退学者、落とされる 1

文字数 1,303文字

 背中の上に乗られているのに、離れろとも言わずにされるがままの少年は、身じろぎもしない。

 太陽はもう地表近くにまで移動したのだろう、周囲は夜と変わらないほどに暗く、木々の隙間から見える空も端の方に赤さが残るばかりで残りは夜の様相を呈している。
 人や馬車が通れるだけの整備がされた道の上とはいえ、周囲には一切の気配がない森の中。
 確認するまでもなくこの辺にいるのは2人だけだった。

 だからこの状況に言及できるのは本人しかいないのに、抵抗の様子も見せないまま。
 でもまぁいいや、とエメラルドは少年の背中に乗ったままで笑う。
「あの場所で貴方がどうやっても魔術士になれない。それは入学当時から確定してたことだわ。どうにかできるのは私しかいなかったのに、上級生たるこのエメちゃんは、関わることを規則で禁じられてたから尚更ね」
 返事はない。
 あの学園都市にある、魔術士になる前の生徒への接触制限を彼が知ってるかはわからない。
 気にせず話を続ける。
「一応筋を通して学園長と約束を交わして待ってたのにね。まさかの退学なんだっつーから、本当大人って嫌ねー」
 この点において、彼女としては、自分にしてはよく規則に従って耐えたものだとすら思っている。

 約束を違えたのは向こうだ。
 だから、結果として自分との縁が切れたとして、それは向こうの責である。

 現時点ではまだ縁が切れた自覚すら無いだろうが、この後戻らなければ近いうちに学園長も理解するだろう。エメラルド=リリアは自ら学園都市を去ったと。さよならの挨拶もしたのだから問題ない。
 寂しいとは思わなかった。
 それより今は目の前の、否、足元の少年である。
 魔術学園都市の数年間と今後の生活よりも、自分は目の前のこの少年を選んだのだ。他の誰にも導けない、出来損ないの皮を被ったこの特異で異常な可能性を。
「私はね。言った限りは、絶対にやり遂げるのが信条なの。だからね?」
 彼のためにと、ずっと用意していた魔術式がある。
 いつか会う機会があった時に使おうと思っていたそれを、エメラルドは脳内であっさり破棄した。

 本人を目の前にしたからこそわかる。
 そんなものでは、この子の絶望には届かない。それでは絶対に魔術士に至ることもない。

 前提となっていた甘い認識とともに捨てて、直ぐに「目の前の彼に合う」魔術式を作り直した。
「始めましょうか」
 乱暴かもしれない。恨まれるかもしれない。そんなことをする間も無く、彼は望んで命を落とすかもしれない。

 ただ、そうでもしなければどうしようもない位に、この子は拒絶している。
 そんな子に選択を迫るならば、その結果を背負う覚悟を持たなければならない。きっかけは頼まれたからだが、そこまで踏み込むからにはエメラルド自身の強い意志が必要ととなる。半端な覚悟でするべきじゃない。
 ほんの少し逡巡したけれど、結論は変わらず、彼女は口元だけで挑戦的に笑った。

(上等。根性比べ、してみようじゃない?)

 即興で作った魔術式は、用意していたそれよりも原始的で乱暴で単純なもの。
 だから詠唱もなくエメラルドは発動させることができた。

 声もなく深淵に落ちた少年を、ただ見守る。
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