第15話 新人指導(2)

文字数 4,470文字

■新人指導、そして……

「加藤君、この子の面倒みてあげてね♪」

 5月のGW明け、1人の男性を数ヶ月先輩──同期に近い職員に紹介された。 同期といっても40半ばの女性、この人が新入社員を連れて来たのである。

 生命保険会社は非常に不思議な求人の仕方をしており、就職マガジン等で求人をかける事は滅多になく、営業職員の紹介(誘い込み)での求人を主としている。理由は信用出来る人のみ雇いたいからとはなっているが、現実は──

「亀田です、よろしくお願いします」

 亀田という人物──明らかに加藤より年上そうである。実際、6歳年上であった。

(ふう……また、か……)

 4月から僅か1ヶ月程度の間に、加藤の元へ来た実に3人目の男性職員である。山田と入れ替わる様に面倒を見る様になった人も、GWが始まる前には既にいなくなっていた。仕事がキツいから、と。亀田も同様にすぐに辞めていく事になるのかな……等と加藤は既に悪い予想をしていた。

「取りあえず、飛び込みからしましょうか」

「え? 飛び込みなんてするなんて聞いていないです……」

「……飛び込みしないで、どうやって保険取るつもりだったのです?」

「いえ、研修では会社訪問して……いわゆるルート営業みたいなものと解釈していましたが……」

「……男性が会社訪問、昼間に女性職員と同じ様に飴配るつもりだったのです?」

「い、いえ……それは……ただ、飛び込み以外を考えていたので……」

「じゃぁ、どうやって営業するつもりです? テレアポでもするんです?」

「い、いえ……既契約者回り等して契約を取っていくとか……」

「……既契約の人達に転換ばかり持っていく、という訳ですか?」

「……」

「既契約の人なんて数が限られている訳ですし、食べていく為には新規で契約取らなくてはいけない──というのは理解してますよね?」

「は、はぁ……」

「じゃぁ、飛び込みしていく以外ないじゃないですか」

「いえ、最初は色々勉強して知識得てからじゃないと不安で──」

「だったら、その勉強期間中は保険は取らない訳ですか? そこまで会社、待ってくれないですよ」

「……」

「いきなり保険が取れる訳でもないですから、勉強と飛び込み、平行してやっていけばいいんじゃないです?」

「……そんな、大変じゃないですか……」

「……何言ってるんです? 楽して契約バンバン取れるとでも思っていたんですか? そんな甘い世界、どこにあります? 知ってたら教えて下さいよ、俺もそんな世界に行きたいですから」

「…………」

「とにかく! アンケート10枚取って来て下さい! それが当面の亀田さんの仕事です!」

「……いつまでに──」

「んなもん、1日でに決まってます! 取りあえず19時までやってみて、それで帰って来て下さい!」

(……俺はキツい事を言っているだろうか? ただ俺がやってきた事をそのまま伝えているだけなのに。何故に足を動かす事を躊躇うのだろうか、皆自分だけは特別な存在、センスの塊とでも思っているのだろうか? 誰も大差ないのが現実なのに……)

 加藤はここ3人の男性新人を見て、何度この事を頭の中で自問自答した事か。

 そして、この事はかなり長い間、加藤を悩ませる事になる。


 19時……亀田が帰ってこない。30分経過、それでも帰ってこない。少々遅い事もあり、営業部長に報告する事にした。

「営業部長、亀田がまだ帰っていないのですが」

「あ、亀田? あいつ辞めたよ」

「──え?」

「お前が出ていった後、すぐ俺の所に来て辞めさせてくれとか言ってたぞ、何か自分には無理だとか言ってたが、お前、何か言ったか?」

「いえ、ただアンケート取って来い、楽して契約取れると思うな、という事くらいしか言ってないですが……何考えてうち来たんですかね、彼?」

「……まぁ、求人の仕方に問題もあるかもな。みんな平気で給料月50万ラクに取れるよ、みたいな事言って誘ってるからなぁ」

「……それじゃ詐欺じゃないですか……」

「ん? 別に契約沢山取れば50万どころか100万いくだろ、お前みたいに」

「……俺、楽なんてしてないですよ……」

「じゃ、お前、仕事苦しんでやってるか?」

「いえ……別に苦しくもないですが……」

「じゃぁいいじゃないか、お前みたいなヤツもいるんだから、嘘でもない訳だろ?」

「……ただ、それじゃ辞める人が多く、育たないんじゃないですか?」

「育つヤツは勝手に育つ、ダメなヤツはダメ、それはやらせてみないと分からないんだよ。だから出来るだけ、どんなヤツでも採用してるんだよ。お前なんか、第一基盤持ってなかったから絶対続くとは思わなかったしな、ふははは」

 1年続く人は5割、2年続く人は2割、3年続く人となると──データすら公開されていない。それが生命保険業界である。(各社多少の差はあるが、離職者は非常に多い)

 男性だろうと女性だろうとこの統計はほぼ変わる事なく、1年後には営業所の職員の顔ぶれが随分変わるものである。

 飛び込み自体、一見非常にセンスのいる仕事に思う人もいるであろう。確かに飛び込みしての即契約への話となると、ドアノックからクロージングまでを叩き込む訳だからそれなりのテクニックを要するものではある。

 が、飛び込みしてアンケートを取るだけならば話は別であり、正直そこいらの学生でもやれと言ったら出来るであろう。そこから何度も足を運んで、なじみができた後で相手から保険の話をしてくるのをひたすら待つ──正直、テクニックも何も不要……ただただ足を動かすという、単純作業の繰り返しで大差なく誰にも出来るもの……

 これが1年で足のみで成果をあげてきた加藤の保険営業の考えであった。

──加藤の営業手法、これの伝授・継承ができれば、営業所……いや、会社にとってとてつもない利益を生む事になる筈。

 事実、加藤はこの理由にて抜擢されたといって過言ではない。

 が……入り口のドアすら開ける事なく、躓いているのが現実だった。

(俺は……トレーナーに向いていないんじゃないのか……)

 トレーナーになり1ヶ月、早くも加藤はそう思いはじめていた。

 5月が終わるまでに亀田の後に更に2人程預かったが、6月にその顔ぶれをみる事は……やはりなかった。


──締め日を終えて

「おう、加藤、お前成績悪いなぁ。サボっとるのか? ん?」

 少々得意顔で話し掛けて来たのは勝田であった。

(そりゃ成績出せる訳ないよ、新人で付きっきりだったのに……)

思わず口に出していってしまう所、すんでの所で心の中にしまいこむ加藤。

「これじゃ、新人達に示しがつかんぞ! お前なんて、成績取ってナンボのもんだからな、ははは。──あ、先月と今月俺が勝ったから、合わせて10万な」

「──え?」

……そういえば毎月どちらが成績が上になるか競争だ、という事で勝田と賭けをしていたのだった。毎月、新人のお守をしなくてはならない加藤にとっては非常に、非常に大きなハンデになる。ただでさえ、勝田に成績で勝つのは難しいのに……

……12ヶ月のうち、実に8回──勝田にまるで毎月の小遣いのように貢ぐ事になるのは……結果を言わなくても分かるであろう。

(そういえば、俺がトレーナーという事は皆は知らない訳だから、成績も普通に取らなくてはいけないんだよな……これ、無理ゲーじゃないだろうか……)

 加藤は名のない二足の草鞋を履くトレーナー。2ヶ月で早くも挫折しかけていた。


──♦補足~男性職員~♦──

 ここで今更ではありますが、男性職員について解説を。他の会社については定かではないですが、筆者の会社(営業所)においては男性職員は皆、数年後の幹部候補として採用されていました。(幹部というのは管理職、まずはトレーナーを指す)。が、何もせずに幹部になれる筈はなく、通常ノルマとはかけ離れた数字を残す、というのが唯一無二の条件となっていました。(具体的には年間60件を2年、ないしは48件を3年が最低ライン、らしい)

 保険業界に携わっていない人からすればいまいちピンと来ないかもしれませんが、大半の営業職員の目標(憧れ?)が年間48件(基本、この数字以上をあげる人は優績者と呼ばれ、崇め奉られる)という事より、中々のハードルだと想像して貰えば大まかには理解できるでしょう。

 では、その数字が取れる様になる為の男性職員用の指導ノウハウが存在するか? というと……全く存在しません。にも関わらず、最初から数字を強く求められるよ、と。この理不尽さを解決(?)する為、暗黙の了解(指示すらある?)で手を出すのが、いわゆる第一基盤(友人・知人の事を指す)からの契約ですね。

「ん? 友人・知人・親族からの契約なら案外ラクじゃね?」

こう思われる方もいる事でしょう。その考えは、半分正解で半分不正解。確かに数件(特に親族、親とか)ならば容易でしょう。が、それが親友となると……友人となると……更には知人となると……難易度は格段と上がっていくのは言うまでもないでしょう。そんな先が20件以上ある人はどれだけいるでしょうか? ましてや幹部になる為の条件である合計100人以上となると……(個人的感覚では、友人契約あたりから飛び込みで白地契約を狙った方が数倍ラク)

物語で営業部長の「1年以上持つヤツは殆どいなかった」という言葉がありますが、第一基盤のみの契約しか取っていなければ当然の結果でしょう。

※大体10-20件くらいで大半の人は躓く。学生時代の卒業アルバムあたりに手を出したらもう末期、あ、コイツもう終わりだな……となる。ちなみにここまで手を出した人は例外なく友人・知人関係は崩壊する。

「第一基盤のみで幹部になる為の数字をクリアできる人は、恐ろしくレアな人」

これが現実です。


 余談ですが、物語において勝野の異質さは伝わりにくいかもしれません。が、第一基盤のみで長年生き残っている事自体が奇跡、ましてや優績者としての数字を取り続けてきたなんて、化物そのもの、筆者は未だにこう思ってます。(第一基盤に手を出した事のある人、特に外資系生保営業の人はこの事がよく分かる筈)


 この物語を読む読者の中には保険業界に深く携わった人もいるでしょう。中にはここで触れた「幹部候補」として実際に仕事した人すらいるかも。これらの人は、主人公加藤の「わずか1年でのトレーナー抜擢」は如何にも「創作的」に感じている事でしょうね。(実際、筆者以外での特例的抜擢は見た事も聞いた事もない)

 が、この物語はノンフィクションでリアルそのものです。数字以上に「飛び込みオンリーで契約の全てが白地契約という実績をゼロから作った」事が大きく評価されていた、という事をここで付け加えておきます。(物語に触れる事はなかったが、実際はトレーナーの他、支社研修の講師(?)という話もあったり、支社全体で「地区飛び込みの活動を取り組んでいこう」という全体活動が行われたりしたくらいである。それくらい、筆者の地区飛び込みでの白地契約数は会社に夢を見させた……らしい)

……以上、補足でした。

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