第22話 眠り姫(Sleeping Beauty)
文字数 2,410文字
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
ウィンザー
Windsor
ゴシック建築の傑作 、ウィンザー城 を持つこの街の東に、森と小川に囲まれひっそりと建つ屋敷があった。尖塔 を有する旧時代の建築様式。かすかに聞こえる小川のせせらぎが、緩やかな時の流れを屋敷に伝えていた。
少し開かれた二階の窓から揺れるカーテンクロス、テューダー とエリザベス王朝を想わせる豪華な内装を施した室内、そこで静かに寝息をたてる少女の姿があった。
少女は着心地の良いジャージ ワンタック ワンピースを着ている。枕元 には、先程まで読んでいたトルストイの文庫本 が置かれていた。
大きな瞼の上に奇麗に揃えられたマッシュバング、少女の細い首元にはブラウンの柔らかいカールが掛けられている。
心地よい日差しが、何時しか少女を眠りへと誘っていた。
少女は、夢を見ていた。
【眠り姫の回想 The recollection of the Sleeping princess】
街角の劇場 から流れ出る懐古的 なメロディー。
時代の経過を想わせる旧い石畳 。
細道を行き交う自動車。
緩やかな傾斜を登った先に建つ教会。
幼 い少女が教会の軒先 で、捨てられ箱に入れられた子猫達と戯 れている。寒い季節、幼女 の着る服はとても薄い仕立てにも見え、暖かな服装で街並みを歩く人々の眼には、憐 れみの表情がうかんでいた。
突然訪れた両親の急逝 を前に、身寄りを無くした幼い姉妹は互いを守り合うように日々を過ごした。しかし、先に養子縁組が決まった双生 の姉が施設を出ると、残された妹はもはや一人では施設には馴染 めず、一日の大半を街角で過ごしていた。
冷たい雨に打たれ濡れたシンプルニット、冷え切った幼女の胸元には、誕生月の星座をあしらったペンダント・ネックレスが提 げられていた。
「君はどの猫が好きなのかな?」
フォーマルなスーツと外套 で身を包む男が幼女に話し掛ける。
男は外套を広げ、冷え切った幼女の身体を優しく覆い込む。
「おじさんは、誰?」
幼い少女は、端正 な顔立ちをした男を見上げている。
「おじさんは酷 い。僕はいま君が言う程の、古い肉体の姿では無い筈 だ」
男はそう言って笑った。
「そうね。それ程のおじさんでもないわね。けれど私に言わせればやはりおじさんよ!」
幼い少女はそう話した。
「それでは、若いおじさんと呼ぶのはどうかな?」
男は幼女に提案 をする。
幼い少女がしゃがみこむ箱の先には、まだ目が開いて間もない5匹の子猫が、のそのそと互いのからだに覆 いかぶさるようにして動いていた。
「貴方の名前を聴く。おじさんと呼ばれたくければそれが好いでしょう?」
幼い少女は大人びた凛 とした口調で男に話した。
その言葉を前に、立ち上がった男は即座に外套を外し、幼女の身体を優しく包み込む。そして今度は騎士のような振る舞いで、片膝を着き頭 を垂 れた。
「レディを前に、自己紹介が遅れた非礼 をお詫びいたします。セラヌと申します。僕は貴方のお父さん、お母さんの古くからの知り合いです」
「お父さん、お母さんの知り合い?」
幼い少女は驚いた顔をしている。
「そう。僕たちはとても仲の良い友達だった」
自 らをセラヌと名乗った男が頷く。
「友達? でも、もう居ないの…」
幼い少女の小鼻がひくひくと動いた。幼女は瞳を潤ませる、しかし涙は必死にこらえている。
「知っています」
男は目を細めて答える。
「みんな、もう居ないの…」
幼い少女は自分の心に言い聞かせるように話した。
「だから、僕が君を迎えに来た」
男は冷えた幼女のからだを優しく抱きしめた。
幼い少女は黙って男に抱き締められている…
「養護施設には、既に話を済ませて来たんだ」
「おじさん。施設に行ったの?」
「うん。園長先生にも、会って来た」
「…何の話をしたの?」
「君のお父さん、お母さんの親友である僕が、君の保護者になり、君が僕の家で楽しく暮らせるようにって、お願いをしてきた」
幼い少女は男の優しさが本心の気持ちであるのかどうかを測 りかねている。
「迷惑だったかな? 勿論、君の同意がなければ、僕の願いは叶わない」
男は真剣な表情で幼女に語りかける。
「いいわ」
暫らく思案 した後に幼女が答えた。
「迷惑なんて事は無いのよ。だって私にはもう居場所なんてなかったのだから… それでも、貴方が紳士 で、私をレディとして大切に扱 わなければ、私は何時でも出て行くけど、それでいい?」
幼い少女はそう話した。
「勿論だとも。行こう、君のお父さんも、君のお母さんもきっとそれを望んでいる」
男は満面の笑みを浮かべ、幼女に手を差し伸べる。
「でも…」
「でも⁉ 何だい?」
「でも… この子達を置いては行けない!」
幼い少女は、箱の中から一匹のくすんだ灰色の子猫を拾い上げる。
「その灰色の猫が好きなの?」
男が尋ねる。
「うん。この猫も好き。だけど誰も置いてゆけない。誰一人も、もう誰も置いては行けない。みんな可哀想だもの…」
幼い少女が、思いの丈 を言葉にする。
(どれだけ我慢をして、ここで過ごしてきたの… 愛らしい唇をへの字にして)
とうとう泣き出してしまった幼女をセラヌは優しく抱き上げる。
「まったく君の言う通りだ!! 誰一人として、ここに置き去りになどしたりはしない。みんな一緒に連れて行こう!」
男はそう言うと、胸元のボタンを二つ外して、残る4匹の子猫をシャツの中にしまい込んだ。
「その代わり、猫のお世話は君がすること!」
セラヌは抱き上げた幼女を抱 えたまま、旧い石畳を下りて行く。
教会からなだらかに続く坂道の下には、ハザードのランプを点滅させ、主 の帰りを待つ8気筒の高級車が停車していた。老齢な運転手が後部座席のドアを開き、主と幼女と5匹の猫を、満面の笑顔で車内に迎い入れた。
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
ウィンザー
Windsor
ゴシック建築の
少し開かれた二階の窓から揺れるカーテンクロス、
少女は着心地の良いジャージ ワンタック ワンピースを着ている。
大きな瞼の上に奇麗に揃えられたマッシュバング、少女の細い首元にはブラウンの柔らかいカールが掛けられている。
心地よい日差しが、何時しか少女を眠りへと誘っていた。
少女は、夢を見ていた。
【眠り姫の
街角の
時代の経過を想わせる旧い
細道を行き交う自動車。
緩やかな傾斜を登った先に建つ教会。
突然訪れた両親の
冷たい雨に打たれ濡れたシンプルニット、冷え切った幼女の胸元には、誕生月の星座をあしらったペンダント・ネックレスが
「君はどの猫が好きなのかな?」
フォーマルなスーツと
男は外套を広げ、冷え切った幼女の身体を優しく覆い込む。
「おじさんは、誰?」
幼い少女は、
「おじさんは
男はそう言って笑った。
「そうね。それ程のおじさんでもないわね。けれど私に言わせればやはりおじさんよ!」
幼い少女はそう話した。
「それでは、若いおじさんと呼ぶのはどうかな?」
男は幼女に
幼い少女がしゃがみこむ箱の先には、まだ目が開いて間もない5匹の子猫が、のそのそと互いのからだに
「貴方の名前を聴く。おじさんと呼ばれたくければそれが好いでしょう?」
幼い少女は大人びた
その言葉を前に、立ち上がった男は即座に外套を外し、幼女の身体を優しく包み込む。そして今度は騎士のような振る舞いで、片膝を着き
「レディを前に、自己紹介が遅れた
「お父さん、お母さんの知り合い?」
幼い少女は驚いた顔をしている。
「そう。僕たちはとても仲の良い友達だった」
「友達? でも、もう居ないの…」
幼い少女の小鼻がひくひくと動いた。幼女は瞳を潤ませる、しかし涙は必死にこらえている。
「知っています」
男は目を細めて答える。
「みんな、もう居ないの…」
幼い少女は自分の心に言い聞かせるように話した。
「だから、僕が君を迎えに来た」
男は冷えた幼女のからだを優しく抱きしめた。
幼い少女は黙って男に抱き締められている…
「養護施設には、既に話を済ませて来たんだ」
「おじさん。施設に行ったの?」
「うん。園長先生にも、会って来た」
「…何の話をしたの?」
「君のお父さん、お母さんの親友である僕が、君の保護者になり、君が僕の家で楽しく暮らせるようにって、お願いをしてきた」
幼い少女は男の優しさが本心の気持ちであるのかどうかを
「迷惑だったかな? 勿論、君の同意がなければ、僕の願いは叶わない」
男は真剣な表情で幼女に語りかける。
「いいわ」
暫らく
「迷惑なんて事は無いのよ。だって私にはもう居場所なんてなかったのだから… それでも、貴方が
幼い少女はそう話した。
「勿論だとも。行こう、君のお父さんも、君のお母さんもきっとそれを望んでいる」
男は満面の笑みを浮かべ、幼女に手を差し伸べる。
「でも…」
「でも⁉ 何だい?」
「でも… この子達を置いては行けない!」
幼い少女は、箱の中から一匹のくすんだ灰色の子猫を拾い上げる。
「その灰色の猫が好きなの?」
男が尋ねる。
「うん。この猫も好き。だけど誰も置いてゆけない。誰一人も、もう誰も置いては行けない。みんな可哀想だもの…」
幼い少女が、思いの
(どれだけ我慢をして、ここで過ごしてきたの… 愛らしい唇をへの字にして)
とうとう泣き出してしまった幼女をセラヌは優しく抱き上げる。
「まったく君の言う通りだ!! 誰一人として、ここに置き去りになどしたりはしない。みんな一緒に連れて行こう!」
男はそう言うと、胸元のボタンを二つ外して、残る4匹の子猫をシャツの中にしまい込んだ。
「その代わり、猫のお世話は君がすること!」
セラヌは抱き上げた幼女を
教会からなだらかに続く坂道の下には、ハザードのランプを点滅させ、