みんな元気です。
文字数 6,429文字
ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド
New York Manhattan Upper West Side
世界一の都市に聳 える高層ビルの足下で、騒動を繰り広げる一団の姿が見られる。ビル南玄関を守るドアマンと清掃員トミ-が、見るからに頼り無い印象を持つ若い男と、言い争いをしている場面である。ビル1階ロビーからは警備員までもが飛び出して来る。そこにトミーの仕事仲間も参入し、事態を更に複雑なものとしていた。
「だから何度も言っているように、僕はこのビル上層階に住むマギー部長専属の秘書なんです。部長を迎えに来たんです。ロビーで待たせていただきます。ビルの中に入れて下さい」
スキニ-仕様のピンストライプスーツに高級ブランドのピンクネクタイ、白いステンカラーコートの衿 を立てて着る若いジェミニの姿である。
「何度も申し上げていますが… 貴方には、マギー様から面会をお受けするとの言付けはいただいておりません。ですから、私どもとしては貴方をビルに入れる事は出来ないのです」
威厳 のある顔立ちと屈強な肉体を持つドアマンは頑 として譲らない。
「最近はストカーまがいの人間も多いと聞く。あんた大丈夫か? まさか常習で、ポリスマンの世話になんかなったりしていないだろうな!?」
ビル清掃作業員のトミ-が口汚い言葉を吐く。
「何を失礼な! 僕はそんな人間じゃありませんよ!」
そう言いながらも、若いジェミニの脇からは冷汗が流れた。ひと月前の、あの苦い経験を思い出したのだ。
「先程から僕のビジネスカードを提示 しているじゃないですか。僕の身分の証明です。ニューヨークマンハッタンに自社ビルを所有し、そこに本社を構える世界的規模の総合商社、ライズ ゴールド ムーン コーポレーションの秘書室副主任、マギー部長の第一秘書、ジェミニ グラントと申します。お願いです。僕を中に入れて下さい」
ジェミニはしつこく懇願 する。
「なりません。失礼ですが、このビジネスカードも偽造の可能性があります」
ドアマンはジェミニの申し出を撥 ね付ける。
「それではマギー部長に連絡を入れて確認して下さい。部長専属の第一秘書である僕がビルの玄関に訪れていると… そうすれば部長は僕をロビーにて待つようにと話してくれる筈です」
ジェミニがドアマンに再度懇願をする。
「それは出来ません。正体も定かではない人間が来る度に、このビルに住まわれている高貴な方々のお宅に確認の連絡を差し上げるなど、私にはそのような権限はないのです」
ドアマンが威厳ある言葉遣いで応えた。
「だからさっきから言っているだろう。あんたが本物のライズ ゴールド ムーン社の社員で、マギーさん専属の第一秘書であるなら、自分のスマートフォンを使いマギーさんに連絡したらどうかと」
ビルの清掃作業員トミ-が口を開く。
「ですから… 現在、僕のスマートフォンがマギー部長から着信の拒否をされている状態なのだと、何度も説明しているじゃないですか。だから頼 んでいるんです。ビル ロビーの通話回線から、部長に直接連絡をさせていただきたいのです」
「ほら、やっぱりそうだ。こいつはマギーさんに付きまとうストーカー野郎だ。立派なビジネスカードまで偽造して。さあ、警備員に連れ出してもらいな、それともポリスマンにお出ましを願うとするかい?」
清掃員トミ-が、ビルの警備員を手招く。
トミーの言動を前に、若いジェミニはげんなりと空を仰いだ…
ひと月前の夜、街角で偶然見掛けたマギー部長の後を追い、高級紳士服のブティックに飛び込んだ。ボブさんとの語 らいの後、俄 に沸き上がった自信を胸に、部長を食事に誘った。
走り去るタクシーを自転車で追い掛けたり、追いついたタクシー後部座席の窓を叩いたり、自分でも呆 れるような行動をしてしまい… それ以来、部長は僕を避けるようになってしまった。
誰が辞令を出したのか? それは解らないけれど… 僕は、つい昨日までの一カ月間を、アトランティックオーシャン バミューダ島に建つ資料倉庫の整理名目に、遠方への出張を命じられていたのだ。
バミューダ島では倉庫の資料整理とは名ばかりで、一日の大半は体力を持て余したイザベル会長のお世話を命じられる。会長が新しく購入した排気量250ccのスクーターのお供にと、僕には日本製90ccのスクーターが宛てがわれた。二人で朝から晩までツーリングをして、会長の大好きな海釣りの後には、新鮮な生魚の御相伴 にもあずかっていた。
「いいかいジェミニ。このスクーターは歴代モデルの中では最大排気量を誇るブラックシップモデルの最高峰だ。この流線形が美しいだろう。バイクのメーター表示は160km/時速。私はいずれこのマシーンでマンハッタンに乗り込むよ!」
その会長のフレーズを何度聞かされた事か。
会長は御満悦の体 で、本当に嬉しそうにスクーターを楽しんでいた。
僕はと言えば、ニューヨーク ライズ ゴールド ムーン本社で何時僕のデスクが片付けられるのか⁉ そればかりを気にしていて、満足に会長の御供 が努まったのかどうか? それさえも定かではない。
「いいかいジェミニ! 人生には時期があるのさ。その時期さえ間違わなければ、お前は上手に世間を渡って行ける筈だよ!」
会長は、顔に似合わぬ優しい言葉で僕を慰めてくれた。
この慰めの言葉は、僕の何に対してのいたわりなのか? きっと僕は、既に会社のリストラ組に入れられているのだと想像をした。
そして昨日やっと辞令が下り、僕はニューヨークに戻って来た。
(会社に行く前にマギー部長に会って、もう一度謝りたい)
僕はその一心で、部長の住むドアマン付き高級ビルを尋ねたのだ。
「今直ぐにここから立ち去れば、今回はポリスマンは呼ばない。さあどうする?」
ビルを守る警備員の厳しい言葉である。
若いジェミニは泣きたくなる気持ちを必死に堪 えていた。
そこにブラックシップ最高峰モデルのスクーターに乗った女性が颯爽 と登場する。それは、アトランティックオーシャン バミューダ島からスクーターごとニューヨークに空輸されたばかりの大魔女イザベルの姿であった。
イザベルはスクーターに乗ったまま、ジェミニと警備員との間に割って入る。
「何だいお前達は!? 一人の男に多勢 に無勢 で! この若いジェミニに代わって、私がお前たちの相手になってやろうか?」
真っ赤なライダースーツを着た大柄な女性ライダー。稲妻がペイントされた黒のヘルメットを脱ぎ去ると、イザベルは大きな声で啖呵 を切った。
「会長!!」
ジェミニの瞳からは涙が零 れる。
きらびやかな真っ赤なライダースーツ、そしてブラックシップモデル最高峰のスクーターが、何ともカッコよく目立っていた。
ドアマン達は突然現れた老婆の容姿に度肝を抜かれた。老婆は見事にガタイもデカいのだが、メットを脱いで見せた顔が更にドデカいのだ。
しかし何とか気を取り直した警備員が老婆に口答えをする。
「この男はストーカー行為をする者です!」
ビルの警備員はジェミニをストーカーと決めつけていた。
「何て言ったんだい? お前はうちの可愛い坊やをストーカーと決めつけ侮辱するんだね? 間違いだったら唯じゃ置かないよ!」
イザベルは警備員に、そう言って凄んでみせた。
「間違いではありません。この若者は偽のビジネスカードを作製し、当ビルに住まわれている美しく高貴な方の部屋に上がり込もうと目論んでいたのです」
警備員は、ジェミニがドアマンに渡したビジネスカードを老婆イザベルに手渡す。
「フウ-ン、それで… ジェミニをポリスに突き出そうって言うのかい?」
ジェミニが着るピンストライプスーツの胸ポケットに、警備員から渡されたビジネスカードを差し込みながら、イザベルは尋ねる。
「即座に立ち去れば今回は特別に…」
そう言いかける警備員に向かい。
「馬鹿言ってるんじゃないよ! ジェミニはマギーに会いに来たんだろう!? この男はライズ ゴールド ムーン社秘書室副主任、マギー専属の第一秘書、正真正銘のジェミニ・グラントだ!」
イザベルは警備員の話を遮 り大声を上げる。
繰り広げられる騒動を聞き付けたビルの支配人が、慌てて現場に駆け付けて来た。
「婆さんもグルなのか?」
警備員がイザベルに口汚い言葉を放つのを、ビルの支配人は自身の手袋を警備員の口に無理矢理ねじ込む形 で中断させる。
「イザベル様、申し訳ありません。この者達の非礼をお許しください」
ビルの支配人は寒空にもかかわらず汗をかきながらイザベルに謝罪の言葉を並べる。
「支配人。どなたなのですか?」
口に入れられた手袋を吐き出し噎 せ返る警備員の隣で、ドアマンが支配人に尋ねる。
「このビルのオーナー、イザベル様にあらせられます。お前達、失礼があったのなら即座にお詫びさせていただきなさい!」
支配人は物凄い形相 をして、ドアマンや清掃作業員トミーを睨 み付ける。
「まあいいさ。皆でビルの居住者を守ってくれる、その気持ちはありがたいものだよ。それよりもお前達、このジェミニのことを良く覚えておいておくれ。ストーカーだなんて、二度と言わないでおくれよ!」
イザベルは周囲に笑顔を向けた。
「ジェミニ。お前の自宅に90ccのスクーターを届けておいた。明日はツーリングに付き合いな!」
「会長!!」
ジェミニは真っ赤なライダースーツを着たイザベルに抱き着いて、感謝の意を示した。
「あんたもバリバリ働いて、安アパートから早くこのビルに引っ越しておいで!」
老婆はジェミニを激励 する。
その時、ビル南玄関の自動ドアが開き、出勤前のマギーが姿を現わす。光沢感のあるコンパクトラインのダウンコートを着て、リッチな茶系のファーをキラリとしたブローチで留めた姿で、マギーはエレガンスに現れた。
「あら、お母様。こんなに朝早くにどうしたの? しかもジェミニまで一緒に?」
マギーは玄関前の人集 りと、その中心に居座るイザベルの姿を見つけて困惑 をする。
「何でもないよ。それよりジェミニは今日から元の所属に戻しておいたよ。せいぜい可愛がってあげなよ!」
イザベルはそう言うと、大きな頭に稲妻がペイントされた黒のヘルメットを装着して立ち去って行った。
「ジェミニ様。誠に失礼を致しました」
若いジェミニに向かい、ビルの支配人とドアマンが交互に頭を下げる。
「いいえ、良いのです。解かってもらえて僕は嬉しいです」
急に敬語で呼ばれて戸惑うジェミニを横目に、マギーがその場立ち去る。
「もういいんですよ!」
ジェミニは二人にそう話すと、歩き去るマギーの後を追い掛けて行く。
「部長、本当に反省しています。僕を許して欲しいんです」
背中を向け歩き続けるマギーに、ジェミニは懇願した。
「ジェミニ。私はまだ貴方を許した訳ではないのよ!」
颯爽と街角を歩き続けるマギーが口を開いた。
「わかっています。だけど、お願いです。許して下さい」
「ジェミニ、先ず私から2mは離れてよね。それと私のプライベートの詮索 は二度としない事!」
「はい。必ず守ります!」
若いジェミニは前を行くマギーの背中から少し距離をとる。
「それじゃあ。ほんの少しだけ許すわ!」
マギーはそう言うと、肩に下げたスイートカラーのラージバックを開き、中から硬性プラスチックのトレイを取り出す。
そしてそれをジェミニに手渡した。
「部長。これは…」
「インフォメーションデスクに詰めるキャサリンからもらったの。トレイに開いた穴の部分にエスプレッソコーヒーの容器を入れて。その隣には苺の入った紙袋とアイスクリームを並べて置くのよ」
「これからフルーツショップとアイスクリーム店、コーヒーショップに寄って行くんですね。喜んでお供します!」
ジェミニはマギーから渡されたプラスチックのトレイを、嬉しそうに抱きしめた。
その頃、マギーが毎朝通うフルーツショップの店主ボブも、美しいマギーとの再会を楽しみにしていた。
「おはようマギー。はい、いつもの苺、用意しておいたよ。ああっ、眼が眩みそうだ。君は今日も一段と綺麗だね!」
店主ボブはそう言うと、紙袋に入れた苺をマギーに差出した。
「ありがとう、ボブ。貴方何時もお上手ね!」
マギーはボブから差し出された苺を受け取ると、後ろを付いて来るジェミニにそれを手渡す。
「ええっ、ボブさん。このフルーツショップ、ボブさんのお店ですか? ボブさんの女神って、マギー部長の事だったんですか?」
ジェミニがボブの姿を見て驚きの声を上げる。
「ジェッ、ジェミニ。馬鹿、お前、声がでかいよ!! お前こそ何でここにいるんだ? しかもお前、一か月も俺に何の連絡もよこさないで!」
マギーの後ろから突然現れたジェミニの姿を見て、ボブも又動揺する。
「出張に出されていたんです。だけど信じられない!?」
「何が信じられないだ? お前こそ、『急に豹変して年下の部下に冷たく当たる』 お前の上司って、まさかマギーさんの事なのかよ!?」
「違います、違います。ボブさん、やめてください!! 部長に聞こえるじゃないですか!!」
ジェミニは慌ててボブの口を塞いだ。
「まさかボブさんと僕の理想が同じレベルだなんて… 信じたくありません」
「俺だって信じられねえよ!! だけど俺の直感は適中するんだよ… だから言ったろう!? 俺達の女神の、その特徴が正に瓜二つだと。しかし又、なんて事だ…」
ボブは両手を広げ天を仰いだ。
そんな二人のやり取りにはまるで関心が無いマギーは、ボブに苺の代金を支払うと今度は隣のアイスクリーム店へと入って行った。
「クッキー&クリーム。それをバインドで二つ」
これも毎朝必ず購入する。
そして最後に、持ち帰り用の容器に入れられたエスプレッソコーヒーを求めて、有名コーヒーチェーン店に立ち寄るのだ。
全ての買物を済ませたマギーの前に立ち塞がる二人組の男がいる。ダークグレイのフォーマルなスーツとコートに身を包んだ国防総省から遣わされた男達である。
「マギーさん。何とかジャック教授の行方 、私らに教えて頂けませんでしようか?」
二人組の男がマギーに懇願をする。
「貴方達、又来たのね! 何度聞かれても知らないものは教えられない。もう何度も言わせないでよ!」
マギーが国防総省から遣わされた男二人を冷たく突き放す。
二人は以前とは打って代わって、哀れな程の低姿勢で、毎朝マギーの下に伺いを立てにやって来るのだ。
「二人とも、きっともう首ね!」
魅惑のマギーの唇から飛び出た酷い言葉に、国防総省から遣わされた男達の目には涙さえ浮かんでいた。
ニューヨーク市街で起こされる朝の騒がしい出来事、その風景を眺め見る美しい少年と少女がいる。二人はフルーツパーラーの二階に席を取り、遅い朝食を楽しんでいた。
大きな瞳の上ギリギリで揃えられたマッシュバング、少女の細い首元には栗色の柔らかいカールが取り巻いていた。コークとホットサンドで朝食を摂る目許の涼しい少年の隣で、少女は美味しそうにフルーツを食べている。
「メロン、キウイ、苺に洋梨、パイナップル、マンゴー… ジャック、私パイナップルを食べると舌が痛くなるの、ダカラこれは貴方が食べてね!」
黒のモノトーンで統一された二ットワンピースをシックに着こなす少女が、少年の唇にスライスされたパイナップルを運んだ。
「アクエリアス。世界って素晴らしいね!」
アーガイルニットのベストを着た少年の唇から、自然に言葉がこぼれる。
「ええ、ジャック。世界って素晴らしいわ!! 16歳のからだに成った貴方と共に朝食をいただけるだなんて、私とても幸せよ!!」
少女は満面の笑みを浮かべる。
「これから何をしようか?」
「そうねえ… けれど時間はいくらでもあるのよ。今から二人で、ゆっくり考えましょう!」
優しい瞳をした少女が答えた。
New York Manhattan Upper West Side
世界一の都市に
「だから何度も言っているように、僕はこのビル上層階に住むマギー部長専属の秘書なんです。部長を迎えに来たんです。ロビーで待たせていただきます。ビルの中に入れて下さい」
スキニ-仕様のピンストライプスーツに高級ブランドのピンクネクタイ、白いステンカラーコートの
「何度も申し上げていますが… 貴方には、マギー様から面会をお受けするとの言付けはいただいておりません。ですから、私どもとしては貴方をビルに入れる事は出来ないのです」
「最近はストカーまがいの人間も多いと聞く。あんた大丈夫か? まさか常習で、ポリスマンの世話になんかなったりしていないだろうな!?」
ビル清掃作業員のトミ-が口汚い言葉を吐く。
「何を失礼な! 僕はそんな人間じゃありませんよ!」
そう言いながらも、若いジェミニの脇からは冷汗が流れた。ひと月前の、あの苦い経験を思い出したのだ。
「先程から僕のビジネスカードを
ジェミニはしつこく
「なりません。失礼ですが、このビジネスカードも偽造の可能性があります」
ドアマンはジェミニの申し出を
「それではマギー部長に連絡を入れて確認して下さい。部長専属の第一秘書である僕がビルの玄関に訪れていると… そうすれば部長は僕をロビーにて待つようにと話してくれる筈です」
ジェミニがドアマンに再度懇願をする。
「それは出来ません。正体も定かではない人間が来る度に、このビルに住まわれている高貴な方々のお宅に確認の連絡を差し上げるなど、私にはそのような権限はないのです」
ドアマンが威厳ある言葉遣いで応えた。
「だからさっきから言っているだろう。あんたが本物のライズ ゴールド ムーン社の社員で、マギーさん専属の第一秘書であるなら、自分のスマートフォンを使いマギーさんに連絡したらどうかと」
ビルの清掃作業員トミ-が口を開く。
「ですから… 現在、僕のスマートフォンがマギー部長から着信の拒否をされている状態なのだと、何度も説明しているじゃないですか。だから
「ほら、やっぱりそうだ。こいつはマギーさんに付きまとうストーカー野郎だ。立派なビジネスカードまで偽造して。さあ、警備員に連れ出してもらいな、それともポリスマンにお出ましを願うとするかい?」
清掃員トミ-が、ビルの警備員を手招く。
トミーの言動を前に、若いジェミニはげんなりと空を仰いだ…
ひと月前の夜、街角で偶然見掛けたマギー部長の後を追い、高級紳士服のブティックに飛び込んだ。ボブさんとの
走り去るタクシーを自転車で追い掛けたり、追いついたタクシー後部座席の窓を叩いたり、自分でも
誰が辞令を出したのか? それは解らないけれど… 僕は、つい昨日までの一カ月間を、アトランティックオーシャン バミューダ島に建つ資料倉庫の整理名目に、遠方への出張を命じられていたのだ。
バミューダ島では倉庫の資料整理とは名ばかりで、一日の大半は体力を持て余したイザベル会長のお世話を命じられる。会長が新しく購入した排気量250ccのスクーターのお供にと、僕には日本製90ccのスクーターが宛てがわれた。二人で朝から晩までツーリングをして、会長の大好きな海釣りの後には、新鮮な生魚の
「いいかいジェミニ。このスクーターは歴代モデルの中では最大排気量を誇るブラックシップモデルの最高峰だ。この流線形が美しいだろう。バイクのメーター表示は160km/時速。私はいずれこのマシーンでマンハッタンに乗り込むよ!」
その会長のフレーズを何度聞かされた事か。
会長は
僕はと言えば、ニューヨーク ライズ ゴールド ムーン本社で何時僕のデスクが片付けられるのか⁉ そればかりを気にしていて、満足に会長の
「いいかいジェミニ! 人生には時期があるのさ。その時期さえ間違わなければ、お前は上手に世間を渡って行ける筈だよ!」
会長は、顔に似合わぬ優しい言葉で僕を慰めてくれた。
この慰めの言葉は、僕の何に対してのいたわりなのか? きっと僕は、既に会社のリストラ組に入れられているのだと想像をした。
そして昨日やっと辞令が下り、僕はニューヨークに戻って来た。
(会社に行く前にマギー部長に会って、もう一度謝りたい)
僕はその一心で、部長の住むドアマン付き高級ビルを尋ねたのだ。
「今直ぐにここから立ち去れば、今回はポリスマンは呼ばない。さあどうする?」
ビルを守る警備員の厳しい言葉である。
若いジェミニは泣きたくなる気持ちを必死に
そこにブラックシップ最高峰モデルのスクーターに乗った女性が
イザベルはスクーターに乗ったまま、ジェミニと警備員との間に割って入る。
「何だいお前達は!? 一人の男に
真っ赤なライダースーツを着た大柄な女性ライダー。稲妻がペイントされた黒のヘルメットを脱ぎ去ると、イザベルは大きな声で
「会長!!」
ジェミニの瞳からは涙が
きらびやかな真っ赤なライダースーツ、そしてブラックシップモデル最高峰のスクーターが、何ともカッコよく目立っていた。
ドアマン達は突然現れた老婆の容姿に度肝を抜かれた。老婆は見事にガタイもデカいのだが、メットを脱いで見せた顔が更にドデカいのだ。
しかし何とか気を取り直した警備員が老婆に口答えをする。
「この男はストーカー行為をする者です!」
ビルの警備員はジェミニをストーカーと決めつけていた。
「何て言ったんだい? お前はうちの可愛い坊やをストーカーと決めつけ侮辱するんだね? 間違いだったら唯じゃ置かないよ!」
イザベルは警備員に、そう言って凄んでみせた。
「間違いではありません。この若者は偽のビジネスカードを作製し、当ビルに住まわれている美しく高貴な方の部屋に上がり込もうと目論んでいたのです」
警備員は、ジェミニがドアマンに渡したビジネスカードを老婆イザベルに手渡す。
「フウ-ン、それで… ジェミニをポリスに突き出そうって言うのかい?」
ジェミニが着るピンストライプスーツの胸ポケットに、警備員から渡されたビジネスカードを差し込みながら、イザベルは尋ねる。
「即座に立ち去れば今回は特別に…」
そう言いかける警備員に向かい。
「馬鹿言ってるんじゃないよ! ジェミニはマギーに会いに来たんだろう!? この男はライズ ゴールド ムーン社秘書室副主任、マギー専属の第一秘書、正真正銘のジェミニ・グラントだ!」
イザベルは警備員の話を
繰り広げられる騒動を聞き付けたビルの支配人が、慌てて現場に駆け付けて来た。
「婆さんもグルなのか?」
警備員がイザベルに口汚い言葉を放つのを、ビルの支配人は自身の手袋を警備員の口に無理矢理ねじ込む
「イザベル様、申し訳ありません。この者達の非礼をお許しください」
ビルの支配人は寒空にもかかわらず汗をかきながらイザベルに謝罪の言葉を並べる。
「支配人。どなたなのですか?」
口に入れられた手袋を吐き出し
「このビルのオーナー、イザベル様にあらせられます。お前達、失礼があったのなら即座にお詫びさせていただきなさい!」
支配人は物凄い
「まあいいさ。皆でビルの居住者を守ってくれる、その気持ちはありがたいものだよ。それよりもお前達、このジェミニのことを良く覚えておいておくれ。ストーカーだなんて、二度と言わないでおくれよ!」
イザベルは周囲に笑顔を向けた。
「ジェミニ。お前の自宅に90ccのスクーターを届けておいた。明日はツーリングに付き合いな!」
「会長!!」
ジェミニは真っ赤なライダースーツを着たイザベルに抱き着いて、感謝の意を示した。
「あんたもバリバリ働いて、安アパートから早くこのビルに引っ越しておいで!」
老婆はジェミニを
その時、ビル南玄関の自動ドアが開き、出勤前のマギーが姿を現わす。光沢感のあるコンパクトラインのダウンコートを着て、リッチな茶系のファーをキラリとしたブローチで留めた姿で、マギーはエレガンスに現れた。
「あら、お母様。こんなに朝早くにどうしたの? しかもジェミニまで一緒に?」
マギーは玄関前の
「何でもないよ。それよりジェミニは今日から元の所属に戻しておいたよ。せいぜい可愛がってあげなよ!」
イザベルはそう言うと、大きな頭に稲妻がペイントされた黒のヘルメットを装着して立ち去って行った。
「ジェミニ様。誠に失礼を致しました」
若いジェミニに向かい、ビルの支配人とドアマンが交互に頭を下げる。
「いいえ、良いのです。解かってもらえて僕は嬉しいです」
急に敬語で呼ばれて戸惑うジェミニを横目に、マギーがその場立ち去る。
「もういいんですよ!」
ジェミニは二人にそう話すと、歩き去るマギーの後を追い掛けて行く。
「部長、本当に反省しています。僕を許して欲しいんです」
背中を向け歩き続けるマギーに、ジェミニは懇願した。
「ジェミニ。私はまだ貴方を許した訳ではないのよ!」
颯爽と街角を歩き続けるマギーが口を開いた。
「わかっています。だけど、お願いです。許して下さい」
「ジェミニ、先ず私から2mは離れてよね。それと私のプライベートの
「はい。必ず守ります!」
若いジェミニは前を行くマギーの背中から少し距離をとる。
「それじゃあ。ほんの少しだけ許すわ!」
マギーはそう言うと、肩に下げたスイートカラーのラージバックを開き、中から硬性プラスチックのトレイを取り出す。
そしてそれをジェミニに手渡した。
「部長。これは…」
「インフォメーションデスクに詰めるキャサリンからもらったの。トレイに開いた穴の部分にエスプレッソコーヒーの容器を入れて。その隣には苺の入った紙袋とアイスクリームを並べて置くのよ」
「これからフルーツショップとアイスクリーム店、コーヒーショップに寄って行くんですね。喜んでお供します!」
ジェミニはマギーから渡されたプラスチックのトレイを、嬉しそうに抱きしめた。
その頃、マギーが毎朝通うフルーツショップの店主ボブも、美しいマギーとの再会を楽しみにしていた。
「おはようマギー。はい、いつもの苺、用意しておいたよ。ああっ、眼が眩みそうだ。君は今日も一段と綺麗だね!」
店主ボブはそう言うと、紙袋に入れた苺をマギーに差出した。
「ありがとう、ボブ。貴方何時もお上手ね!」
マギーはボブから差し出された苺を受け取ると、後ろを付いて来るジェミニにそれを手渡す。
「ええっ、ボブさん。このフルーツショップ、ボブさんのお店ですか? ボブさんの女神って、マギー部長の事だったんですか?」
ジェミニがボブの姿を見て驚きの声を上げる。
「ジェッ、ジェミニ。馬鹿、お前、声がでかいよ!! お前こそ何でここにいるんだ? しかもお前、一か月も俺に何の連絡もよこさないで!」
マギーの後ろから突然現れたジェミニの姿を見て、ボブも又動揺する。
「出張に出されていたんです。だけど信じられない!?」
「何が信じられないだ? お前こそ、『急に豹変して年下の部下に冷たく当たる』 お前の上司って、まさかマギーさんの事なのかよ!?」
「違います、違います。ボブさん、やめてください!! 部長に聞こえるじゃないですか!!」
ジェミニは慌ててボブの口を塞いだ。
「まさかボブさんと僕の理想が同じレベルだなんて… 信じたくありません」
「俺だって信じられねえよ!! だけど俺の直感は適中するんだよ… だから言ったろう!? 俺達の女神の、その特徴が正に瓜二つだと。しかし又、なんて事だ…」
ボブは両手を広げ天を仰いだ。
そんな二人のやり取りにはまるで関心が無いマギーは、ボブに苺の代金を支払うと今度は隣のアイスクリーム店へと入って行った。
「クッキー&クリーム。それをバインドで二つ」
これも毎朝必ず購入する。
そして最後に、持ち帰り用の容器に入れられたエスプレッソコーヒーを求めて、有名コーヒーチェーン店に立ち寄るのだ。
全ての買物を済ませたマギーの前に立ち塞がる二人組の男がいる。ダークグレイのフォーマルなスーツとコートに身を包んだ国防総省から遣わされた男達である。
「マギーさん。何とかジャック教授の
二人組の男がマギーに懇願をする。
「貴方達、又来たのね! 何度聞かれても知らないものは教えられない。もう何度も言わせないでよ!」
マギーが国防総省から遣わされた男二人を冷たく突き放す。
二人は以前とは打って代わって、哀れな程の低姿勢で、毎朝マギーの下に伺いを立てにやって来るのだ。
「二人とも、きっともう首ね!」
魅惑のマギーの唇から飛び出た酷い言葉に、国防総省から遣わされた男達の目には涙さえ浮かんでいた。
ニューヨーク市街で起こされる朝の騒がしい出来事、その風景を眺め見る美しい少年と少女がいる。二人はフルーツパーラーの二階に席を取り、遅い朝食を楽しんでいた。
大きな瞳の上ギリギリで揃えられたマッシュバング、少女の細い首元には栗色の柔らかいカールが取り巻いていた。コークとホットサンドで朝食を摂る目許の涼しい少年の隣で、少女は美味しそうにフルーツを食べている。
「メロン、キウイ、苺に洋梨、パイナップル、マンゴー… ジャック、私パイナップルを食べると舌が痛くなるの、ダカラこれは貴方が食べてね!」
黒のモノトーンで統一された二ットワンピースをシックに着こなす少女が、少年の唇にスライスされたパイナップルを運んだ。
「アクエリアス。世界って素晴らしいね!」
アーガイルニットのベストを着た少年の唇から、自然に言葉がこぼれる。
「ええ、ジャック。世界って素晴らしいわ!! 16歳のからだに成った貴方と共に朝食をいただけるだなんて、私とても幸せよ!!」
少女は満面の笑みを浮かべる。
「これから何をしようか?」
「そうねえ… けれど時間はいくらでもあるのよ。今から二人で、ゆっくり考えましょう!」
優しい瞳をした少女が答えた。