割増(2倍程度)
・終身という形は不可で養老なら可能
・三大疾病引き受け不可

まぁ……誰が見てもこんな条件付き契約は加入しないであろう。

(ん? そういえば山本さんって他社の保険も解約してなかったっけ?)

サ~っと青ざめる。

 基本的に保険の見直しにおいて重要と言われるのは「万が一」を考えて保障を切らせない事となる。よって、新しく契約をして実際に効力が発生してから他の保険を解約なりする~というのが常套手段と言われている。

 確率的には0.1%以下ではあるが、万が一「保険の空白期間」に何かあって保険が出ません~では「ごめんなさい」では済まされない話なので。

 大森自体は、目先の数字に目を奪われてなのか「山本さん」が新規加入において条件が付くかもしれないというリスクを忘れていたのか……そのリスクを無視して他社解約→新規加入という指示を加藤にしていた。手続きをしたのは加藤ではあるが、非は大森にも大いにある……と客観的に見る事は出来る。

 が、当然その様な客観性は当時の加藤にある筈もなく、慌てふためき、大森の元へと相談にいった。

「支部長……実は先日のお客さんにこの様な条件が……」

「な、何……?」

恐ろしく驚き、そして顔色がみるみるうちに青ざめていくのが加藤の目にも明らかだった。

「こ、この件は俺がなんとかしてみる。お前は自分の仕事をやれ……」

と、加藤がこの件についてのその後を聞く事になるのは暫く後の事であった。大森は 色々と会社に頼み込み等を試みたとの事だったが……結果は覆らず。

『すいません、こないだの契約、こういう条件がついてしまい、かつ三大疾病もつけれないという事になってしまいました、エヘ♡』

と、結果的にお客さんの所に説明しにいかなくてはならない……と加藤が聞かされたのは翌日であった。

「えぇ? そんな事どういう顔していけばいいんです? 俺がお客さんなら滅茶苦茶怒りますよ。今まであった契約までなくなってしまう(他社のもの)訳ですし……俺1人じゃ流石に無理です、一緒に来て下さいよ」

「い、いや……明日は会議があって……」

「会議とお客さん、どちらが大切なんですか!」

「あ、もうこんな時間だ……ごめん、アポが入っているから……」

……都合が悪くなった為、逃げた……あの大森支部長が……

(一体、この処理をどうやって俺1人でやっていけばいいんだ……)

何とかいって、まだ入社1年未満の加藤が処理出来る問題ではないのは誰の目にも明らかであった。(他の人達は知らない出来事ではあるが)

(逃げ出したい……どうしたらいいものだろうか……)

流石に、これ以上とない程、落ち込んでいた。その時──

「お、加藤、何伏せ込んでるんだ? 契約が取れてないのか? ん??」

 声を掛けてきたのは、なんというタイミングの良さであろうか、本来いない筈の勝野であった。今日まで休みの届けは出してはあったが、帰ってくる途中で営業所に顔を出しにきたとの事。

「あ、実はこんな事があって────」

一部始終を勝野に話す。

「そうか……そりゃ酷い話だなぁ。よし分かった、明日いこうか。一緒に謝ってやる」

 なんていい人であろうか。全くこの件に関してはノータッチであったにも関わらず、迷う事なく嫌な役回りをしてくれようとしている。思わず目頭が熱くなった。

 翌日、山本さん家へ事情説明、謝罪。ボロクソ文句を言われるものと覚悟していたのだが、予想外の反応。

「あ、やっぱダメだった? まぁいいや。元々辞めるつもりだったからね、ははは」

 ホっと胸を撫でおろした。
 今回はたまたまこの様な結果になったが……仮に最悪の場合、どうなっていたであろうか? 非常に後味の悪い出来事であり、この件がトラウマとなり、加藤は転換契約を退社まで1件も扱う事はなかった。

「まぁ……あの人(大森)は、ああいう人だから……」

 遠い目で語る勝野が、昔大森の直属の部下だった事を初めてこの時、聞かされた。 詳しくは聞かなかったが、色々あったのであろう事は容易に想像出来た。

「ただ……今回の事で恐らくダメ押しだな……」

「え? 何がですか?」

「いや、来月になってから判明すると思うから……」

その意味が分かったのは翌月の事であった。
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