第20話 保険に入っていなかったら……?

文字数 3,854文字

 時は重大月も後半に差し掛かったとある日。例の如く異様なまでの数字を取らないといけない──と言われている月。加藤は……自問自答していた。

(俺は……一体何をやっているのだろうか……)

 加藤は重要月の最中、本来ならば営業で走り周っていなければならない時期に、市役所の相談室へ来ていた。当然、保険を提示に来たという訳でもなく、いち市民として、相談室へ……加藤自身の事ではない事で足を運んでいたのである。


 遡る事、10日程前。加藤はとある見込み客と面談約束をしていたが──すっぽかされた。

(おいおい……何すっぽかして出かけてるんだよ、あのバカ女が!)

 加藤がバカ女呼ばわりするこの人物、田中という。思い返せばこの人物、1年ちょっとの付き合いになる、加藤の1つ年下の子である。記憶力の良い読者の方はこの田中という人物が過去に1度「新人候補」として加藤が会社の説明会に連れてきた元デパガの子として登場している事を覚えているかもしれない。

 結局彼女が入社してくる事はなかったが、加藤はその後も半月に1度のなじみ活動を継続。結果、同世代という事もあってかちょっとした友人関係というくらいの仲になっていた。そして今回、貯蓄系ではあるが検討したいとの事だったのだが……

 面談をすっぽかされた加藤は仕方なく帰社しようと歩き出した。その数分後、加藤の携帯電話が鳴った。田中である。

「もしもし……加藤……君?」

「今日約束してたじゃん……!」

少々苛立ちながら電話に応対する。

(チッ、そんな深刻そうな声出して、どんな言い訳する気なんだよ……このバカ女)

等と思っていたくらいである。

が、次に出て来た田中の言葉は想像のはるか斜め上のものであり、一瞬で怒りが静まる事となる。

「ちょっと相談なんだけど……お母さん、保険に入ってたって事にできないかな……?」

「──?! い、意味が分からないんだけど」

「実家のお母さん、脳卒中で倒れちゃって、今病院なの……そしたら、お母さん、健康保険なかったみたいで……医療費10割負担になるって言われて……保険入ってる事にできたら……無理かな……」

「そ、そうだったんだ……流石に保険に入ってたって事はできないけど、健康保険の件に関しては役所に相談すれば多分どうにかなると思うよ」

「そっか……ありがとね。明日、相談してみる……」

「どうなったか、教えてね」

(まぁ、こんな事もあるんだなぁ……確かお父さんがいないとか言っていたから、大変だろうな……それにしても健康保険がないなんて……脳卒中で入院、10割負担だったらいくらになるんだ? 大丈夫かな……どうにかなったかな……)

 ……という加藤の心配をよそに、その後1週間、田中からの連絡は一向になかった。

(おいおい……連絡くらいしてくれてもいいだろ……心配しているんだからさぁ……)

 痺れを切らした加藤は、半ば怒り気味に田中に電話をかけた。……10回程コールしたが、応答なし。11回目、切ろうとした直後、田中が電話に出た。

「あ、加藤君……ごめんね、連絡出来なくて……」

「で、お母さんはどうなったの?」(怒り口調で)

「……病院に運ばれた日に結局死んじゃって、葬式もう終わった所……」

「──?!」

無事退院、医療費の件も無事解決して単に連絡を忘れていただけ、と想像していた加藤は、斜め上の展開に思わず言葉に詰まる。そして、田中は更に続ける。

「私……どうしよう……妹達の面倒……見ていけるのかなぁ……」

「……今どこにいる? 家? 取りあえず今から行って話聞くわ」

 この時点で、もういち見込み客という会話からはかけ離れていたかもしれない。が、電話越しからでも分かる田中の今にも泣きだしそうでか細く深刻な声が、加藤を自然と突き動かしていた。1人の人間として、友人として……男として。何かしてあげないといけない、と……

 そして、加藤はその後、自身でも意味不明な程……暴走した。その一部始終が以下である。

────……

「お邪魔しま──ん? 荷造り? 引っ越しするの?」

「あ……うん……お母さん死んじゃったから、実家に戻って妹達と一緒に住む事になったからね……」

「そ、そっか……け、けど、同棲してる彼氏も一緒でしょ? これを機に結婚するんでしょ? こんな時にこういう事言っていいのか分かんないけど……良かったじゃん」

「……もういないけどね……事情話したら……ね」

「……は?」

「あ~、妹達の面倒、みていけるかな~……」

「……今、何歳くらいなの?」

「3人いるんだけど……中3と中2の妹2人と……10歳のダウン症の弟」

「──?! ま、まさか……面倒って、その子達の親代わり……? 22歳で……? それって……」

「あ~あ……私の人生、こんなものだよ……やっぱ去年結婚しておけば良かったかな~。けど……こんな状況になったら離婚されるのがオチか~……誰もこんな複雑な環境の女なんて……ね」

「……」

「お金……どうしよっかな~。今の仕事だと収入的にキツくなるかもだから……風俗……ソープしかないかな~。……普通の仕事、生活、したかったな~……けど、しょうがないっか……私しかいないし」

「……俺が……何とかするよ」

「……え?」

「どこまで力になれるか分からんけど……出来る限り、動いてみるから。今の状況から脱出できる様に……しないと」

「え? で、でも──」

「何か絶対、手があるって。……もし、何も手がなかったとしても……月50もあれば大丈夫なんだよね? 最悪、俺がどうにかするから」

「──?! そ、それって……」

「風俗やソープで働くよりは……マシでしょ? 普通の仕事、生活、したいんでしょ?」

「……ど、どうしてそこまで……してくれるの?」

「……いつものご飯のお礼。また……食べたいから……さ」

「ホ、ホントにいいの?」

「ま……これも運命ってヤツかもね。ま、何とかなるでしょ」

「あ、ありがと///」

「で……まずは引っ越し? 俺も手伝うよ。男手があった方がいいでしょ?」

「あ、ありがと///」

「いいよ、これくらい……頼りないかもしれないけど、俺に出来る事なら何でもするから」

「ありがと♡」

……────

 加藤の言動は、誰の目からも明らかに行き過ぎたものであったであろう。少なくとも保険営業の仕事からは大きく逸脱しているのは確かであろう。

 が、想像してみて欲しい。わずか22歳で15歳と14歳、それにダウン症の10歳の子達の世帯主になるという事を。まともに面倒をみようとしたら一体いくらかかるのか? その為の職は何があるだろうか? この年でどれだけ自己の人生を犠牲にしなくてはならないだろうか?

──そんな人を目の当りにして、何か力になりたい・してあげたい・救ってあげたいと思う事は、動く事は、そこまでおかしい事だろうか?

 同情? 使命感? 正義感? それ意外の何か?

 自身でも何か分からない「何か」の感情によって、加藤は突き動いていた。重大月の真っ最中、完全に仕事の事を忘れて、放棄して、1人だけの為に、全力で、死に物狂いで。この狂気ともいえる動きは、これ以上ないという程の成果となって現れる事となった。

────…………

「──という感じで……国の制度をフル活用すれば、どうとでもなる事が分かったよ。……仕送りしてた今までより、もしかしたらいい生活送れるかもね。役所の●●さん宛に連絡すれば、話は通してあるからスムーズに事は進むと思うよ」

「…………」

「これで……美幸さんも普通に暮らせるんじゃない? 収入的には働かなくてもいいくらいだと思うけど、何もしないで暇だったら、テキトーに昼間のパートでもすれば~って感じだね」

「わ、私……これから普通の生活して……いいの? 風俗とか……ソープいかなくて……いいの?」

「www いいに決まってるじゃん。更に言うなら、金銭的負担がなくなるなら、結婚して出ていったお姉さんの家で妹さん達、みて貰えるんじゃない? だとしたら……例の彼氏だって戻ってくるんじゃ──」

「それは……もういいよ」

「ま……何にせよ、どうにかなりそうで良かったじゃん」

「ホント……良かった~──」

 調査結果を伝えた後の田中の何とも言えない安堵の表情を見た時、何とか言って動いて良かったな、と思わずにはいられなかった。

 その後、様々な手続きの際に車を出したり付き添い等したりして、全ての手続きを終え、一段落ついた段階で、田中がボソっと言った言葉は、加藤の胸に深く刻まれる事となる。

「……日本っていい国だったんだね。保険に入っていなくても……何とかなるもんだね。知らないって……恐いね」

 この言葉、そして今回の出来事は今後の加藤の人生を大きく変える事になるのだが、それはもう少し先の話である。

「今回は……本当にアリガトね──たくみ君♡」

 この一言の為、動いていたのだなぁ、と加藤はこれ以上ない程、達成感・至福感に包まれていた。


……当然、会社はこの様な事情等認めてくれる筈もなく、営業部長等よりキツく叱られる事になったのは言うまでもない。……重大月の後半、殆ど仕事らしい仕事はせずに、結果的にいわば「ボランティア」活動をしていただけだったので……

 加藤はこの時はまだ気付いていないが、次の事を段々と意識していくようになる。

──保険とは本当に人を助ける事となるのであろうか、少なくとも日本において。

 決定的な疑問として浮上してくるのは、まだ先の話となるが。

 この出来事から、この営業物語は波乱万丈ものへと変化していく事となる。
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