退学者、落とされる 2
文字数 1,836文字
突然深い海の底に投げ込まれたような、そんな状態だった。
自由に動けない。息も出来ない。そのままでいれば死に至るだけ。
ここにあるのは意識だけ。
自分の体は森の中にいるままだし、実際水中に放り出されたわけでもない。
だから息は出来ているけど、感覚的にはそう表現するのが限りなく近い。
そんな状態に陥ってもなお、妙に冷めたままの心でクリアは自分の状況を冷静に判断していた。
明らかに普通でないこの場所を、何度も見た覚えがある。ここまでなら来たこともある。潜在的に必ず恐怖を感じる世界の果て。魔術士ならば誰もが術を使う際にだけ、必要に迫られ訪問している深い場所。
深淵。
学園都市で読んだ魔術書の解説をそのまま使うなら。
深淵は、魔術士が魔術を使う上で接続をする意識の向こう、世界の軸、らしい。
主に呪文を詠唱中などの、術が発動する前に潜っている場所が此処だ。呪文は省略可能でも、此処に接続せずに魔術を使うことは絶対にありえない。魔術の効果の全部が、此処から命じられているためだ。
ここは世界の全部が繋がり、構成する要素を持っている。魔術はこの深淵でそれに干渉することによって世界へ結果を導き出す術なのだという。
魔術士の素養がありさえすれば来れる所。
ここから魔術を使うことをすれば、それだけで魔術士となる。
もちろん、未だ魔術士でない彼は何度訪れてもこの場所で術を形成するに至らず終わっている。
一度でも術が使えればもう魔術士になれるのに、何度放り込まれても、置かれた場所から動いたことすらなかった。
クリアはどうやっても、ここを動く気すら起きずに立ち竦んでしまうのだ。
ただ、恐怖に囚われてではない。
恐怖だけならば何度も訪れればほんの少しでも慣れて、ごく初歩の術を使う程度の移動が出来るようになるものらしい。如何な臆病者でも。だから学園の教師も慣れさせようと何度も彼を此処に入れたけれど、結果は何も変わらず仕舞い。
実際には、そんな感情的なものよりももっと根深い何かに阻まれる形で動けないのだった。
その感覚を表現する術を持たなかったので、クリアは殆ど誰にも伝えてない。
「いらっしゃい。と言っても、ここまでなら何度も来てるはずよね?」
声が届く。
さっきまで背中に乗っていた生徒首席のエメラルド。
成る程、彼女によって強引に深淵へ落とされたのかと理解した。普通魔術士未満の相手を、了解も得ずに深淵に落とすなんて暴挙は誰もしないもの。
だが、なんとなくこの人に文句を言っても意味がなさそうなのでクリアはそれよりも別の話をする。
「この方法は既に試されました」
流石にエメラルドのように突然では無かったものの、多くの教師が似たようなことをしたのは確かだ。
そしてそれで何も変わらなかったから、退学になっている。
伝えれば、向こうからはあっさりと肯定の返事が届く。
「そうね。ただ、あそこの教師どもじゃ、何でこの方法でもうまくいかなかったのかの理由すら知らないわ」
「貴方は知ってると?」
くすくす笑いを零しながら言う生徒首席に、意外に思いつつも尋ねてしまった。
もう何度も、その言葉を聞いた気がする。でもこの件を、予想ならまだしも、明確に知っているのはさすがにおかしいだろう、と思う。授業に同席していたわけでもないのに。
けれど相手は笑った気配を残したままで答えてくれる。
「さっき言ったでしょ? 私は、全部知ってるのよ」
まさか、と返すにはあまりに当然のように断言されて、何とも返す言葉が浮かばない。黙ってしまったクリアに対し、彼女はまた話し出す。
「この方法でどうにかなるのは、軽度の精霊親和までよ。少ししか好かれてなければ精霊からの抵抗も少しだからね。深淵で感じる恐怖からくる動揺の方が勝って、早く出ようとして術を使うに至るか、恐怖や抵抗に慣れて術を使えるようになるわ」
「精霊親和?」
耳慣れない言葉だった。
魔術学園都市の魔術書の多くを読んだ記憶があるが、その中のどこにもそんな単語は無かったように思う。クリアが問い返すと、どこか嬉しそうにエメラルドが教えてくれた。
「魔術士が精霊に好かれている事よ。本来精霊たちには総じて嫌われてる魔術士だけど、稀に生まれつきとかの理由で、魔術士の素養があっても精霊から好かれてるのがいるのよ」
「それは、ありえない」
自分を好きになる存在なんて、いる筈がない。
思わず即答すると、姿の見えない上級生は直ぐに答えず、ため息で返事をしてくれた。
自由に動けない。息も出来ない。そのままでいれば死に至るだけ。
ここにあるのは意識だけ。
自分の体は森の中にいるままだし、実際水中に放り出されたわけでもない。
だから息は出来ているけど、感覚的にはそう表現するのが限りなく近い。
そんな状態に陥ってもなお、妙に冷めたままの心でクリアは自分の状況を冷静に判断していた。
明らかに普通でないこの場所を、何度も見た覚えがある。ここまでなら来たこともある。潜在的に必ず恐怖を感じる世界の果て。魔術士ならば誰もが術を使う際にだけ、必要に迫られ訪問している深い場所。
深淵。
学園都市で読んだ魔術書の解説をそのまま使うなら。
深淵は、魔術士が魔術を使う上で接続をする意識の向こう、世界の軸、らしい。
主に呪文を詠唱中などの、術が発動する前に潜っている場所が此処だ。呪文は省略可能でも、此処に接続せずに魔術を使うことは絶対にありえない。魔術の効果の全部が、此処から命じられているためだ。
ここは世界の全部が繋がり、構成する要素を持っている。魔術はこの深淵でそれに干渉することによって世界へ結果を導き出す術なのだという。
魔術士の素養がありさえすれば来れる所。
ここから魔術を使うことをすれば、それだけで魔術士となる。
もちろん、未だ魔術士でない彼は何度訪れてもこの場所で術を形成するに至らず終わっている。
一度でも術が使えればもう魔術士になれるのに、何度放り込まれても、置かれた場所から動いたことすらなかった。
クリアはどうやっても、ここを動く気すら起きずに立ち竦んでしまうのだ。
ただ、恐怖に囚われてではない。
恐怖だけならば何度も訪れればほんの少しでも慣れて、ごく初歩の術を使う程度の移動が出来るようになるものらしい。如何な臆病者でも。だから学園の教師も慣れさせようと何度も彼を此処に入れたけれど、結果は何も変わらず仕舞い。
実際には、そんな感情的なものよりももっと根深い何かに阻まれる形で動けないのだった。
その感覚を表現する術を持たなかったので、クリアは殆ど誰にも伝えてない。
「いらっしゃい。と言っても、ここまでなら何度も来てるはずよね?」
声が届く。
さっきまで背中に乗っていた生徒首席のエメラルド。
成る程、彼女によって強引に深淵へ落とされたのかと理解した。普通魔術士未満の相手を、了解も得ずに深淵に落とすなんて暴挙は誰もしないもの。
だが、なんとなくこの人に文句を言っても意味がなさそうなのでクリアはそれよりも別の話をする。
「この方法は既に試されました」
流石にエメラルドのように突然では無かったものの、多くの教師が似たようなことをしたのは確かだ。
そしてそれで何も変わらなかったから、退学になっている。
伝えれば、向こうからはあっさりと肯定の返事が届く。
「そうね。ただ、あそこの教師どもじゃ、何でこの方法でもうまくいかなかったのかの理由すら知らないわ」
「貴方は知ってると?」
くすくす笑いを零しながら言う生徒首席に、意外に思いつつも尋ねてしまった。
もう何度も、その言葉を聞いた気がする。でもこの件を、予想ならまだしも、明確に知っているのはさすがにおかしいだろう、と思う。授業に同席していたわけでもないのに。
けれど相手は笑った気配を残したままで答えてくれる。
「さっき言ったでしょ? 私は、全部知ってるのよ」
まさか、と返すにはあまりに当然のように断言されて、何とも返す言葉が浮かばない。黙ってしまったクリアに対し、彼女はまた話し出す。
「この方法でどうにかなるのは、軽度の精霊親和までよ。少ししか好かれてなければ精霊からの抵抗も少しだからね。深淵で感じる恐怖からくる動揺の方が勝って、早く出ようとして術を使うに至るか、恐怖や抵抗に慣れて術を使えるようになるわ」
「精霊親和?」
耳慣れない言葉だった。
魔術学園都市の魔術書の多くを読んだ記憶があるが、その中のどこにもそんな単語は無かったように思う。クリアが問い返すと、どこか嬉しそうにエメラルドが教えてくれた。
「魔術士が精霊に好かれている事よ。本来精霊たちには総じて嫌われてる魔術士だけど、稀に生まれつきとかの理由で、魔術士の素養があっても精霊から好かれてるのがいるのよ」
「それは、ありえない」
自分を好きになる存在なんて、いる筈がない。
思わず即答すると、姿の見えない上級生は直ぐに答えず、ため息で返事をしてくれた。