第26話 マギーとイザベル(maggi & Isabelle)

文字数 3,963文字

 アトランティック オーシャン バミューダ
 Atlantic 0cean Bermuda
 ライズ ゴールド ムーン コーポレーション会長の別荘
 Chairperson Rise Gold Moon Corporation's villa 

「お母様、ごめんなさい。今回の特命… まだやり()げる事が出来ていないの」
 バミューダ諸島、最高のエメラルドグリーンオーシャンに()えるゴージャスな別荘で、会話を交わすマギーとイザベルの姿が見られる。

 涙で濡れたハンカチを握りしめながら、マギーがやっとの事で声を絞り出したのだ。

「何だい!? お前らしく無いじゃないか!? 恋に(やぶ)れた乙女のような声を出すんじゃないよ! それに今は仕事の話をしているんだ。お母様ではなく、会長とお呼び!!
 二人は白い革張りのソファーに、隣同士で腰掛けていた。

 マギーはからだが隠れるほどの、たくさんのクッションを抱きかかえながら、ソファーに座っている。

「だいたいの事は把握(はあく)してるさ。だけどいい線まで行っているじゃないか!? あともう少しの所にまで来ているんだ。元気を出しなよ!」
 イザベルは娘を(なぐさ)める。

「99%まで成功したと思っていたんです。ジャックも私に興味を持ってくれていた! その自信はあったの… けれど、あと一(つか)みという所でジャックの心を(のが)してしまった」

「そうだね。0%か100%か(0パーか100パーか)所詮(しょせん)はそのどちらかしかないのさ! 出来たか出来なかったか、我等の任務は厳しいものだよ!」
 イザベルは紅茶を(すす)っている。

「最後には余りにも酷い事を言われたの。まるで悪い天使がジャックの口を奪って話しているかのような、とても残酷な言葉が世界に流れ出たわ」
 マギーはハンカチで目頭を押さえている。

「マギー。ジャックに何て言われたんだい?」
 イザベルは興味津々(きょうみしんしん)に尋ねる。

「決して忘れられないわ。その言葉の総てを今も覚えているもの…」

「言ってご覧よ」

「お母様。驚かないで!」

「大丈夫! 簡単に驚きはしないよ」
 イザベルはそう答えた。

「お母様。ジャックの口はこう告げたの」

 悪魔は最もなことを言い
 人間を(たぶら)かすという。
 美しい毛皮を纏い
 耳障(みみざわ)りの良い優しい言葉で
 その者を(まど)わすという。
 魅入られた人間に待ち受けるのは
 破滅。

「あの優しいジャックが、そう言ったのよ!」
 マギーの瞳からは再び大粒の涙がこぼれる。

「へえーっ。ジャック坊やは詩人だね」
 イザベルが感心して答えた。

「お母様。感心などしないで!」
 マギーは、まぶたをハンカチで(ぬぐ)っている。

「だけど仕方がないよ… 人間はアダムの時代から天使にそう吹き込まれているんだ。エバには真実を教えたんだよ、ルシフェル様がね。だけどエバは楽園(エデン)を追放されたショックで全てを忘れてしまった。それが人間の女さ、都合の良い事ばかりを信じるんだ。まあつまり、魔族は完全悪と人間は天使に吹き込まれている訳さ!」

「それにしても(ひど)!!
 マギーはさめざめと泣いた。

「だけどあんたに与えた指令、あんたにはそこ迄して貰えれば、それで十分でもあったんだ。勿論、最初からそんな甘い事は言わないけどね」

「お母様。それはどう言う事です?」
 マギーが身を乗り出して尋ねる。

「今回の指令は、我等魔族の野望が懸かったマキシマム(超ド級)の特命だ。月面に基地を建造し、月から世界に力を注ぐためには、我等にはどうしてもジャック坊やの合力(ごうりょく)が必要なんだ。必ず、あの頭脳を我等の陣営に引き込まなくてはならない。坊やには火星の地球化計画(テラフォメーションプラン)実現への期待も大きい。そうだろう? マギー」
 イザベルが娘に相槌(あいづち)を求める。

「ええ、お母様。ジャックはそれ以上の存在よ!! 彼は全ての惑星に矢を放つ力を持っている。魔族が月から宇宙に力を注ぐ為には、絶対に必要な人間なの!」
 マギーは再び涙ぐんでしまう。

「そんな重要案件を、セラヌ様がお前一人に任せて置く訳がないじゃないか‼」

 マギーは黙ってイザベルの話を聴いている。

「我等の肉体のオーナー、セラヌ様は何十年も前から動いている。才能ある頭脳、幼いジャックに宇宙を夢見させたのもセラヌ様の遣った事、ジャックがニューヨーク総合私立大学物理学科に進んだのも偶然の事ではない。多額の研究費を出してジャックの研究をサポートしていたのもみんな、セラヌ様が指示を出していたことさ!」

 マギーはもう涙を流さずにイザベルの話を聴いていた。

「それだけじゃない。Aquarius(アクエリアス)、あの娘も幼い頃からセラヌ様が操作をしている。あの娘だなんてもう言えないよ! あの方は、”悪魔の花嫁”だ。既に人間世界とは縁を切った存在、セラヌ様と同様に死の門をくぐるのをやめたんだよ。そしてあの明晰(めいせき)な頭脳、遺伝子工学(genetic engineering)の分野では、世界の最高水準を軽く超えているんだ! 魔族の肉体製造技術に於いて、セラヌ様の頼もしい右腕になっているのさ! あんたのその肉体だって、正真正銘のアクエリアスの卵細胞から造り上げられているんだ。ありがたいことだよ、アクエリアスはこれからも我等の肉体を造り続けてくれる筈だよ」
 イザベルは再び紅茶を啜った。

「セラヌ様は総てを積み上げた上で、あんたにこの指令を授けた」

「使命を達成できなかった私は、セラヌ様の期待を裏切ってはいないの?」
 濡れたハンカチを握りしめるマギーが、イザベルに尋ねる。

「期待通りの働きをしてくれたと、セラヌ様は()めて下さった。ありがたいじゃないかマギー、あの御方には身も心も(ささ)げるんだ。この地に落とされた我等魔族を、再び宇宙(てんくう)に引き上げてくれる(とうと)い御方さ」
 老婆の容姿ではあるが、イザベルの言葉は若さに満ち溢れている。

「ところで… あんたジャックに恋をしたね!?

「いいえ。指令に応じて、役に気持ちを込め過ぎただけです!!
 マギーは唇に力を()め、自身のプライドを保った。

「いいのさ、あんたもそんな好いからだを貰ったんだ。その容姿を使って、この世界を十分に楽しむことさ! 気に入っているんだろう? その肉体が」

「ええ。とても」

「だけど本物には勝てない。悲しい恋をしたね!」
 イザベルが娘を気遣う。

「一つ付け加えるわ! 美しい過去の想い出には勝てない!」

「よく言うよ!!
 イザベルは声を上げて笑った。

「あのジャック坊やがね… 好い男に成ったんだね!」

「あの? あの、ですって!? お母様、ジャック ヒィーリィオゥ ハリソンのことを知っているの?」
 イザベルの何気ない言葉にマギーが驚き尋ねる。

「何を言ってるんだい。ジャック坊やの乳母はこの私だよ! 坊やには赤ん坊の頃から私が英才教育を(ほどこ)して来たんだ。総てがそう言う風に編み上げられているのさ!」
 イザベルは自慢げに話した。

「ジャック坊やは、解かっているのかね? 我等魔族が皆、小さい頃から坊やの味方だって事を!?

「多分知らないわ。自分の事、只の人間だと思っているもの…」

「大丈夫!! ジャックは必ず我等の仲間になる。その時にはお前の正体もちゃんと教えてあげなよ。魔界(こっち)に来たら、魔界(まかい)のプリンセスのお前がジャックの御守をしてあげればいい。優しく教えてあげなよ! 私もあの坊やのことは気に入っているんだ!」

 イザベルの隣で、マギーは唇を(とが)らしている。

「何時かセラヌ様は、お前の本当の姿を物質的に創り出してくれる。私はお前の母親だから充分理解しているよ、お前はアクエリアスにも負けない位に、(いや)、それ以上に美しい存在だ。お前の中に眠る記憶を使って、何時かセラヌ様はお前に本当の姿を与えてくれる。それまではセラヌ様の言いつけ通り、どんな肉体にも憑依(ひょうい)をしな。昔の時代と比べれば何と楽な事か! 今は一魔に一体、人間のクローンが与えられるんだ。感謝しなきゃ。寝る時でさえ、セラヌ様の居る方向には足を向けられないよ!」

「ええ。勿論よ!」

「さて、暫くは又もとの生活に戻りな」
 大事な話を終えたイザベルは娘にそう告げる。

「今夜はここに泊ってもいい?」
 マギーが母イザベルに甘えた声で尋ねる。

「好きにしな。のんびりと大きな風呂につかるといいさ」
 イザベルは満足気に応えた。

「それでも明日には帰りなよ。第一秘書のジェミニが悲鳴を上げてるといけない。あんた、あの()にも優しくしてあげなよ! あの男はあんたを(した)っているのさ」
 イザベルの言葉を前に、マギーが(しぶ)い表情を見せる。

「ジェミニなんかは、まるで私のタイプじゃないわ!!

「恋愛じゃないんだ。仕事の相棒なんだからさ、大事にしてあげなよ!」
 イザベルがマギーを(いさ)める。

「ジェミニって、うざいのよね! マザコンがありありで!」

「それならあんたはどうなのさ? 若い男に興味がなくて、中年好み。それはファザコンの現れじゃないのかい? そりゃーあんたのパパは好い男さ! だからね、二人は似た者同士なんだよ、精々(せいぜい)うまく遣りな。何なら今回の一件、その顛末(てんまつ)をすべて、ジェミニにも教えてあげようかね⁉ ジェミニの事なら直ぐにニューヨーク総合私立大学に押し掛けて、ジャックと直談判(じかだんぱん)をするかもしれないよ!? あんたを悲しませるなってね!」
 イザベルは嬉しそうに話す。

「はい、はい、お母様。大丈夫です、部下とは上手に付き合います。さて、こびり付いた(あか)でも落として来る事としましょう」
 マギーは不自然な高笑いを響かせながら浴室へと向かった。

「屋敷にもエステシャンは居るよ! 遠慮せず使っとくれ! 特命の労をねぎらう意味も込めて、あとで御馳走も用意しとくよ!!
 イザベルの大きな声が屋敷の外にまで響き渡る。

「ニューヨークでは今頃、最後の1%を埋める為の使者が、ジャックに会いに行っている筈だ。ジャック坊や、迷う事はない。あんたは生まれた時より我等の仲間なのさ」
 そう呟くとイザベルは静かに瞼を閉じた。
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登場人物紹介

ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド。 

世界一の都市にそびえ立つ超高層マンションに住む。

しかもこの若さで一流企業の部長(general manager)様だ。

クッキー&クリームと世界規模で展開するチェーン店コーヒーを

こよなく愛する魔女。

マギー・ロペス(Maggi.Lopez)。

ジャックの最愛の恋人。

十七年前に突然とジャックの前から姿を消した。

アクエリアス(Aquarius)。

若き俊才、ニューヨーク総合私立大学航空宇宙物理学教室教授。

ジャック・ヒィーリィオゥ・ハリソン(Jack.Helio.Harrison)。


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