退学者は揺蕩う 3

文字数 1,347文字

 深淵に閉じ込め数時間。
 森はすっかり暗くなり、木々の隙間の向こうに見える空には星が瞬く。
 少年は戻ってくる気配がない。
「本気で死にたいのかしらね」
 深淵に声を届けずにエメラルドは独り呟いた。地面に座るのは疲れるので倒れたままの少年の体の上に座っているが、確認するまでもなくその息が細くなっていっているのが分かる。

 強すぎる精霊親和のせいで身動きが取れない、それは事実だ。

 だが、裏を返せば、身動きの取れなさはそのまま精霊からの愛着が強すぎるということでもあり、精霊は強い愛着を持つ相手の真の希望に関しては最大限に譲歩する、甘い存在でもある。要は好きであるほどに、魔術的な行為が嫌だということを向こうも強く主張してくるが、こっちからも強く主張すれば最終的に折れてくれるのは向こう。
 結局、好きであるからこそ相手の希望を呑んでしまうのも精霊なのだ。
 じゃあ最初からそうしてくれと思われそうだが、そこは人間ではないので精霊なりの基準でそうしているようである。そんな精霊の行為自体を彼女はどうこう言う気はない。

 ただ、確実に彼らは、最終的には譲歩すると知っている。
 特に、命がかかったような場面なら。
 好きな相手の安易な喪失を望まない精霊は、そうならないよう最大限の譲歩や助力をしてくれる。存在が永続する精霊と違い、人の子は死んでしまえばそこまでだと彼らは理解しているから。
 だから、失われないように彼らなりに手を貸してくれる。

 だがそれは、本人が死を望んでないときに限る。

 人とは異なる感性を持つ彼らは、仮に本人が本気で心の底から死を望むならば、自分たちの希望を押し殺してでもそれを叶えてくれようとする。死に至ろうとする相手にも望んで手を貸してしまう。
 人間的に見れば非常におかしな考え方にも思えるが、そういうものだ。

 彼女はクリアが魔術を使わない限り深淵を出られないようにした。例え結果的に死のうが、解除する気は無い。
 クリアはそれをもう知っている。
 クリアに執着している精霊の方は、言うまでもない。
 だからもしも彼が本気で死にたく無い、どうにかして欲しいと思ったなら、その瞬間にも彼は深淵で一切の拘束感が失われ、今までが嘘のように動けるようになっている筈なのだ。むしろあの少年が魔術を使うにあたっては、何も知らずとも精霊の方がその手を引いてくれるようになる。
 万が一、当人が使うはずの初歩魔術の経路をど忘れしていようが、クリアの目の前には勝手に正解の道筋が見えるだろう。

 彼は、そういうものなのだ。

 だがもし、どこまでも本気で死ぬことを望んでいたら。生きることを望んでなかったら。
 精霊は、その死の過程に手を貸すのだろう。
 決して拘束は解かず、深淵で魔力を消耗し死にゆく少年を見送るのだ。

 そして今まだ深淵から戻ってこないということは、本人がどうするか迷って決めかねているか……もう終わる覚悟を決めてしまったかの、どちらかで。
「馬鹿じゃないかしら」
 クリアの金の髪をぐりぐりと撫でながら、エメラルドはまた呟いた。
 それが戻ってこない少年に向けられているのか、それともそこまでわかっていても決して妥協する気のない(この後は殺人犯になりそうな)自分に向けられているのか、彼女自身にもわからなかった。
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