最終話 決心、そして……
文字数 4,954文字
■決心、そして……
3月某日。
加藤は何ともいえない緊張感に包まれていた。そう、トレーナー職を辞める事を決心したものの、中々言い出せないのである。
すっかり読者の方達も忘れているかと思われるが、元々加藤はかなりの小心者、飛び込みも最初はドアノックするまでにドアの前で数分固まっていた程である。
緊張感という点においては、最初のドアノック以上のものが重くのしかかっていた。確かに言いづらい事……ではあるので。
朝礼が終わり、10分以上も固まったままの加藤をみて流石にじれったさを感じたのか、勝野が加藤の脇腹にエルボーを喰らわせながら、ドヤしてきた。
「おい! お前いつまでそうやって固まってるんだよ! はよいけよ! ほら!」
「は、はい……」
気が進まない中、確かにこのまま固まっていてもしょうがないと思い、重い足取りで営業部長のいる机までの距離を歩く。非常に長い距離に感じたが、実際には10mちょっとの距離なので、あっという間に営業部長の目の前に到着。
「ん? 何だ、加藤」
恐ろしい程、優しい顔で応対する営業部長に、少々心が痛む。思わず決心が揺らぎ、何もなかったかの様に今のままでいるのも悪くはないかも、とも頭を過る。
よくよく考えればトレーナー抜擢にしても、営業部長は加藤の為を思ってしてくれた措置であったのは想像するに難しくない。勝野の様な特例を除き、男性職員の大半は安定した管理職、ノルマに追われる事なく、比較的高給が得られる立場を目指すものなので。
誰も希望したらなれるものではなく、上からの抜粋があって初めてなれる立場。それこそこの業界における一つの成功の形といっても言い過ぎではないであろう。
本来ならば最低2年は誰からも文句の言えない成果を挙げてから、初めて視野にみえてくるトレーナーという立場。それを、わずか1年という非常に短期間で抜擢するというのは、加藤自身の成果だけではなく、営業部長自身の「期待」も込められたものであった事であろう。
その「期待」をわずか1年という期間にて放棄する事は、どれだけ営業部長の感情を逆なでし、悲しませる結果になるか──それを考えるとやはり憂鬱になる。
(あぁ……やはり今のままトレーナーをやっていくのも悪くないか……な)
「──藤、加藤……おい、加藤!」
「は、はい!」
「お前、何か用事があるんだろ? 何ボーっと1分も突っ立ってるんだよ!」
「あ、……じ、実は……い、いや、今月も──」
「あ、営業部長。こいつ、トレーナー辞めさせて欲しいみたいですよ。自分の性にはあわないって。営業やってた方が気がラクだからって言ってますよ」
「──?! 加藤! お、お前、どういうつもりだ!」
「あ、いや……その……」
「お前、ちょっとこっち来い!」
と、応接室へと連れ込まれた。
ちなみに、いきなり横やりを入れて来たのは、加藤の様子に痺れを切らしてズカズカとやってきた勝野であった。恐らく、勝野がやって来てズバっと言わなければトレーナーを継続していたであろう。
その後の会話は覚えていない。一方的に凄い剣幕で怒鳴り散らしている営業部長をテレビ越しで見る感覚で、ボーっと妄想に浸っていた。そして、心の中で泣きながら、呟いていた。
(今まで有難うございました。ホント感謝しています。そして、ごめんなさい……)
「──藤、加藤……おい、加藤!」
「は、はい!」
「お前、俺をおちょくってるのか! ボーっと明後日の方向、向きやがってよ!」
どうやら表面上はかなりムスっとした表情で明後日の方向を向いていたらしい。ハっと表情を一変させ、営業部長の方を向こうとした瞬間、
──バキッ……!
強い衝撃があったと思ったら、一瞬天井が見え、ガツンという後頭部の衝撃と共に目の前が一瞬真っ暗になる。そして、左目下当たりに激痛が走る。そして頭上から絞り出すような声で言われた言葉が加藤に追い打ちをかける。
「お前……恩義という事を知らんのか。この……裏切りもんの薄情者めが……。お前の事なんかもう知らん! ったく、最近の若いもんは……」
──右ストレート。いきなり殴られるとも思わなかったが、絞り出すような声で言った営業部長の言葉の方がズシンと加藤の心を痛めつけた。
(……今まで有難うございました。ホント感謝しています。そして、ごめんなさい……)
その後、非常に事務的な作業を終え、静かにトレーナー職の解任が終了した。
時間にすれば1時間少々の出来事ではあるが、非常に長い、辛い時間と感じ、自分の席に座る時にはまるで1日中飛び込みを休み無しにしてきた程の疲れがドッと加藤を襲っていた。
「よ、異端児」
トンッ、と缶コーヒーを加藤の机に置き、話し掛けて来たのは勝野である。
「まぁ、大変だったな。……うわぁ、お前、酷い顔してるなぁ。左目の下、冷やした方がいいぞ。で、何だその泣目は。そんなに営業部長のパンチは効いたかよw」
知らずうちに、どうやら涙が出ていた様である。
「い、いや……そういう訳じゃ……」
「ま……これでお前も異端児になった訳だ。これまでは営業部長とか支部長とか良くしてくれただろうが、今後は滅茶苦茶冷たい仕打ちになるだろうよ。ま、覚悟しとけや。ま、好き勝手に生きてれば色んな犠牲もつきもんだわな。これではるばるお前は自由の身だ……良かったな!」
「は、はい……」
果たして、加藤の選択が正しかったのかどうか……これは誰にも分からない。
自分の幸福(希望)を叶える為には、犠牲も伴う事がある。その事を身を持って経験した加藤であった。
■数カ月後
「え~、本日の成果発表をおこなう。……加藤、3件修S3828万。おめでとう! ん? 加藤はどこいった?」
「あ、加藤なら朝からアポが入っているという事で先程もう出ていきました」
「ん? またか。ったく、しょうがない奴だなぁ。夜になっても帰って来ないし、これで成績あげてなかったらとっちめてやるのに……」
トレーナーを降り、営業畑に戻った加藤はまさに水を得た魚のように動き回っていた。まるで今までの鬱憤を晴らすかのように。
あれから数ヶ月、営業所で加藤の姿を見たという人はあまりいなくなっていた。 それもその筈、朝の朝礼時には外に出ており、帰って来るのも毎日20時過ぎであったが為、普通に出勤している人とは思いっきりすれ違いしているのであった。
数字は上々、本来ならまず注意される出勤体系ではあるが、誰1人として注意する人がいなかった、いや、出来なかったといっていいであろう。それだけの数字を挙げているのだから。
「ま、アイツは外で飛び回っている方がいいという事だな。まぁ、アイツを見習えとはいわないが、皆も頑張れよ」
「はい!」
加藤の突然といえるトレーナー辞退の事件が漸く過去の出来事になった瞬間であった。
■外の風景
「こんにちは~、今度こちらの地区の担当になりました加藤といいます。今日は御挨拶という事で訪問させて頂きまし──」
「うちは結構です!」
「あ、分かりました。自己紹介ビラをいれておきますので今後ともよろしくお願い致します」
加藤はがむしゃらに動いていた。アポが入っているから、といって会社を出て来てはいるが、そんな都合よくアポイントなんか入る程世の中甘いものではなかった。
あくまでも1件でも多く飛び込みをする為の口実に過ぎなかった。営業に戻る事になり、最初に思い付いたのが、飛び込み。思い付くも何も、最初から最後まで飛び込みオンリーでやってきた加藤にとって他に選択肢がなかったのが事実である。
(ふぅ、今日は中々あたりが厳しいなぁ。アポで出て来たという名目上、何の手ごたえもナシに帰る事は出来ないから……もうちょっと動くか)
いわば、加藤は自分からあえてプレッシャーをかけて次の一歩に繋げるという動きを自然としていたのである。
──営業は動いてナンボの世界。いつになっても有効なのは「自分の足をどれだけ動かしたか」を地で行っている訳だから、成果は自然とついてくる。
さらに契約をとったからといって足を止めずに、ただただ無心で動き回っていた訳だから気がつけば誰も文句のつけようのない数字となっていく。が、加藤はここ数ヶ月何件の数字をあげていたかは全く把握していなかった。
ただただ「営業が出来る」喜びだけで動いていたのである。
■営業所、夜
「おぅ、お疲れ。今日はどうだった?」
「いや……今日は成果出ませんでした。勝野リーダーはどうでした?」
「へへへ、俺は今日は2件だな」
「う……やりますなぁ。明日頑張ります」
「って、お前取り過ぎだって。全然追いつけね~じゃんかよ、俺」
加藤が営業に戻った後、ほぼ毎日の様に2人の報告会は続けられていた。 ──勝野が気を遣ってか、加藤の帰りを待ってくれている訳であるが。 このささやかな気遣いが加藤にとってはこの上なく嬉しく、支えになっていた。
もう上司・部下の関係でなくなり1年以上経過、それでも加藤にとっての上司は勝野であると。恐らく今後ずっとその関係は変わらない事であろう。
「来月は重大月かぁ。お前何かネタある?」
「いや~、全然ありませんよ。ホントピンチですよ」
「またまた~、また何か大ネタ隠してるんじゃないんか?」
「そんな事いう勝野リーダーだって、ネタ隠してるんじゃないです?」
「俺? いや~、ないねぇ。ま、ないもの同士、また賭けするか」
「ん~、いいですよ。ただ、賭けであまりいい思いした事ないんですよ……」
「気のせいだって、恐らく今回は俺が負けるよ。うわ~憂鬱だなぁ~」
実に微笑ましい会話が続く夜の営業所であった。
ふと勝野が話題を切り替える。
「加藤、お前保険の営業好きか?」
その問いに迷う事なく加藤が答える。
「はい! この仕事がやれてホント良かったと思ってます!」
心無しか、勝野のみならず、営業所がにっこり微笑んだ気がした。
(fin)
■あとがき
作者の生田保です。
ここまで読まれた方、お疲れさまでした。これを読んで下さった方は薄々と感じているかと思いますが、この作品は限り無くノンフィクション、自分の経験をかいつまんで書いたものです。
以下、保険営業をされている方達へ。
この物語にて皆に知って貰いたかった事、伝えたかった事はただ一つ。「営業は楽しいよ、面白いよ」という事です。振りかえって見ると、辛かったのは最初の数ヶ月。
その後以降、少なくとも営業という仕事においては何の不満もありませんでした。普段では絶対といっていい程出会う事も接点も持たないであろうという人達との接点も出来ますしね。
ちょくちょく質問される事あります。
「あなた、かなり成果あげてるよね。一体どんな話法とか使ってるのさ」と。
誤解されている方も多いかもしれませんが、この物語の主人公、加藤と同様、自分は何の話法も用いませんでした、というか元々口下手ですので、やろうとしても出来ませんでしたし。
では、どのようにして数字をあげてきたか? 非常に単純な答えでして「足を動かす事」のみを徹底してきました。ま、加藤と同じです。
人と人が仲良くなるのは、優れた話法とか何も必要ないですよね? それと同様。 ただひたすら「足を動かす」事ですね。後は、嫌われない事、と。 特別な事をする必要はないです。これはいつの時代も変わりありません。
あなたは、保険は好きですか?
人に笑顔を貰う事、好きですか?
日本語をしゃべる事、出来ますか?
これだけの事が当てはまれば、きっと大丈夫です。 明るい未来、きっと出会えますよ。
頑張って下さい。
少しでもこの物語にて皆様のお役にたてるきっかけになれたのなら、この上なく幸いです。
以下、読者の皆様へ。
この物語は実はまだ途中、これからが佳境へ突入するのですが、あえてそれは別著とします。何故分けるかは、次著を読んで頂ければきっと分かるでしょう。えぇ、かなり作風も変わりますし、打って変わってドヨヨーンとした内容も多いですし、ね。主人公「こんな業界、俺がぶっ壊してやる!」なんてなりますし笑
「ほぉ……この加藤が、闇落ち……? 興味深い……!」
と思って下さる方、是非別著も読んでみて下さいませ。それなりに楽しめるかとは思いますよ。
何はともあれ、今後ともよろしくお願い致します。
3月某日。
加藤は何ともいえない緊張感に包まれていた。そう、トレーナー職を辞める事を決心したものの、中々言い出せないのである。
すっかり読者の方達も忘れているかと思われるが、元々加藤はかなりの小心者、飛び込みも最初はドアノックするまでにドアの前で数分固まっていた程である。
緊張感という点においては、最初のドアノック以上のものが重くのしかかっていた。確かに言いづらい事……ではあるので。
朝礼が終わり、10分以上も固まったままの加藤をみて流石にじれったさを感じたのか、勝野が加藤の脇腹にエルボーを喰らわせながら、ドヤしてきた。
「おい! お前いつまでそうやって固まってるんだよ! はよいけよ! ほら!」
「は、はい……」
気が進まない中、確かにこのまま固まっていてもしょうがないと思い、重い足取りで営業部長のいる机までの距離を歩く。非常に長い距離に感じたが、実際には10mちょっとの距離なので、あっという間に営業部長の目の前に到着。
「ん? 何だ、加藤」
恐ろしい程、優しい顔で応対する営業部長に、少々心が痛む。思わず決心が揺らぎ、何もなかったかの様に今のままでいるのも悪くはないかも、とも頭を過る。
よくよく考えればトレーナー抜擢にしても、営業部長は加藤の為を思ってしてくれた措置であったのは想像するに難しくない。勝野の様な特例を除き、男性職員の大半は安定した管理職、ノルマに追われる事なく、比較的高給が得られる立場を目指すものなので。
誰も希望したらなれるものではなく、上からの抜粋があって初めてなれる立場。それこそこの業界における一つの成功の形といっても言い過ぎではないであろう。
本来ならば最低2年は誰からも文句の言えない成果を挙げてから、初めて視野にみえてくるトレーナーという立場。それを、わずか1年という非常に短期間で抜擢するというのは、加藤自身の成果だけではなく、営業部長自身の「期待」も込められたものであった事であろう。
その「期待」をわずか1年という期間にて放棄する事は、どれだけ営業部長の感情を逆なでし、悲しませる結果になるか──それを考えるとやはり憂鬱になる。
(あぁ……やはり今のままトレーナーをやっていくのも悪くないか……な)
「──藤、加藤……おい、加藤!」
「は、はい!」
「お前、何か用事があるんだろ? 何ボーっと1分も突っ立ってるんだよ!」
「あ、……じ、実は……い、いや、今月も──」
「あ、営業部長。こいつ、トレーナー辞めさせて欲しいみたいですよ。自分の性にはあわないって。営業やってた方が気がラクだからって言ってますよ」
「──?! 加藤! お、お前、どういうつもりだ!」
「あ、いや……その……」
「お前、ちょっとこっち来い!」
と、応接室へと連れ込まれた。
ちなみに、いきなり横やりを入れて来たのは、加藤の様子に痺れを切らしてズカズカとやってきた勝野であった。恐らく、勝野がやって来てズバっと言わなければトレーナーを継続していたであろう。
その後の会話は覚えていない。一方的に凄い剣幕で怒鳴り散らしている営業部長をテレビ越しで見る感覚で、ボーっと妄想に浸っていた。そして、心の中で泣きながら、呟いていた。
(今まで有難うございました。ホント感謝しています。そして、ごめんなさい……)
「──藤、加藤……おい、加藤!」
「は、はい!」
「お前、俺をおちょくってるのか! ボーっと明後日の方向、向きやがってよ!」
どうやら表面上はかなりムスっとした表情で明後日の方向を向いていたらしい。ハっと表情を一変させ、営業部長の方を向こうとした瞬間、
──バキッ……!
強い衝撃があったと思ったら、一瞬天井が見え、ガツンという後頭部の衝撃と共に目の前が一瞬真っ暗になる。そして、左目下当たりに激痛が走る。そして頭上から絞り出すような声で言われた言葉が加藤に追い打ちをかける。
「お前……恩義という事を知らんのか。この……裏切りもんの薄情者めが……。お前の事なんかもう知らん! ったく、最近の若いもんは……」
──右ストレート。いきなり殴られるとも思わなかったが、絞り出すような声で言った営業部長の言葉の方がズシンと加藤の心を痛めつけた。
(……今まで有難うございました。ホント感謝しています。そして、ごめんなさい……)
その後、非常に事務的な作業を終え、静かにトレーナー職の解任が終了した。
時間にすれば1時間少々の出来事ではあるが、非常に長い、辛い時間と感じ、自分の席に座る時にはまるで1日中飛び込みを休み無しにしてきた程の疲れがドッと加藤を襲っていた。
「よ、異端児」
トンッ、と缶コーヒーを加藤の机に置き、話し掛けて来たのは勝野である。
「まぁ、大変だったな。……うわぁ、お前、酷い顔してるなぁ。左目の下、冷やした方がいいぞ。で、何だその泣目は。そんなに営業部長のパンチは効いたかよw」
知らずうちに、どうやら涙が出ていた様である。
「い、いや……そういう訳じゃ……」
「ま……これでお前も異端児になった訳だ。これまでは営業部長とか支部長とか良くしてくれただろうが、今後は滅茶苦茶冷たい仕打ちになるだろうよ。ま、覚悟しとけや。ま、好き勝手に生きてれば色んな犠牲もつきもんだわな。これではるばるお前は自由の身だ……良かったな!」
「は、はい……」
果たして、加藤の選択が正しかったのかどうか……これは誰にも分からない。
自分の幸福(希望)を叶える為には、犠牲も伴う事がある。その事を身を持って経験した加藤であった。
■数カ月後
「え~、本日の成果発表をおこなう。……加藤、3件修S3828万。おめでとう! ん? 加藤はどこいった?」
「あ、加藤なら朝からアポが入っているという事で先程もう出ていきました」
「ん? またか。ったく、しょうがない奴だなぁ。夜になっても帰って来ないし、これで成績あげてなかったらとっちめてやるのに……」
トレーナーを降り、営業畑に戻った加藤はまさに水を得た魚のように動き回っていた。まるで今までの鬱憤を晴らすかのように。
あれから数ヶ月、営業所で加藤の姿を見たという人はあまりいなくなっていた。 それもその筈、朝の朝礼時には外に出ており、帰って来るのも毎日20時過ぎであったが為、普通に出勤している人とは思いっきりすれ違いしているのであった。
数字は上々、本来ならまず注意される出勤体系ではあるが、誰1人として注意する人がいなかった、いや、出来なかったといっていいであろう。それだけの数字を挙げているのだから。
「ま、アイツは外で飛び回っている方がいいという事だな。まぁ、アイツを見習えとはいわないが、皆も頑張れよ」
「はい!」
加藤の突然といえるトレーナー辞退の事件が漸く過去の出来事になった瞬間であった。
■外の風景
「こんにちは~、今度こちらの地区の担当になりました加藤といいます。今日は御挨拶という事で訪問させて頂きまし──」
「うちは結構です!」
「あ、分かりました。自己紹介ビラをいれておきますので今後ともよろしくお願い致します」
加藤はがむしゃらに動いていた。アポが入っているから、といって会社を出て来てはいるが、そんな都合よくアポイントなんか入る程世の中甘いものではなかった。
あくまでも1件でも多く飛び込みをする為の口実に過ぎなかった。営業に戻る事になり、最初に思い付いたのが、飛び込み。思い付くも何も、最初から最後まで飛び込みオンリーでやってきた加藤にとって他に選択肢がなかったのが事実である。
(ふぅ、今日は中々あたりが厳しいなぁ。アポで出て来たという名目上、何の手ごたえもナシに帰る事は出来ないから……もうちょっと動くか)
いわば、加藤は自分からあえてプレッシャーをかけて次の一歩に繋げるという動きを自然としていたのである。
──営業は動いてナンボの世界。いつになっても有効なのは「自分の足をどれだけ動かしたか」を地で行っている訳だから、成果は自然とついてくる。
さらに契約をとったからといって足を止めずに、ただただ無心で動き回っていた訳だから気がつけば誰も文句のつけようのない数字となっていく。が、加藤はここ数ヶ月何件の数字をあげていたかは全く把握していなかった。
ただただ「営業が出来る」喜びだけで動いていたのである。
■営業所、夜
「おぅ、お疲れ。今日はどうだった?」
「いや……今日は成果出ませんでした。勝野リーダーはどうでした?」
「へへへ、俺は今日は2件だな」
「う……やりますなぁ。明日頑張ります」
「って、お前取り過ぎだって。全然追いつけね~じゃんかよ、俺」
加藤が営業に戻った後、ほぼ毎日の様に2人の報告会は続けられていた。 ──勝野が気を遣ってか、加藤の帰りを待ってくれている訳であるが。 このささやかな気遣いが加藤にとってはこの上なく嬉しく、支えになっていた。
もう上司・部下の関係でなくなり1年以上経過、それでも加藤にとっての上司は勝野であると。恐らく今後ずっとその関係は変わらない事であろう。
「来月は重大月かぁ。お前何かネタある?」
「いや~、全然ありませんよ。ホントピンチですよ」
「またまた~、また何か大ネタ隠してるんじゃないんか?」
「そんな事いう勝野リーダーだって、ネタ隠してるんじゃないです?」
「俺? いや~、ないねぇ。ま、ないもの同士、また賭けするか」
「ん~、いいですよ。ただ、賭けであまりいい思いした事ないんですよ……」
「気のせいだって、恐らく今回は俺が負けるよ。うわ~憂鬱だなぁ~」
実に微笑ましい会話が続く夜の営業所であった。
ふと勝野が話題を切り替える。
「加藤、お前保険の営業好きか?」
その問いに迷う事なく加藤が答える。
「はい! この仕事がやれてホント良かったと思ってます!」
心無しか、勝野のみならず、営業所がにっこり微笑んだ気がした。
(fin)
■あとがき
作者の生田保です。
ここまで読まれた方、お疲れさまでした。これを読んで下さった方は薄々と感じているかと思いますが、この作品は限り無くノンフィクション、自分の経験をかいつまんで書いたものです。
以下、保険営業をされている方達へ。
この物語にて皆に知って貰いたかった事、伝えたかった事はただ一つ。「営業は楽しいよ、面白いよ」という事です。振りかえって見ると、辛かったのは最初の数ヶ月。
その後以降、少なくとも営業という仕事においては何の不満もありませんでした。普段では絶対といっていい程出会う事も接点も持たないであろうという人達との接点も出来ますしね。
ちょくちょく質問される事あります。
「あなた、かなり成果あげてるよね。一体どんな話法とか使ってるのさ」と。
誤解されている方も多いかもしれませんが、この物語の主人公、加藤と同様、自分は何の話法も用いませんでした、というか元々口下手ですので、やろうとしても出来ませんでしたし。
では、どのようにして数字をあげてきたか? 非常に単純な答えでして「足を動かす事」のみを徹底してきました。ま、加藤と同じです。
人と人が仲良くなるのは、優れた話法とか何も必要ないですよね? それと同様。 ただひたすら「足を動かす」事ですね。後は、嫌われない事、と。 特別な事をする必要はないです。これはいつの時代も変わりありません。
あなたは、保険は好きですか?
人に笑顔を貰う事、好きですか?
日本語をしゃべる事、出来ますか?
これだけの事が当てはまれば、きっと大丈夫です。 明るい未来、きっと出会えますよ。
頑張って下さい。
少しでもこの物語にて皆様のお役にたてるきっかけになれたのなら、この上なく幸いです。
以下、読者の皆様へ。
この物語は実はまだ途中、これからが佳境へ突入するのですが、あえてそれは別著とします。何故分けるかは、次著を読んで頂ければきっと分かるでしょう。えぇ、かなり作風も変わりますし、打って変わってドヨヨーンとした内容も多いですし、ね。主人公「こんな業界、俺がぶっ壊してやる!」なんてなりますし笑
「ほぉ……この加藤が、闇落ち……? 興味深い……!」
と思って下さる方、是非別著も読んでみて下さいませ。それなりに楽しめるかとは思いますよ。
何はともあれ、今後ともよろしくお願い致します。