第3話 1ヶ月の成果……ゼロ

文字数 3,904文字

■なじみ活動

 飛び込み開始してから10日経過した。連休等もあり、実質的には2週間が経過したことになる。加藤の現在の仕事のミッションは──ただ黙々とアンケートを取る事。その結果、10日の間に実に140枚ものアンケートを取る事に成功していた。

(アンケートは取れる様になったけど、その後は一体どうするんだ……?)

そのように思うようになった矢先、上司の勝野より次の指令が。

「アンケートは……100枚超えたな。じゃ、取りあえずアンケートを取った先になじみツールでも配っておくか……!」

 なじみツール。それは会社のコンピューターにより打ち出す事が出来る「今日の運勢」や「姓名判断」等の紙の事である。

「取りあえずは……と。ま、全体運ものでも配っておけばいいかな」

 勝野の次の指令が出て、早速ツール作成に取りかかる。パソコン未経験の加藤にとって、ツールを出すというだけでも非常に大変な作業であった。しかもアンケート取得分全て……その数は140件。実にこの打ち出し作業だけで3時間を要した。 そして打ち出したツール全てに対応する名前を記入。

 加藤が全ての作業を終え営業所を出る時、時刻は14時を回っていた。

■発見

(さ~て、アンケート取った先にツール配るぞ……あれ?)
 
 早速1件目のツールを配ろうとした時、加藤はある事に気付いた。

(山田……さん? これ……どこの誰だっけ?)

 人間の記憶能力とはそんなに良いものではない。加藤も例に違わず、ツールの名前と顔が一致すると思われる家は実に3割程度しかなかった。 (まぁ3割というのは加藤自身の能力が人よりも劣るものと思われるが)

 ツールを配り始める。一度訪問した先でアンケートを書いてくれたところ。行けば思い出すであろう──という楽観的な思いは、1件目にて早くも崩れた。

「……どちらさん? うちは結構です」

──!

 そう、覚えていないのは自分だけではなく、相手も同じ事だったのである。 よく考えれば当然の事ではあるが、加藤は非常にダメージを受けた。

(うわ……今まで取ったアンケート、全て無駄になる……のか……?)

 10日間、それはもうガムシャラに動いていた。朝の朝礼が終わったら即飛び込み、帰ってくるのは20時過ぎ。毎日深夜になってからの帰宅。この苦労がきっと形になる日を信じ、動いてきた。

 それなのに……

 積み木は積み上げるのは非常に時間がかかり難しいものだが、崩すのは一瞬で非常に容易。加藤はちょっとした挫折を感じずにはいられなかった。

(まぁ……無駄になるかどうかは、全て配ってから考えれば……いいか)

 上司勝野によるスパルタといって過言ではない指導。例にあげるならば、昔のスポコン(巨人の星等)の様なスパルタ指導のように。朝から晩まで仕事漬け。人とは疲れ切った状態になると考える事すらしなくなる──まさしく加藤はその状態であり、幸か不幸か悲観的な事を考える前に取りあえず動いてそれから考えるというパターンが身体に染み付きかけていた。

 4件程、同じように「本当にアンケート、この人書いてくれたの?」という様な冷たい対応を経て、5件目。ようやくアンケートの成果(?)たるものが感じられる出来事が起きた。

「あぁ、こないだの人ね、今日は何の用? ふ~ん、自分の全体運か。ありがとね。じゃ」

 一見何でもない様なやりとりだが、加藤にとっては非常に嬉しく感じた。

(良かった……ちゃんと覚えている人もいるんだ)

 また、少しだけ前進した気がした。それだけで、またやり続けようという気力が湧いて来た。

 その日は結局、50件程度しか回る事が出来なかった。元々ツールを配りはじめたのが14時過ぎだった事、飛び込みと違い、1件1件地図と照らし合わせながら訪問する事による時間のロスが原因といえる。

 会社へ戻ったのは19時を過ぎてからだった。実は10日の間に、加藤は22時まで飛び込みをしていた事があった。 物事に熱中したら時間を忘れてしまうという性格もあり、加藤自身そんな時間になっているとは帰社した時に初めて気付いたのだが、営業所ではちょっとした騒ぎになっていた。

『加藤のヤツ、事故ったか……?』

 当時、加藤は携帯電話も持っておらず、連絡は加藤が会社に公衆電話から電話する以外取りようがなかった。加藤からの連絡がない為、何か起きたのでは? と、後少しで警察に連絡を、と考えていたとの事。

 そんな事になっているとはつゆ知らず、いつも通りに帰社した矢先、凄い剣幕にて怒られた。
まぁ、当然といえば当然の事なのだが……

 その時以来、加藤は19時になったら一度会社に帰ってくる事を義務付けられていた。

「ただいま戻りました」

「おぅ、お疲れ。どうだった? 今日は」

「いえ、実は──」

 今日の出来事を、勝野に話した。

「ははは、だろうな。なじみツールを配る事によって、見込みになるかどうかのチェックが出来るんだよ。今回配れた所はさらなる見込みになるし、配れなかった所はまぁ見込み薄だな」

 なる程、とやけに納得した。いわば、パチンコで例えると、チャッカーに球が入ってそこからリーチになるかならないか、と。アンケートはチャッカーに球が入る事で、なじみツールを配れた所は、リーチになった所だよ、と。そこからスーパーリーチに発展するかしないかでまた選別され、スーパーリーチで当たるかどうかという最終選別があるよ、と。

 間違った解釈かもしれないが、加藤はそのように解釈し、その後も変わる事はなかった。

「後、人を覚えていないというのは関連づけて覚えていないからだな。アンケート取った時に、一言でもメモしておけば覚えている事が多くなるぞ。例えば女性の人だったら、沢尻エリカ似の美人だった……とかなw」

 なる程、とまた納得した。同時に、相手に覚えてもらうには、ちょっとした工夫があればいいな、と考えた。 このアドバイスは、今後の加藤の活動の基礎になる事になる。

 その日より、加藤はアンケートを取った先に事細かく、どんな家だったか、何をしゃべったか、どのような人だったかを記録する様になった。

■1ヶ月の成果

 働くようになって、1ヶ月になろうとしていた。当然の事ながら、保険の仕事には締め切りがある。加藤がこの1ヶ月にてしてきた事、飛び込みしてアンケートを取る、そしてツールを配る。実にこれだけであった。

……当然、これだけで保険の契約が取れる程甘くはなく、締切日になっても保険契約に結びつくような話は1件もなかった。

 ゼロからのスタートで、第一基盤を使わずに契約を取る事。当然といえば当然なのだが、1ヶ月という期間では到底無理な事である、少なくとも入社1ヶ月目の大卒上がりには。

 同期入社の他の人達は、最初に取った1件にさらにプラス1件(知人からの契約との事を知ったのは後の事)、計2件を取っていた。

──ゼロ。

 当初から分かっていた事ではあるが、流石にこの結果により加藤は酷く劣等感に苛まれていた。

(俺は……落ちこぼれ……なのか……)

 締め切り日にて、他の人達は皆追い込みにて動き回っている。最後の説得に向かう、とでもいえば分かりやすいだろうか。

 加藤は、というと、そんな追い込み先等ある筈もなく、通常通りの飛び込み&ツール配りに勤しんでいた。自分だけ、取り残されている様な気を引きずったまま。


 夜。
 上司の勝野に誘われ、夕食にいく事になった。

(あ~ぁ、何か説教でもされるのかな……)

 憂鬱な気持ちにて、食事へいく。

「加藤……」

(うわ、来た……!)

 結果がゼロだという事、それは上司の勝野にとっての成績にもなる。リーダーである勝野の給料は、部下の契約件数によって決まっているといって過言ではないからだ。 成績について、同僚と引き合いに出されドヤされる──加藤は覚悟していた。

 が、次の言葉は加藤の予想とは全く違うモノであった。

「ごめん! 俺が悪かった!」

「──え?」

 非常に驚きである。
 意味が分からず、加藤は勝野が自分の財布からお金を盗んで遣ったのか? 等、突拍子のない事ばかり頭に浮かんだ。怒られると思っていたのに、謝られるとは……

 勝野が話を続ける。

「俺がもっと上手く指導出来ていればお前程頑張って契約が取れないなんて事はまずなかったのに……ホント申し訳ない。他の同僚達が保険取れてるのに、お前だけが取れない……辛いよな、劣等感に苛まれるよな。そんな思いをさせてしまってゴメンな。俺がもっと上手く指導出来ていれば──」

「何をおっしゃるんですか。リーダーが悪い事なんて何もないですよ。俺が基盤がゼロからスタートしたから取れなかっただけですよ。元々俺、口が上手い訳でもないですし、センスがある訳でもないですし。……来月はもっと動きますので、これからもよろしくお願いします!」

 もしかしたら、勝野の加藤をやる気にさせる策略話法だったかもしれない。部下を手懐ける手段の一つだったかもしれない。

 が、加藤にとっては策略だろうがなんだろうが、心に響いた言葉であり、今後続くエピソードの中でも非常に印象に残った出来事の一つとなった。

(リーダーだって、俺の成績により上からドヤされている筈なのに。俺を叱ってもおかしくない状態の筈なのに。俺を気遣ってくれている。リーダーに少しでも恩返しをしなくては、頑張らなくては……!)

 本来の保険の仕事の動機とは大きく掛け離れてはいるが、この日より、加藤は「俺を気遣ってくれる上司の為にも」という気持ちにて、よりいっそう仕事に励むようになった。

 加藤はいい上司に恵まれた──これだけは、間違いのない事実であろう。
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