第7話 イエローキャブ(Yellow Cab)

文字数 3,676文字

 ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド
 New York Manhattan Upper West Side  
 カフェ
 caffè

「ジャック先生、アッパーウエストサイドのカフェに到着だ。3台ともこちらに回送しろ。何をやっているんだ!? こんな大事なチャンスを棒に振って!」
 マンハッタン アッパーウエストサイドで営業するカフェの店先で、路上駐車をする一台の黒塗りセダン。その運転席で無線機を操作し話す男の姿があった。

「ジャック先生がニューヨーク総合私立大学から折角(せっかく)キャブ(タクシー)を利用してくれたのに、他の営業車に乗せては意味がないだろう。大学の講堂から一気に走り抜けて来たから、対応ができなかった!? そんな言い訳が通用すると思っているのか? 先生はよくキャブを利用するからって、俺らはイエローキャブを3台も改造して備えているんだ! この計画には随分とお金が掛かっているんだよ!」
 男は運転席から無線機を使い、部下が乗る3台のイエローキャブに向けて指示を飛ばしているのだ。既にカフェの店内には別の工作員を向かわせている。工作員はターゲット(ジャック)に近づき、盗聴を開始する手筈だ。

「まあいいだろう。先ずは落ち着くことだ…」
 黒塗りセダンの後部座席に座る男が、運転席で無線機を操作する男をなだめるように話した。

「カフェに居る先生の会話を盗聴して、動向を確認する。後はカフェからの帰りにジャック先生が、我らのイエローキャブに乗ってくれるよう祈るのさ」
 後部座席に座る男は静かに爪を磨いていた。

 セントラルパークに面した緑豊かなカフェ。道路が望める窓側の席に座り静かに読書をしていたマギーが、店に10分遅れて現れたジャックを見付け手招きする。

「ジャック。昨日はありがとう。とても楽しかったわ!!

「僕の方こそ… とても楽しかった。それより今日は、遅れてすまない…」
 ジャックは長引いた大学の講義が終わると、急いでここまで駆けつけて来ていた。

「いいのよ。私は読書に夢中だったから!」
 マギーは、『少しも退屈などしていなかったの!』 そう告げるように話した。

「それはゲーテの詩集。君はゲーテに興味があるの?」
 真っすぐにマギーを見詰め座席に着いたジャックが、テーブルに置かれた書冊(しょさつ)を見て尋ねる。

ヨハン ヴォルフガング フォン ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)が、どこまで天界や魔界の事を知っていたのか? 私、それにとても興味があるのよ。ダンテ アリギエーリ(Dante Alighieri)も同じ意味で興味があるのだけれど」

 もうマギーが何を言おうと、ジャックが驚くことはなかった。目の前に座る女性が、とても豊かで奥深い教養の持ち主であることは既に理解していた。

「ねえ、ジャック。今日はライズ ゴールド ムーン コーポレーションの部長として、正式に貴方にビジネスの話を申し入れたいの」
 昨日とは打って変わって、ハードなビジネス スタイルに身を包んだマギー が話した。

「それで君は今日、ネイビー ストライプのパンツスーツを着ている!?
 ジャックはマギーのコーディネートに視線を送り微笑んでいる。

 マギーは真剣な面持(おももち)ちで…
「ジャック聴いて。私が昨日、アポイントメントも取らずに厚かましく貴方の教室に押し掛けたのは」

「知っているよ。僕がライズ ゴールド ムーン コーポレーションからの面会依頼を、何時になっても受けないでいたからだろう!?

「ありがとう、ジャック。理解してくれていたのね。それにしても大学の物理学講堂にまで押し掛けて、少し厚かましかったかと今は反省をしている。それで今日は正式にビジネスの話を貴方に申し込みさせて欲しいの」
 マギーは向かいに座るジャックに、礼儀正しい姿勢で申し入れる。

「マギー。君にとてもよく似合うよ。そのスーツも、中に着ているシンプルな白のインナーやシルバーのロングネックレスも全て。だけど正式となると、大きな会議室に僕は連れて行かれ、大勢の人間の前で挨拶をしたり、とても気軽には話せないような雰囲気の中で、君の上司に面会させられたりするのかな?」
 真剣な表情のマギーの前でジャックはおどけて尋ねる。

「ありがとう。貴方にコーディネートを褒めていただいて、とても嬉しいわ。それで質問の答えだけど。それはNOよ!! これは私に任された仕事だから、そんな堅苦しい事はしなくても好いの。だけど… 唯、貴方が我が社の仕事を引き受けてくれた時には、我が社のオーナーと会長には是非(ぜひ)会って貰いたい。その代わり、それ以外の事はすべて私と貴方との交渉だけで済むようにする。それで如何(いかが)かしら?」

「了解した。それで良い。それでは早速、君の話を聴く事にしよう!」
 ジャックはそう言って笑った。

「けれど、プレゼンテーションソフトとプロジェクターが要る…」
 マギーが言葉を挟む。

「ジャック。講義の後の糖分の補充まだしていないでしょう!? このお店のケーキとても美味しいのよ!! せっかくだもの、ここでスイーツをいただきましょう。その後で、私のビルで我が社の極秘のプロジェクトを貴方に説明する。それで良い? 早く来すぎて、私、とても腹がすいたの!」

 苦笑せずにはいられなかった。

「それで良い」
 ジャックはあくまでも優しい。

 マギーは”ほっと”安心してため息を吐くと、窮屈なネイビー ストライプのスーツを脱ぎ、先に脱ぎ置いていたトレンチコートに(そろ)えると座席の脇に置いた。

 これまで何も注文せずに、子供のように我慢してきたのだ。

「お願い!」
 マギーは大きな声でウエイターを呼び寄せると、メニューを見ながら嬉しそうにオーダーをはじめる。

 昨晩、イタリアンレストランの前で別れた二人は、ジャックの講義の終わる時間を見計らって、カフェでの再開の約束をした。

「ジャック見て!! この細長いエクレア。柔らかなシュー生地の中にマンゴーとココナッツのアイスクリームが挟み込まれているのよ‼ 更にその上から苺、野苺、ブルーベリーのソースがたっぷりとかけられていて、もう堪らないわ!」
 マギーは運ばれてきた特製のエクレアを前に歓声を上げる。勿論、その隣には熱いエスプレッソコーヒーが添えられている。

 ジャックは栗とショコラのモンブランを頼んだ。それを見て、『栗もいいわね』 すかざずマギーのチェックが入る。

「ねえ、ジャック。帰りにモンテビアンコを買って帰りましょう。昨日行ったイタリアンレストランの店頭で売られているの。栗のムースや生クリームの中に、シロップに漬けられた栗がたくさん散りばめられていたわ。最高に美味しそうだった。買って帰れば良かったって、昨夜ベッドに入ってから後悔したのよ!」
 食べる直前にホット チョコレートが掛けられた特製のエクレアを、美味しそうに頬張りながらマギーが話した。

 仲睦まじい恋人同士のような会話。誰が見ても、昨日会ったばかりの二人にはとても見えなかった。

「おい。ジャック ヒィーリィオゥ ハリソンの向かいの席で旨そうにスイーツを食っている女は誰だ?」
 黒塗りセダンの後部座席に座る男は、ネイビーカラーのシャドーストライプスーツを着ている。

「女がいるなんて情報はなかった」
 運転席に座る背の高い男は、チャコールグレーのスーツを着ていた。

 二人はカフェに面した路上に車を駐車させ、スイーツを食べるジャックとマギーの監視を続けていた。

「どうします?」
 運転席に座る背の高い男が尋ねる。

「女も連れて行こう。そのほうがジャック教授も言う事を聞いてくれるかもしれない」
 後部座席に座る男が答える。

「だけどいい雰囲気だ。名誉もあり良い女もいる。後は我が国の軍事技術を向上させてくれれば、ジャック先生の懐には巨万の富が転がり込む。いいねえジャック ハリソン。あんたの人生は」
 運転席に座るチャコールグレーのスーツを着た男が、嫌らしい眼つきで口を開く。

「おい。下品な言葉を使うのはよせ。非公式ながら、ジャック教授には我が国のとても大切なお客様になって戴くんだ。強硬な手段はとってもな。それを忘れるな!」
 後部座席に座る男が、鋭い口調で運転席に座る男の言動を制した。

 一方、カフェの店内では。
「なんだかひと雨きそうな天気だよ!」
 ジャックが窓越しに曇り空を見上げ呟いた。

「雨が降ったらにイエローキャブに乗りましょう。あら、降ってきたわね!」
 マギーも窓から空を見上げる。

「モンテビアンコを買って帰るの!」
 マギーはとても嬉しそうな表情をしていた。

「ああ、美味しかったわ!!
 特製のエクレアを食べ終え満足したマギーが、ウエイターを呼び寄せチップを手渡し、イエローキャブの依頼をする。

 工作員をカフェに送り込み、ジャックとマギーの会話を盗聴していた男達が小躍りする。

「店の前にキャブ3台連ねて停車だ。何!? 邪魔なキャブがいたら? 脅して退()かせるに決まっているだろう! 絶対に、しくじるなよ!」
 チャコールグレーのスーツを着た男が、無線機を操作し、3台のキャブに乗る部下に指示を与えた。

 みぞれまじりの雨が、街角を冷たく濡らしていた。
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登場人物紹介

ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド。 

世界一の都市にそびえ立つ超高層マンションに住む。

しかもこの若さで一流企業の部長(general manager)様だ。

クッキー&クリームと世界規模で展開するチェーン店コーヒーを

こよなく愛する魔女。

マギー・ロペス(Maggi.Lopez)。

ジャックの最愛の恋人。

十七年前に突然とジャックの前から姿を消した。

アクエリアス(Aquarius)。

若き俊才、ニューヨーク総合私立大学航空宇宙物理学教室教授。

ジャック・ヒィーリィオゥ・ハリソン(Jack.Helio.Harrison)。


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