第11話 マギーのお家(Maggie’s House ) -晩餐-

文字数 3,543文字

 ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド
 New York Manhattan Upper West Side
 マギーの住む超高層ビル
 The skyscraper where Maggie lives

 高層ビル浴槽からの眺めに満足したジャックが、洗身を済ませ脱衣所に出て来る。大理石で装飾されたツインの洗面台の上には、清潔な日本製のバスタオルが用意されている。その隣には、部屋着、歯磨・髭剃りセット、ローションやスキンコンディショナーも添えられていた。

 ジャックは洗面台の大きな鏡に向かい、髭をそり、歯を磨いた。

 身なりを整えたジャックが脱衣所を出てリビングルームに現れると、室内の風景は一変していた。入浴前には居なかった人間が、規則正しい動作でそれぞれの仕事をこなしている。

 贅沢(ぜいたく)で広いリビング ダイニング。ダイニングテーブルの上には、真っ白なテーブルクロスが敷かれていた。黒のタキシードに身を包む二人のウエイターが、きびきびとした動作で晩餐(ばんさん)の準備を進めて行く。

 厨房ではコック帽を被ったシェフが、スー・シェフと共に料理の下準備をし、持参した食材の確認に余念がない。

 ソムリエは予めシェフと打ち合わせた酒類を、温度の管理された容器で持ち込んできている。そして今は唯、静かにグラスを磨いていた。

「どうぞお座りください」
 周囲の状況を伺うジャックに、年嵩(としかさ)のウエイターが椅子を引き着席を促す。

「ジャック様には、食前酒とそれに合った料理をお出しするようにと、マギー様に言付(ことづ)けをいただいております」
 そう言うと、年嵩のウエイターは目配(めくば)せで若いウエーターに合図をし、ジャックのもとにビールを運ばせた。

「工場直送のドラフトビール(draft beer)です」
 熱処理の(ほどこ)されていない新鮮なビールが冷却器を通過し、薄く背の高いビールグラスに注がれていた。

 きめ細やかに浮いた繊細な泡が、ジャックの唇に纏わり付く。

「こんなに美味しいビールを、一人先に飲んでしまって良かったのかな?」
 乾いた咽にビールを流し込み、嬉しそうに話すジャックの隣に、ソムリエがあいさつに訪れた。

「マギー様より浴室を出たジャック様には、先ずは食前酒にドラフトビールをお出しするようにと言われておりました。ジャック様。今日はおつかれさまでした」
 ソムリエは、年嵩のウエイターの隣でそう話した。

「貴方は僕の名前を御存じなのですね?」
 今お会いしているソムリエとは、面識(めんしき)がなかった筈とジャックが尋ねる。

「はい。テレビを見ていましたから、存じ上げております。ジャック様もマギー様も、最高にカッコよかったです」
 ソムリエは、誇らしいものでも見るような眼差しをして話した。

最早(もはや)、ニューヨークでジャック ヒィーリィオゥ ハリソン様を知らぬ人間は居らぬようです」
 年嵩のウエイターが優しい笑顔を見せる。

 そうだ、あのカーチェイスはテレビで中継されたのだと、ニューヨーク市警の警察官が言っていた。自分はテレビも見ていないので、それがどのように報道されたのかさえ分からないのだ。

「多分、現在もジャック様のニュースが、各チャンネルで放送されている事と思います。よろしければテレビをお付けしましょうか?」
 年嵩のウエイターがジャックに尋ねる。

 ウエイターの申し出は、やんわりと断らせてもらった。煩わしい気分になるのは御免だった。

 それに、ビルの高層で時間を過ごしていると、下界の事など何も気にならなくなるから不思議だ。単純に言うとジャックは、程よい興奮が過ぎ去った後の、湯上りの生ビールの旨さに酔いしれていたかったのである。

「それよりも、この美味しいビールの御代わりをお願いします」
 ジャックは年嵩のウエイターにビールの御代わりを頼んだ。

「ムール貝と牡蠣貝の香草(こうそう)クリームソースです」
 シェフはジャックのテーブルにその一品を差し出す。そして笑顔で会釈(えしゃく)をすると再び仕事場へと戻って行った。

 緑の縁取(ふちど)りのある平皿に注がれたクリーミーなハーブソース、白ワイン蒸しにされたムール貝と牡蠣貝、素早く塩茹(しおゆ)でされ冷まされた野菜の色彩が目に鮮やかであった。

 ジャックはまるまると太った牡蠣を周囲の野菜とともにフォークで一突きにする、更にナイフを使い、その上にたっぷりとクリーミーハーブソースを乗せると一口に頬張る。

 濃厚でジューシーな牡蠣のエキスと冷えた野菜の取り合わせが絶妙だった。

 ゆっくりと料理を味わい、程よく冷えた生ビールを楽しむ。ジャックが三杯目のビールに口を付けた頃… マギーがリビング ダイニングに現れた。

 細い黒エナメルの付いた白いワンピース、(すそ)から覗く透き通るような(あし)がとても眩しかった。宝石で装飾されたベージュのサンダルを履いて、湯上りのマギーがジャックの席へと歩いてくる。胸元には大きな二連の黒真珠のネックレス、マギーの髪から漂うトリートメントの香りが、ジャックの心臓をどきどきと揺らした。

「ジャック。遅くなって御免なさい」
 マギーは来客を待たせた非礼を()びる。

「僕の方こそ、ひとり先に御馳走になっていたんだ。マギー、素晴らしい晩餐の用意をありがとう。ビールが凄く美味しいんだ。それに最上の料理が拍車(はくしゃ)を掛けて、もう三杯もビールを頂いていた」
 ジャックは上機嫌に話した。

「良かった。貴方に喜んでいただいて、とても嬉しい」
 ジャックに微笑みを見せたマギーに、ウエイターが椅子を引き着席を促す。

「ありがとう。それでは、始めて頂戴(ちょうだい)
 マギーが晩餐の開始を告げる。

「今日はソムリエに特別なお願いをして、マギー様に食前の一品を用意させていただきました」
 マギーの着席を見計らって、シェフがクープ型のシャンパングラスに入れられた食前酒を運んでくる。

「キャフェ アラ サクレ クールね。久しぶりだわ」
 クラッシュアイスの中に注がれたコーヒーブラウンの液体を見て、マギーが嬉しそうに声を上げた。

「エスプレッソコーヒー、卵黄、コニャック、コーヒーリキュール、それをキューブ状の氷と共にシェイクします。あとはクラッシュアイスを入れたグラスに注ぎ入れ、シナモンを振り掛ければ完成です。マギー様のお口に合う一品(ひとしな)と思います!」
 シェフはそう言って、マギーの食卓に食前酒を差し出した。

「シェフ。貴方、フルーツショップ店主のボブと知り合いなんですってね。聴いたんでしょう。私が毎朝出勤前に必ずコーヒーとアイスクリームを購入することを」
 マギーがシェフを問い詰める。

「最高級の苺も用意してあります。後でお出しします」
 シェフはそう言うと再び仕事場に戻って行った。

「やはり知っているのよ!」
 マギーが眉間にしわを寄せる。

「毎朝君は、コーヒーとアイスクリームと苺を買って出勤するんだ!?
 ジャックが笑いながら話した。

「そうよ、毎朝このビルを出て、ボブのフルーツショップ、有名メーカーのアイスクリーム店、コーヒーのチェインストア、その順序で買い物を済ませ出勤をするの。ジャック、私にあいたい時には、朝はそのどこかで待ち伏せをしていて。貴方は、それで何時でも私に会えるわ…」
 大きなテーブルではない。二人は手を伸ばせば届く程の距離で、会話を楽しんでいる。

「ジャック、今日はありがとう。貴方はまるで、私の(たの)もしい騎士のようだった」
 マギーが、キャフェ アラ サクレ クールを一口飲んで話した。

「君の方こそ、とても心強い僕の最高のパートナーだ」

「ジャック、それも嬉しいわ。でもね、騎士が守るのはクイーン(Queen)プリンセス(Princess)よね。私はプリンセスには見えない?」
 マギーの長くボリューミーな睫毛が流行のセクシーメイクにもよく馴染(なじ)んでいる。目の前にいるマギーの瞳はキラキラと輝き、一瞬たりとも目が離せない魅力をジャックに与えていた。

「君はとても魅力的なプリンセスだ」
 マギーの瞳に優しく見詰められたジャックが、二度(まばた)きをして答えた。

 テーブルには有機野菜のローストが運ばれてきた。バターソース、泡クリームと塩コショウで味付けされた旬の野菜のオードブル、その上から風味の良いソースが掛けられてる。

「美味しいわね。シェフは野菜本来の旨味を上手に引き出している」
 テーブルの上に手を置くマギーが嬉しそうに話した。

 ジャックは心の底から、安らぎを感じていた。この部屋に居ると、ビルがニューヨークの街並みの上に建てられてる事も忘れてしまう。

「マギー。君のビジネスの話を聴くよ」
 ジャックはそう話した。

「好いのよ。今日はとてもタフな一日だったし、明日でもその次の日でも私は構わない」
 マギーはそう答えた。

「僕にしたい話がある君を、まる二日も待たせた。その間、僕らは美味しいものばかりを食べている」
 二人は顔を見合わせて笑った。
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登場人物紹介

ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド。 

世界一の都市にそびえ立つ超高層マンションに住む。

しかもこの若さで一流企業の部長(general manager)様だ。

クッキー&クリームと世界規模で展開するチェーン店コーヒーを

こよなく愛する魔女。

マギー・ロペス(Maggi.Lopez)。

ジャックの最愛の恋人。

十七年前に突然とジャックの前から姿を消した。

アクエリアス(Aquarius)。

若き俊才、ニューヨーク総合私立大学航空宇宙物理学教室教授。

ジャック・ヒィーリィオゥ・ハリソン(Jack.Helio.Harrison)。


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