第6話 イタリアン レストラン(Italian Restaurant) 2F

文字数 4,907文字

 ニューヨーク マンハッタン コロンバス アベニュー
 New York Manhattan Columbus Avenue
 イタリアン レストラン2階
 Italian Restaurant second floor

「まるで星座の輝きのようね」
 マギーは優しく呟き、グラスを窓辺に翳して見せた。

「貴方の想い出を聴かせて」
 窓の外に映る景色を見詰めてマギーは更に言葉を(つづ)った。

 イタリアン レストランの2階に席を移した二人は、最高級のヴィンテージ シャンパーニュを注文した。支配人は料理のお口直しにと、フレッシュフルーツシャンパーニュスープ仕立てを勧めてくれた。ソムリエにより注がれた、トールグラスに立ち昇るシャンパンの黄金の泡を見て『まるで星座の輝きのようね』 マギーが手に持つグラスを窓辺に翳したのだ。

 あどけない少女のようなその仕草を真似て、ジャックも窓辺にトールグラスを翳した。

「素敵な君の前で、他の女性の話をする野暮を許して欲しい」
 ジャックはマギーに断りを入れた後で、静かに話を始めた。

「トールグラスに立ち昇る黄金の泡を見て 『まるで星座の輝きのよう』と、君は言った。そしてそれは僕の眼にも同じ印象を与える。唯、僕はその泡の中に水瓶座の形象(けいしょう)を探し求めずにはいられない」

「ラテン語でアクエリアス(Aquarius)

「そう、アクエリアス。その星座と同じ名を持つ女性との悲しい想い出が、時に僕の心を涙で濡らしてきた」

「センチメンタリスト、水瓶座の東、貴方は魚座ね!」
 マギーは断言する。

「何を言われても君には驚かない。君は特別な存在のようだ…」
 ジャックは自分の星座を言い当てられた驚きを、そのように表現した。

「17年もの年月が流れているのに?」
 マギーは尋ねた。

「だから、『時に』と断りを入れた」
 トールグラスに立ち昇る黄金の泡を一口飲んだ後に、ジャックは応える。

「幸せな女性(ひと)。いいわ。ジャック、続けて」
 マギーは話の続きをはやく聴きたがった。

「19年前のクリスマス イヴ(Christmas Eve)、 アクエリアスと僕は、この向かいに見えるケーキ屋の前で二人、たたずんでいた」
 ジャックは街並みを見渡す事が出来るカウンターテーブルの窓先を右手で示した。

「本当!? それは私にもまるで想像が出来なかった」

「僕もいま気付いたんだ。こんな事もあるのか…」
 ジャックは感慨深げに話を続ける。

「アクエリアスと僕がニューヨークの総合私立大学(Private University in the City of New York)に通うようになって、2年の歳月が流れていた。秘めた思いを胸に抱え、何とか挨拶が出来る程度の知り合いになれた僕は、思い切ってアクエリアスを食事に誘った」

「彼女。来てくれたの?」

「そう。あの日、彼女はブルーグレイのダッフルコートを着ていた。狼の牙のような大きな留め具を几帳面に填めたその中には、黒いボタンの付いたドーリーシルエットのワンピースが隠されていた。冬の季節、彼女の細い首元はキャメルカラーのマフラーで覆われ、クリスマス用の装飾に身を包んだニューヨークの街並みには、人類の平和を願うクリスマスソングが響き渡っていた」

「可愛い女性(ひと)。服装のセンスの良さで、それが直ぐに解るわ」
 マギーはシャンパンの注がれたトールグラスを、まだ見詰めていた。

「僕はライトブルーのボタンダウンシャツの上に、革のスタジアムジャンバーを着て、クリスマスに彩られたコロンバス アベニュー の街並みを歩いた。ブラウンの色調でサイドとフリンジを長めに伸ばしたボブスタイル、頭の形のとても美しいアクエリアスと学友の話題で会話を続けながら、予約したレストランに向かっていた。ベロア素材のラウンドトウで乾いた路面を叩くように歩くアクエリアス。彼女の隣にいる事がとても誇らしくて… 世界が今、僕を選んでくれたような歓びを全身に感じていた。そして路の途中、この向かいに見えるケーキ屋の前で、僕は彼女への愛を告白をした」

「告白は成功したのね?」

「ああ。あの日、世界は間違いなく僕を選んでくれていた。あの場所で、僕らは真剣な交際を始める約束を交した」
 ジャックは向かいに見えるケーキ屋の店先を指さし、その時の歓びをまるで昨日の事のように話した。

「その時の貴方の歓びが、私にも伝わって来るようよ!」
 マギーはシャンパーニュスープで仕立てられた苺を、愛おしむように唇に挟む。

「それで、予約したレストランのお味はどうだったの?」

「それが最高に幸せな気分で辿り着いたそのレストランで、僕らが食事を楽しむ事はなかった」

「何故?」

「僕も驚いたよ。あんな経験は生まれて初めての事だ。予約の時間にその店に着いた僕らが見たのは、店の中に突っ込んだ市警車両のテールランプだった」

「お店にパトカーが突っ込んでいたのね!?

「うん。犯罪車両とカーチェイスを繰り広げた挙句(あげく)顛末(てんまつ)だそうだ。警官は怪我ひとつしてなかったけどね。店は閉店休業さ」
 ジャックは両手を(かざ)してお道化てみせる。

「彼女はどうしたの?」

「そう。その有様を見て、それまで喜びに頬を染めていたアクエリアスの表情がみるみる曇って行く」

「いまにも降りだしそうな雨の予感ね!?

「アクエリアスは大きな瞳に涙を溜めていた。とても悲しそうに… だけど僕は平気だった。何せその日は世界に選ばれたような特別の気分でいたからね、それで迷うことなく彼女を僕のアパートに誘ったんだ」

「へえーっ。貴方タフね!」
 大きな瞳を更に広げたマギーが、ジャックに語りかける。

 ジャックは嬉しそうに、トールグラスに注がれたヴィンテージ シャンパーニュを飲み干した。その時の頼もしかった自分の記憶がジャックの瞳を輝かせる。

「アパートに着くと冷蔵庫と調味棚を急いでチェックする。ジャガイモあり、タマネギあり、キャベツあり、にんにくあり、牛乳あり、卵あり。水道の蛇口をひねり大きな鍋を2つのコンロに乗せ準備を整える。冷蔵庫の中の氷を確認し、ジャガイモの皮剥き、タマネギの微塵切りをしている間に、アクエリアスには買い物に行ってもらう事にした。幸いクリスマスイブに休む事もなく、アパートの直ぐ前には肉屋が、隣にはスーパーが軒を連ねている。彼女に渡したメモには、豚ロース肉薄切り4枚、生ハム2枚(これは必ずその場で切り分けてもらう事)、そしてトマト、バジル、レモン、セロリ、キュウリ、レタス、ルッコラ、アーモンドスライス等の食品が羅列されている」

「何々? お料理の話!?
 マギーがテーブルに身を乗り出し、優しげなジャックの表情に接近をする。

「そう、僕はタマネギのドレッシングを作る、マリネ用のバルサミコ酢入りドレッシングも作る。そしてジャガイモを四等分に切り分け鍋に入れ、そのまま水から茹で始めた。アクエリアスが買い物を終えアパートに戻って来た時には湯はきられ、鍋にのこるジャガイモは熱いうちに押しつぶされ、強火のコンロに乗せられたままバター、塩、コショウ、牛乳とともに木ベラでふんわりと仕上げられている」

「凄い、マッシュポテトね! 私も食べたい!」
 マギーが思わず呟く。

「アパートの僕の部屋に、マッシュポテトの何とも言えない甘い香りが漂っていた。その香りが、沈んでいたアクエリアスの心を明るく変化させた。僕はそれを確信していた。彼女には野菜を洗いそれを切り分けてもらった。その隣で僕は塩を加えた大鍋の熱湯でカペッリーニ(Capellini)を茹でる。買ってきてもらった豚肉の片面に塩コショウをふる。その豚肉をバジル、生ハム、バジル、豚肉の順番に重ね小麦粉を付けて、卵とごく少量の水の容器にくぐらせドライパン粉の衣を付けておく。アクエリアスに千切りしてもらったキャベツはさっと塩茹でし、よく水を切り、水につけ置いたタマネギと混ぜ合わせ、バルサミコ酢ドレッシングで(塩、胡椒、バルサミコ酢、オリーブオイル)()える」

「ちょっとジャック、貴方凄いじゃない。料理が出来るのね?」
 目の前に座るジャックの話に、マギーが堪らず声を上げる。

「ああ。楽しい料理だった。彼女も料理の(たしな)みがあるようで、僕がサラダ用のボールにタマネギの微塵(みじん)切りを入れ、塩、醤油、ワインビネガー、オリーブオイルを入れたものを手渡すと、水切りしたレタス、所々皮むきしたキュウリ、薄切りのセロリをその中に入れ混ぜ合わせ、戸棚から容器を選び出して上手に野菜を盛り付けてくれた」

「楽しそうね」

「うん。後は彼女に真新しいテーブルクロスを手渡し食卓の準備をお願いしている間に、僕はトマトを湯剥(ゆむき)にして切り分け、塩、胡椒(こしょう)、バルサミコ酢、オリーブオイル、にんにくの微塵切りとともに和えトマトソースを作り置く。茹であがったカペッリーニを氷水にとり素早く冷まして十分に水を切ると、塩、胡椒、オリーブオイル、パセリの微塵切りで和えた。そして用意したトマトソースをパスタの上にかけてゆく」

「パスタも美味しそう」
 マギーはジャックの料理を楽しんでいる。

 ジャックは二杯目のヴィンテージ シャンパーニュを美味しそうに咽に流し込んだ。そして、再び話を始めた。

「新しいテーブルクロスと白い食器に彩られた食卓が、魔法のように豊かに満たされてゆく。グリーンサラダには、さっぱりとしたタマネギのドレッシングを用意した。ふんわりと空気をなかに含ませ作ったマッシュポテトの表面にはアーモンドスライスが振りかけてある。よく味の馴染(なじ)ませたキャベツのマリネ。パスタはミニトマトのカペッリーニ。最後に、フライパンに衣肉(ころもにく)が隠れる程度のオリーブオイルでキツネ色に仕上げたサルティンボッカ。これにはルッコラとレモンスライスを添えておいた」

「サルティンボッカ!? 豚肉、バジル、生ハム、バジル、豚肉の順番に重ね小麦粉を付けフライパンでキツネ色に焼き付けたやつね!? 生ハム2枚は、必ずその場で切り分けてもらう事。それがこの料理にはとても重要な事なのね?」
 マギーが尋ねる。

「そう。肉の表面がまだ酸化していない新鮮な生ハムが重要なんだ。アクエリアスはサルティンボッカのサクサクとした食感を好んだ」

「貴方凄いわ。彼女喜んだでしょう?」

「生涯最高のクリスマスと言って、とても喜んでくれた」

「ワインは何を?」

「あの頃、料理に合うワインなんて考える事もなかったけど。一本だけ冷蔵庫の隅にあったのが、イエローラベルの大衆的なシャンパーニュ」

「これの?」
 マギーは、テーブルの横に冷やし置かれた最高級のヴィンテージ シャンパーニュを指さす。

「そう、誰かが僕の誕生日にってプレゼントしてくれたものがそのまま残っていた。フルボトルのシャンパンを一人で飲むだなんて、とても出来ないだろう。だから残っていた。だけど嬉しかったよ。この日の為に冷蔵庫の片隅にシャンパンのイエローラベルが存在していてくれたような気がして。それは、このヴィンテージ シャンパーニュの1/3にも満たない値段のものだけど、若い僕らには大変な御馳走だった」

「素晴らしい思い出ね」
マギーはジャックの話と、トールグラスに注がれた最高級のヴィンテージ シャンパーニュを楽しんでいた。

「食事の後に、僕はアイスクリームにウエハースを添えてアクエリアスの前に差し出した」

「貴方は完璧。そして… 二人はどうしたの?」
 マギーはジャックの瞳を見据える。

「二人でたくさんの話をした。僕達の少し寂しい生い立ちや境遇(きょうぐう)、二人が今考えている事、将来の夢や不安なんかのすべてを僕達は時間も忘れて話し続けた。そして自然に、とても自然に僕らは抱き合って泣いたんだ。僕はアクエリアスの美しい涙を指で(ぬぐ)った。アクエリアスは僕の涙を唇で吸いとって…」

 マギーはもう何も言わずに、話し続けるジャックの赤い唇を見詰めている。

「その夜、僕らは愛しあった。降り続いた雪がやんでも、冷たい風が窓を叩いても、僕たちはお互いを愛しあう行為をやめなかった。やがて夜が明け、白む程度に東の空が明るくなっても、僕らはその愛の行為をやめなかった。いつしか疲れ果てた僕達は抱き合って眠っていた。僕らの愛は永遠に続くものだと信じていた」

 マギーは、トールグラスに立ち昇るシャンパンの黄金の泡を、静かに見つめていた。
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登場人物紹介

ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド。 

世界一の都市にそびえ立つ超高層マンションに住む。

しかもこの若さで一流企業の部長(general manager)様だ。

クッキー&クリームと世界規模で展開するチェーン店コーヒーを

こよなく愛する魔女。

マギー・ロペス(Maggi.Lopez)。

ジャックの最愛の恋人。

十七年前に突然とジャックの前から姿を消した。

アクエリアス(Aquarius)。

若き俊才、ニューヨーク総合私立大学航空宇宙物理学教室教授。

ジャック・ヒィーリィオゥ・ハリソン(Jack.Helio.Harrison)。


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