代表首席は飛び出した 2

文字数 2,084文字

 エメラルドという少女を直轄で見るようになって2年。
 偶に、まるで何もかも見通すかのような発言をして、それが未来において出任せでなくなる場面を毎度見てきた。
 どういう論理か、はたまたどういう根拠かは未だ不明だが、彼女は時に未来を見通す。類稀な数々の才能に加え、所謂、先見の明とでも言うべき才能までが備わっている。レオロランはそれを否定する気は無かったが、今のこの発言は、これは、ただ先見というには余りにも異質だ。
 幾ら何でも、一切の関わりを持っていない相手まで見通すのは説明がつかない。
「その生徒に会ったことがあるのか?」
「ないわよ。だから何?」
「では、おかしいだろう。そのような……最初から知っていたかのような、答えは」
 そう言いながら。

 何とはわからないが、酷く嫌な予感がして不安が募る。

 胸倉が掴み上げられたままの体勢が不快という以上に、彼の脳内で警鐘が鳴っている。これ以上、この先では、取り返しのつかない何かが起こるような、そんな予感がしていた。いや、言っている途中からもう、崖を踏みはずしたような不安感で一瞬声が途切れた。
 説明は出来ない。長年の勘、とでも言うべき感覚。
 もうとっくに選択を間違ってしまったような予感……実感。
 それでもどうにか言葉を紡いだ彼に、エメラルドはふっと全ての怒りを消し去った。

 酷く、悲しげな顔で、彼を見て。

「そりゃそうよ。私は、知ってたもの」
 断言した。
 会ったことがないと言ったその口で。
 さっきまでの激しさが、水をかけられた火のように消えた様子で。
「あの子がここに来た時から、知ってた。そのままじゃどうやっても魔術士になれないことも知ってた」
 矛盾している。どうして。
 そう言いたいのに、エメラルドという少女を知っているから言えない。彼女は感情的に主張が矛盾するには、あまりに合理的過ぎる。ここまで言うからには、少なくとも彼女の中では矛盾はない。この子は、そういう子だ。
 二の句が継げない彼に、エメラルドは凪の海のような静けさのまま、言う。
「この学園都市じゃ、魔術士になれる前の子に同級生と教師以外の生徒や大人が関わるのは禁止って、規則あるから、守ってたんでしょうが」
 適当に見えて、規則なんて気にしない自由さを振りかざしてるようで、そんな細則の1つまで覚えている。
 これが、エメラルドという少女の異質だった。そして多くの教師たちが手を焼いた部分。

 彼女の言う規則は、かなり古くからあるものだ。形骸化されすぎて一般生徒の多くは忘れている可能性が高いもの。
 何故なら魔術士になれる前の期間というのは本来非常に短いのだ。素養さえあれば、普通に授業を受けるだけでいつの間にかなっている。ほぼ全員にとってはそういうものだから、その規則を気にする機会が無さ過ぎるせいである。

 もちろん無意味な規則ではない。

 魔術士にいつまでもなれなければ、いつかは退学という処置になる。
 退学になれば、都市に入ることすら二度と叶わない。それは学園内に残る側から見た場合、今生の別れにもなりかねないのだ。多感な少年少女にとってそれは浅からぬ傷になり得る。それに退学という処置に逆恨みなどした場合、後日に不穏要素となる可能性もある。そのような存在と、学園都市内の者が深く関わりを残すことは好ましくない。
 故に、学園内での地位が安定しない最初のうちは距離を置くようにというのがこの規則の主旨だ。

 意味があるから残っている規則である。
「それなのに、これじゃ、何のために2年も待ったかわかんないじゃないの」
 ぱっと彼女の手が、胸元を離れた。
 拘束がなくなって楽になったはずの胸元なのに、なぜかそれがひどく寒々しく、喪失感すら感じられる。
「エメラルド。さっきから何を言って」
 無意識に手を伸ばしていた。が、その手が彼女を掴むことは無かった。

 手が触れるより先、すっとエメラルドが身を引いたのだ。
 軽く、踊るような動きで数歩下がった少女は、くるっと身を翻してこちらに背を向けた。
 その動きでふわりと舞った金の髪に、不覚にも見入ってしまう。

 まるで舞台挨拶のような完璧さと非現実さで、あっという間に距離が離れていく。
「さようなら。お世話になりました」
 聞こえた声に、待て、と声をかけるより前、少女は走り出し。
 その姿が消えそうという漠然とした動揺が消える頃にはもう、もうどこにもいない。


 だがその時には、これが今生の別れになるとは考えてもいなかった。
 学園都市の生徒が卒業前に自らの意思で都市から去るというのは、それだけ想像もし得ない、ありえない選択肢だったから。
 しかもエメラルド=リリアはこの時点で全生徒の頂点である代表首席。
 たかがこんなことが、まさか本当の別離になるなど、レオロランが思いつかなかったのも無理はない。

 後日、何度もこの日のことを思い出して、どうして職務を投げ出してもその後を追わなかったのかレオロランは意味のない後悔にかられることになる。
 学園長としてもだが、一個人としての感情的な理由による後悔だ。

 あんな悲しい顔を最後に別れるなんて、と。
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