代表首席は飛び出した 3

文字数 1,983文字

 決めてしまえばもう、時間との勝負だった。
 家に帰って身支度をした。
 元から、いつでも離れられるようにという意識を持ったまま生活をしていたから自室に物は少なかったし、予想以上に早く身支度を終えて家を出ることができた。何年も暮らしておきながら特別に挨拶をする友人もいないことは、喜ばしいのか嘆くべきなのか。
 生徒代表首席なんてものになった辺りから、特に遠巻きにされるようになって。挨拶くらいなら交わしても、普通に雑談するような相手なんていなかった。
 悪目立ち、というやつだ。かといってそんな状況に嘆いて周囲に媚びる性格でもなかったので、余計に孤立は深まった。
 虐められた記憶はないが、特別素敵な思い出もない。

 部屋を出る前に学園都市の生活を軽く振り返り、彼女はそれでも断言する。
「まぁ、いっか」

 エメラルドの先祖は、元から定住の地を持たない民だったと聞き及んでいる。
 その血が流れているせいか、これから二度と戻ってこない、行き先もわからないほうへ向かうのだと思っても、自分でも驚くほど何も不安に思わなかった。

 少なくともこの世界の中でなら、どこに行こうが不安に思う日は来ないのかもしれない。
 自分がそういう生き物だと、彼女は知っている。

 この先だって、思い出して懐かしくなることくらいはあるだろうが、戻りたいと縋りたくなるような思い出など出来る日は来ないのだろう。



 そのまま家に背を向けて、学園都市唯一の出入り口である門に真っ直ぐ向かい、出立手続きをする。
 旅立ちのためのものを買う場所はない。そういう都市だ。
 彼女を含め内部の全員、この都市に監禁されている訳ではないから、内部の魔術士にとっては最初から出入り自由な都市である。それなのに休日ですら中から出る者が少ないのは、外に比べると圧倒的に居心地が良いためだ。長く魔術士だけのために存在した都市というだけある。

 あんな別れ方をしたから、もしも万が一学園長から出国禁止の命令でも出てれば別だったが、それは余程の理由がなければ使えない手段である。どこかに行くかもしれない己の生徒を引き留めるため、なんて微妙な事由で発令は無理だろう。
 そもそもあの学園長の場合、現段階でここまで予測できてるとも思えない。
 明日辺り、顔を出さない彼女の様子を誰かに見に行かせて不在に気づき、そこで初めて出入記録を確認し、出立に気づいて慌てそうである。
 それですら、戻ってくるだろうと数日様子見をしそうだ。
 良い意味でも悪い意味でも大人。彼女にとって学園長はそういう評価だった。

 だから恐らく今なら何もないだろうと踏んだ通り、エメラルドの出立の手続きは事務的に終了した。
「あの、今日か昨日、クリアって子も出てってますよね」
「あぁ。あの子はその……退学、だけど」
 受付の女性に問いかけると、相手はちょっと気まずそうな顔をして、それでも教えてくれる。
 10年規模で見たって滅多に出ない退学者の手続きだったから、どうやらまだ記憶に新しいらしい。
 丁度いいわと彼女は続けて問う。
「それって、どんな子でした?」
「えーっと、貴方よりちょっと色が濃い感じのふわっとした金髪で、同じ色っぽい目をした、男の子よ。綺麗な顔してるけど、すごく無表情な」
 問いかけに訝しむこともなく教えてくれるのは、こちらが興味本位で問いかけてると思っているからなのだろう。
 実際、学園都市で珍しい退学者がどんな子だったか、その女性はエメラルドの他にも誰かに聞かれたのかもしれない。
 簡単に礼を言って、門を後にした。



 都市の周囲は高い壁に囲まれ、外に出ればすぐシャリーゼを出る訳ではないものの、平野が広がる。
 離れた場所には、森や他の都市の壁が見えた。
 周囲には同じような特定の能力を持つ人間しか入れない学園都市しかなく、シャリーゼ国内には普通の町や村すらない。もちろん普通の退学者は魔術学園都市以外の都市に入る権利や資格はないので、どこかに住むにせよ食事をするにせよ職を探すにせよ、身を落ち着かせるにはまず国外に出なければならない。
 都市は多いが、1つ1つは最低限の大きさしかない。それらを抱えるシャリーゼそのものはそれほど大きい国ではないから、適当に道沿いを数日歩けば国境を越えられる。

 しかし学園都市の外、どの方向に退学生である彼が向かったのかなんて情報を彼女は持ってない。
 行くあてがあるのかすら知らない。

 だから、追いかけるにも姿の見えない今からでは方向を定める事すら不可能だ……普通なら。
「さて、どっちに行った?」
 ふいっと空を見上げ、彼女はすっと指先を伸ばす。
 そこに絡みつく風に微笑んで、直ぐに日が落ちる方を向いた。
「あっちね? この距離で今からなら、走ったら追いつきそうね」
 そう言って、直ぐに走り始めたその顔に、数年暮らした場所への哀愁などは残っていなかった。
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