進む時間と動かない弟子

文字数 2,365文字

 街のあちこちから音が聞こえる。
 単なる喧騒ではない。明らかに誰かがかき鳴らしている旋律が、一箇所でなく複数の場所から聞こえてきている。一つ一つは大きくない音なので耳をふさぐほどではないし会話が出来ないほどでもないけれど、明らかに尋常でない様子にクリアは内心訝っていた。
 特に不快を感じているわけではないが、何が起こっているんだろう、程度は思う。
 それでも表情が一切変わっていない辺りが彼らしいが。
「あらまー賑やか」
 同行している師匠ことエメラルド=リリアの方は楽しそうな顔でそう呟いた。
 街の入り口からこれでは、このまま予定通り街の中に入ればおそらく更に騒々しいのだろう。
 単に買い物のためやって来た近くの街だが、今日買い物が出来るのかどうかは少し疑問が残る。
「今日はどうしたんでしょう」
 普段はとても静かな街だ。過去に数度買い物に来たことがあるから知っている。寒さの厳しい間だけと師匠が居を構えた前の住居よりはずっと近いけれどもまだ充分に人里離れた猟師小屋(持ち主には当然許可を取ったらしい)から一番近いこの街は、彼の知るあの街に少し似た雰囲気がある街だった。
 疑問を呈するというより独り言に合いの手を入れるようなクリアの言葉に、んーと小首を傾げた後、師匠はあぁ、と何かに納得したように頷いた。
「新年のお祝いみたいね」
 この翡翠色の目をした世にも美しい外見を持つ美しい女性は、時々こんな発言をする。
 直前には明らかに知らなかった様子なのに、直後に全部を知っているような。
 師匠ではあるが彼女のことにあまり興味がないクリアはその様子に対しては一度も何故と尋ねた事がない。
「この音が?」
「昔からの風習だそうよ。変わってるけど、まぁ変わってるだけだからいいんじゃない? この時期にこうやって街中で楽しく音楽を嗜むのは、この街の人にとって貴方の三択さんみたいなものよ」
「あぁ」
 ほんの少し前彼女に話した思い出を引用されれば、納得せざるを得ない。
 他の、よその誰かにとってはおかしい文化だろうが、それを持っている人間にとって大切であるなら、周りがどうこう言うべき話ではないから。成る程この街の人にとっての新年は音楽を鳴らすもの、らしい。
「音楽を鳴らして、悪いものを街から追い出して、良いものを招き入れる。そういうものだそうよ。決まった曲はないから街中で適当に好きな音楽を演奏するみたい」
 楽しそうね、と音の絶えない街を見ながらエメラルドは笑う。
 人の出入りが激しくない街なので、今この場所に自分たちのような訪問者はいない。
 初めて来た時は不審げに迎えられたクリアたちだったけれど、妙に他者の懐に入るのが上手いエメラルドのお陰で、現在では時々食料など生活用の資材を買い出しに来る度にいろんな店の店主や街の住人に声をかけられるようになっていた。
 エメラルド曰く、人から好かれておいて損はないわよ、だという。
 好かれる方法を知らないクリアにとっては、計画的に好かれる師匠の性質は恐ろしい。さすが、元・代表首席というだけでなく、学園都市の長にまで公私ともに可愛がられていたという女性だなぁとは思うけれど、自分もこうなりたいとは到底思えなかった。
 まず誰かに好かれる自分というのは想像できない。
「お店も全部開いてるみたいだし、予定通り買い物いきましょ」
 数歩前に進んで金の髪を揺らしながらクリアの方を振り返り、師匠は手招きする。
 この地点でその発言を保証するような事実はどこにもないような気がするが、エメラルド=リリアがこう言う時、その発言は必ず真だ。
 決して誠実な人じゃないから嘘もつくし虚偽も平気なようだが、こういう事で彼女は決して嘘をつかない。
 師匠が嘘をつくのはもっとこう……ずっと未来にそれを開示した時に面白い反応を得られそうな事なのだろう、とクリアはなんとなく思っている。はっきりした根拠はないが、知り合って師匠と弟子という関係になりしばらく一緒にいる間に感じた事なので、大きく間違っていることはないはずだ。
 時に超合理的な理由でつく嘘もあるようだが、それはどちらかといえば副次的な嘘のような気がする。
「演奏の邪魔にはならないですか?」
「大丈夫よ。楽しい演奏をちょっと止めてもらう程度だもの。この私がお願いして、嫌がる人がこの街にいるかしら?」
「……そうですね」
 相手によっては底知れない図々しさと自信溢れる台詞になるだろうに、彼女が言えば単なる事実の指摘にしかならないのが恐ろしい。
 ともすれば異常すぎて恐怖すら抱きかねないような美貌を持つのに、それを全く意にもとめないエメラルドは人の懐に入り込むのが本当にものすごく上手いのだ。きっとこの美貌が無くたって、この人は同じ発言をできるんだろうなと思うほどに。
 美しさなんていうのは彼女を語る上で表層に過ぎない。
「それにしても世界には面白い風習がいっぱいあるわねぇ」
 前を歩きながら師匠が言う。
 その言葉でクリアは自分の知る新年のそれを思い出した。
 あれもこの人が知れば同じように面白がるような気がする。
「……三択さんも、世界のどこかにあるのかな」
 一番近くの音が大きくなって来た中で、きっと拾われなさそうな声で乗せた疑問。探し当てたってそれで過去が変わるわけでも取り戻せるわけでもないけれど、心の片隅で1人ずっと大事にしていた思い出と繋がる何かがもしあるならば。
 いつか師匠とも離れどこにでも行けるようになった時、自分が向かう先はそれだけだろう。
 思い出のカケラが、当たり前に転がっている街があるなら、見てみたい。
 少なくとも魔法使いの文化でない系統のものなら、探しても大丈夫な筈だ。



「この世界にあるものなら、ね」
 弟子に答えた師匠の言葉は、高らかに響いた楽器の響きにかき消された。 
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